アンナ・カレーニナのあらすじまとめ【テーマや読みどころ解説するよ】

この記事は下記のような方におすすめです。

  • 「アンナ・カレーニナ」のあらすじを知りたい!
  • 「アンナ・カレーニナ」の読みどころを分かりやすく解説してほしい!
  • 「アンナ・カレーニナ」から学べることって?(感想文用に使いたい)
目次

アンナ・カレーニナってどんな小説?

アンナ・カレーニナを知らない人もいるので、アンナ・カレーニナってどんな小説?という疑問に答える章。

アンナ・カレーニナは、ロシアの作家レフ・トルストイによって書かれた小説です。トルストイは、19世紀のロシア文学の巨匠。彼の作品はロシア文学で有名なドストエフスキーのような罪やニヒリズムのような非人間的な世界というよりは、ニヒリズムを越えた先にある希望だったり、人間が固有にもつ正しさの感覚、あるいは社会の問題に深く迫ったものを書いている作家。他の代表作には『戦争と平和』や『復活』などがあります。

発表時期は1873年から執筆を開始し、1875年から雑誌『ロシア報知(英語版)』に連載され、1878年に単行本として出版されました。

ちなみに、この時代はチェルスィシェフスキーの『何をなすべきか」(一八六三)やJ・S・ ミルの「女性の解放」(一八六九)などの影響もあって、女性の結婚・職業の自由や家庭からの解放をめぐる議論が活発化していて、アンナ・カレーニナもそうした背景とかかわりが深かったと言われています。

アンナ・カレーニナのあらすじ(要約・プロット)

舞台は1870年代のロシア。

物語はアンナの兄であるオブロンスキーの浮気が発覚したところから始まる。彼の妻であるドリーは離婚をしようと考えるのだが、その仲裁にアンナが入る。その道中愛人となるヴロンスキーの母親と汽車を同席する。

主人公のアンナ・カレーニナは、美しく魅力的な女性であり、良妻賢母として有名。夫は地位の高いアレクセイ・カレーニン。しかし二人の関係は冷めきっており、愛のない結婚生活を送っています

そんなある日、アンナは青年将校のヴロンスキー伯爵と出会います。そして彼に深い愛情を抱くようになります。彼女は、自分とヴロンスキーの関係を続けるために、夫との仮面夫婦の状態を続けなければなりませんでした。アンナはこの禁断の関係に引き込まれていきますが、その一方で八歳になる息子セリョージャへ愛を捨てきれないこと、また社交会=世間のルールとの葛藤に苦しむことになります。

その後、アンナとヴロンスキー伯爵の関係が公然のものとなり、さらにアンナはヴロンスキーの子供を妊娠。ふたりは世間から逃れるように

一方、物語のもう一つの軸は、キティとレヴィンの物語。彼らはあくまで幸せな結婚生活の送ります。物語は、アンナとヴロンスキーの関係の悲劇的な結末を迎え、アンナの命運が描かれます。

アンナとヴロンスキー伯爵の関係が公然のものとなり、アンナの夫との間に緊張が生じるところから更に複雑化していきます。アンナは社会の非難と家族の反対に直面し、苦悩の日々を送ります。

アンナ・カレーニナのテーマは?

実にさまざまなテーマを含んでいますが、その中心にあるのは“愛”。そしてそれに伴う社会の道徳規範や、社会が課す制約と懲罰です。

地主貴族の生き方、不倫、家族のあり方(家族の絆や家庭の価値)、都市生活の矛盾、さらにいえば法、宗教、死への態度と生きることといった個人的な事柄をこえたテーマもはらんでいます。

エゴイズムと愛、あるいは傲慢さと謙虚さの ――こうした諸々の問題は、結局はトルストイの全創作にわたる通奏低音となる ものですが、とりわけ「アンナ・カレーニナ』が構想された時期に、トルストイ自身

アンナ・カレーニナのキーワード

  • 情念
  • 純潔な愛
  • 結婚と離婚
  • 世間の目・社交界
  • アンナの破滅
  • 結婚感(真実の愛)
  • 愛と倫理の対立(不倫関係とは)

