ジキル博士とハイド氏のあらすじ・テーマ徹底解説【考察完全版】

この記事は「ジキル博士とハイド氏」の読者を想定して下記のような方におすすめの記事です。

  • あらすじを簡潔に知りたい!
  • より深く読み込みたい!
  • 読みどころポイントを知りたい!
  • 実際に読んだ人の生の感想を聞きたい!

人は異なる2つの性質が同居して、1つの存在を形作っている・・・?

他人に対して優しく振る舞えるときもあれば、突然怒りの感情にまかせて相手を罵倒したり。

弱きものを助けようとボランディアに参加をしながらも、次の瞬間には

人間はすごく単純に見えて複雑な存在なんです。

今回読んだ「ジキル