アンナ・カレーニナの登場人物

アンナ・カレーニナ

物語の主人公であり、美しく魅力的な女性。彼女はペテルブルクにおいて社会的地位の高い政府高官の夫との結婚生活に不満を感じ、ヴロンスキーと禁断の恋に落ちる。その後、彼女は社会から疎外され、苦悩の道をたどります。

アレクセイ・カレーニン

アンナの夫であり、政府高官。冷静で合理的な人物。社会的な体面ばかりこだわる。妻を愛していないが夫婦を演じる。情熱や感情を欠いているため、アンナとの結婚生活に問題が生じます。アンナの不倫に対して複雑な感

エカテリーナ・シチェルバツカヤ(キティ)

シチェルバッキー公爵家の令嬢キティは十八歳。物語のはじめの冬、社交界にデビューをする。社交界での彼女の成功ぶりは二人の姉以上。母親の公爵夫人の期待さえも上回っていた。モスクワ各地の舞踏会で踊る若者たちがほとんど全員キティに夢中になるほど。だがそこでヴロンスキーに恋心を抱くが失恋。その後、リョーヴィンを愛するようになり結婚し、幸せな結婚生活を送る。他人に対して、すばらしい特性をみようとする。

アレクセイ・ヴロンスキー

青年将校。小柄でがっしりとした体格のブリュネットで、善良そうで美しい、きわめて落ち着いて毅然とした顔立ちをしている。短く刈った黒い髪や剃りたての顎から仕立て下ろしのゆったりとした軍服まで、何もかも 若く魅力的な軍人でかつエレガント。

アンナと恋に落ちます。彼はアンナを愛し、彼女との関係に苦悩しながらも、最終的には彼女を失ってしまいます。享楽的な精神の持ち主。功名心が強い。自信家である。

コンスタンチン・リョーヴィン→純粋な愛の象徴

農業経営をしている地方領主。夢想家(理想主義者)であり自然や農業に情熱を持っている。ただ気がコロコロ変わりやすいのが欠点。例えば傷心していたかと思うと、農場経営に精をだすなかで春の自然と触れ合う中で心を癒していき清々しくなる。

ただ真実の愛を信じる。(リョーヴィンにとっては世界には二種類の女性しかいない。一種類は愛する女性(キティ)完全無欠、あ らゆる人間的なものを超越した存在なのだ。そしてもうひとつの種類が彼女を除いた世のすべての女性で、あらゆる人間的欠点を持った、きわめてありふれた女性たち。

最終的にはキティと結婚し、幸せな家庭を築く。

スティーヴァ・オブロンスキー

アンナの兄であり、快楽主義者。彼は度々妻ドリーを裏切って浮気を繰り返しますが、彼女との関係は最後まで続きます。

ドリー・オブロンスカヤ

オブロンスキーの妻で、アンナの義理の姉。彼女は夫の浮気に苦しめられますが、家族を守るために彼との関係を続けます。

僕にとって「アンナ・カレーニナ」とは?

アンナ・カレーニナを最初に読んだのは20代前半の頃。

読了後の印象として、「神聖な読書体験」というのがまさに的を得ていて、魂まで震わせてくれた本。それがアンナ・カレーニナでした。(ここまで影響を受けたのは、失われた時を求めてだったり、悪霊だったりと、ほんの数冊くらいしかりません)。

当時僕は、東京の立川で映画館のアルバイトをしていました。もともと岐阜に住んでいたのですが、放送作家になりたかったので、よしもとのよしもとクリエイティブカレッジ(YCC)に通うために、はるばる上京してきたんです。

ただ「思っていた感じと違うな?」どこか物足りなさを感じながらYCCに通っていて、1年間あったんですけど、半年くらいでいかなくなって・・・そこからは立川の映画館のアルバイトに行って、とくに目的もなく生きていました。

そんな僕はほぼ読書漬けの日々に。バイト終わりには、いつも映画館の近くのエクセルシオールに通って、2階の喫煙室の窓辺席に座ってタバコを更かしながらダラダラと小説を読んでいるような、なんの生産性もない生活を送っていました。

そんなときに出会ったのが、「アンナ・カレーニナ」。

当時、一番印象に残っているのが、リョーヴィン兄のニコライが死の床に着いていて、死という恐ろしさに手も足も出ないリョーヴィンに対して、懸命にニコライを世話をする嫁キティのたくましさ

僕は昔から「女性的な強さ」にすごく引かれてしまうんですが、”献身的”という言葉にふさわしいキティのもっている”強い女性像”は、僕の母親・妹から感じていたものだったし、身近でありながらも、自分にはないからこそ、強い憧れを抱いていました。(「僕はリョーヴィン的に振る舞うだろうな」と思いながらも。)

ただそれ以上に感じたのは、『現実を生きているんだ!キティは』という強烈な感覚でした。

リョーヴィンは病人がいる傍らで、手は動かさずに死について抽象的な想いを巡らせて恐怖にたじろいでいる、なにもしないやつ。一方でキティは懸命に・献身的に目の前の病人を介抱している。

この”空想的な人物”と“現実を生きる人物”とのギャップを痛烈に感じて、「今の自分はリョーヴィンだな、現実を生きていない」と感じたのを覚えています。現実を生きる人は、恐れないし、今に真剣だから無駄ごとを考えない。実はキティみたいな人物が一番人間的で、たくましく生きていくに違いない。そう思ったんです。

またヒロインであるアンナの「愛されたい!」という強く願う気持ち。これにもすごく共感できて、当時はほとんど人と交流をとっていない、“オキシトシン的幸福ゼロの人間”だったので、彼女の「愛に忠実」「愛に飢えている」という言動・欲望に信じられないくらい共鳴してしまって、めちゃ泣きました。

そして人とつながるって大事だな。愛されたいと思う人にちゃんと愛されるって大事だな、と当たり前なんだけど、以外に無視されがちな事実をちゃんと噛み締めた思い出もあります。

当時の僕には、アンナは美しい女性という以上に、“人間くささ”=自分のことを、心のそこから愛してくれる人物を求めているという気持ちがある人物の象徴になっていて、愛されたいというのは原初的な感情なのでは?また国を超えた普遍的なものでは?などと考えたりしていました。

再読した理由は?

そんな中今回改めて10年ぶり?くらいにアンナ・カレーニナの読み直しました。

理由は今年結婚するという理由。というのも僕の記憶は、アンナ・カレーニナは結婚生活をする上でとても大切なことが書いてあるぞ、という印象があって、結婚する前にぜひ読み直したいと思ったわけです。

ちなみに6年前くらいに僕の友達に、結婚祝いでアンナ・カレーニナを渡しました。彼は読んでくれたのかな〜?

アンナ・カレーニナの読みどころ

長いアンナ・カレーニナのなかでとくに感銘を受けた部分、あと読みどころを紹介します。

アンナから見えてくる、女性としてのひとつの生き方

アンナという女性は、多様な人物的な様相をもっています。

彼女は美しい女性であり、社会的地位の高い政府高官夫をもちながら社交界では花形の位置にいる。みんなからは羨まれて羨望の目で見られ、まったく貞淑な女性として一人息子を愛する姿勢も貫いていた。

でもその一方で、ひとたびイチ青年将校であるヴロンスキーと不倫関係・愛人関係を結ぶことになると、一転し、を愛に飢えて情熱的で奔放な女性に変貌。まるで娼婦のようにふるまい、ヴロンスキー愛して愛して愛し尽くしたあげく、最後には嫉妬に苦しみモルヒネがなければ生けないまでに落ちぶれる。幻覚をみては死の恐怖に陥り、最後には自殺を遂げる。

果たしてどちらがほんとうのアンナだったのでしょうか。

「私はただ生きていきたいだけだったんです」アンナが叫んだ言葉です。

彼女はただただ自分自身のいのちの灯を輝かせたいと、常識もモラルも顧慮せず、愛に生きたいと思っていたのです。

彼女は情熱的な恋に身を蝕まれつつ、社会的に身を落としていく・・・。それはただ愛する人に愛されたいという願望があっただけなのです。(世間の人たちは、不倫をするにももっと賢くやっているのにも関わらず、彼女は世間というものを無視して愛にひだ走っていく。その純粋なまでに愛に忠実だったからこそ社交界の人々は彼女を許さなかったのです。)

そして作者のトルストイ自身も彼女を許しません。なぜならトルストイの理想とは、義務に追われている夫婦の結婚生活こそが重要だったから。(これは次の章で説明します)

アンナの目的は、『己の本能をみたす活動にあてられている』だけです。それは自己本位的であり、欲望の行き着く先は、『満たされなさ』『もっと愛されたいという欲望』。

つまり欲望が欲望を生む状態=満たされない虚しい欲望なのであり、永遠に不可能な愛を追い求めるアンナに待ち受けているのは、自己を滅ぼすこと。要は破滅であって、死であったのです。

アンナという女性を通じて、「愛はすべて幸福につながるとは限らない」と感じました。そして『アンナ』という女性的な欲望をひた走るリアリズムを感じさせる、トルストイ(異性なのにもかかわらず・・・・)の創造性に感服しました。

キティという対照的女性【家庭的であることから見えてくるもの】

方やアンナと対象的に描かれている女性がキティです。

アンナとヴロンスキーは不倫関係に陥り、情熱的な欲望に身を任せる一方で、キティ側は幸せな家庭であり結婚生活を築くために、女性という自分自身を犠牲にし、家庭的な女性として自己犠牲という振る舞いまでします。

前者は強い愛で惹きつけられればられるほど家庭的からはどんどん離れていく。そこには常に周りからの非難をあびながらいきなげればならない。

キティは家庭的であることによってより多くの人たちとの交流が深まり、より強固な関係性を。

ここで伝えたいのは、トルストイの眼目は結婚生活の完全な状態こそきわめて重要であるという考え方。それは家庭生活のさまざまな義務や、習慣によって定められている社会活動からその力を引き出している愛の姿を示すことが必要であり、それこそレビンとキティの生活に代表されているのです。

要はあらゆる義務を負うことによって、彼らの結婚生活は幸せに満ちたものになるのです。

逆にアンナは自由に性的に奔放であるからこそ、社会から放擲されることになる。とくにアンナが息子と引き離されるのはまさに家庭の崩壊だと考えるべきです。

社会の制約と個人の自由

アンナの不倫は社会的な非難を浴びます。彼女は社会の制約と自己の欲望との間で葛藤し、自由と個人の幸福の追求の難しさを象徴的に表現しています。

社会からの圧力は非常に凄まじくて、アンナとヴロンスキーは二人で生活をし始めてからは世間から取り残された虚しい生活を送ります。かつての社交界で輝いていた姿が見る影もない・・・。

義理の妹であるドリーが、アンナとヴロンスキーとの愛の巣へ会いに行くのですが、そこでの生活は虚しい。彼らは社会から迫害を受けているのも隠すかのように、”まるで充実しているかのように”互いが演技をしあい、自分たちは楽しいんだと言い聞かせる生活を送っている。でもそれはどこか不自然であり、それをドリーは勘づいている。

彼ら二人の虚しさに気づいたドリーは、自分の家庭へと早く帰りたくなる。この生活はリョーヴィンの現実の家庭生活と対置されることでより鮮明に浮き彫りになります。

音楽的とも言える対置法的手法

アンナ・カレーニナの構成は音楽的構成に似通っています。つまりつぎつぎに重複する主題の提示があって、それへの反復と対位法で、さまざまなテーマが重なって大きな唸りとなっている物語が進展していく。

章をまたぐと、情熱的な女性の話から一気に家庭的なリョーヴィンの世界へ。ムードの交替の連続でとめどなくつづく。

ここまで感情を揺さぶられると読み手としては、次が読みたくなるしかなくなる。

そしてその手法だからこそ、「勝手気ままな人生の描写」のようにみえるかもしれないが、慎重な芸術的技巧を凝らして工夫されたも のなので、章ごとにさまざまな主題をいれることで、色々な印象を与える。ドストエフスキーは、トルストイの初期の作品やプーシキンの作品との、論理的な見接せつ

頭で考えるのでなく、活動することの大切さ

「なんのために生きているのか?」と生への目的を考える。きっかけは愛すべき兄ニコライが死の床についた。人は結局死ぬべき運命にあるのに、自分はなんのために生き、そしてなにをなすのか。

自分が生きていることをきちんと説明して、人生がけっしてどこかの悪魔の悪辣な嘲 笑ではないと納得するか、さもなければ自殺するしかないと決めたのだった。

だが彼はそのいずれも成し遂げることなく、そのまま生き、考え、感じつづけてき のであり、おまけにまさにこの間に結婚をして大きな喜びを味わい、自分の生の意 味を考えているとき以外は、幸せに過ごしてきたのである。

この根拠になったのが信仰心。つまり欲のある生き方ではなく、正しい行いをして生きること。

アンナ・カレーニナの覚えておきたい名言・珍言

オブロンスキー

きみはとっても筋の通った人間だ。そこがきみの長所であり、また短所でもある。きみは自分が筋を通す人なので、世の中のこともすべて筋が通っていてほしいんだろうが、そうは問屋がおろさない。現にきみが 公職活動を軽蔑するのも、仕事が常に目的に合致していることを求めるからだろうが、 世の中そんなわけにはいかないぞ。きみはまた人間の行動にはいつも目標があり、愛 と家庭生活が常にひとつであることを願うだろうが、そうばかりではないのさ。人生がこんなにも多様で、魅力的で、美しいのも、すべて光と影の両方があるからなんだよ。

ドリーの言葉(結婚した女性の叫び)

「あの女は若いのよ、きれいなのよ」 彼女は続けた。「でもわたしはもう若くもなけ ればきれいでもない。それが誰のせいかわかって、アンナさん? あの人と、あの人の子供たちのせいよ。 わたしはあの人にとことんつくして、何もかも捧げたのに、今となってあの人は当たり前のように、若くて能天気な娘のほうがお好みというわけよ。 あの人たちはきっとかげでわたしのうわさをしたでしょうよ。いいえ、もっとひどい ことに黙殺したことでしょうよ。ねえわかる?」またもや彼女の目は憎悪に燃えだした。 「そんなことをしておいてから、あの人はわたしにぬけぬけと……ねえ、わたし があの人を信じられると思う? 無理よ。もうだめ、全部終わり。つらい思い、苦しい思いを慰めて、埋め合わせてくれたものが、全部なくなってしまったの…。 いい こと? わたしさっきグリーシャと勉強していたでしょう。前にはあれが楽しみだっ たけれど、今では苦痛なのよ。だって、なぜこのわたしががんばって、苦しい思いを しなければならないの? 子供なんか何になるの? もう恐ろしいほど気持ちががら りと変わってしまって、あの人には愛も優しさも感じない、ただ憎しみ、憎しみだけ よ。いっそあの人を殺して・・・・・」

旦那のオブロンスキーに浮気をされたドリー。結婚したあと子育てに追われて、『女性』として扱われない・振る舞われない現状を嘆く彼女。これをそばできいたのがアンナであるというの皮肉ですね。

自分を偽って生きていくことの否定

「本当の自分より善い人間と思われたかったからよ、他の人からも、自分からも、神さまからも。みんなを騙すつもりだったんだわ。でもこれからはもう、そんな誘惑には負けないわ!たとえ悪い人間でもいいから、少なくとも自分に正直でいたい、嘘つきなんかになりたくないから!わたしはありのままで生 きていきます。もう見せかけはやめて。 アンナ夫人のことなんか、わたしに何の関係 があるものですか! あの人たちは自分の好きなように生きていけばいいんだわ。わたしはわたしで好きにしますから。自分以外の人間なんかにはなれない・・・・・それに、 何もかも間違っていた、間違っていたのよ!…………」

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この記事を書いた人

読書好きブロガー。とくに夏目漱石が大好き!休日に関連本を読んだりしてふかよみを続けてます。
当ブログでは“ワタクシ的生を充実させる”という目的達成のために、書くを生活の中心に据え(=書くのライフスタイル化)、アウトプットを通じた学びと知識の定着化を目指しています。テーマは読書や映画、小説の書き方、サウナ、アロマです。

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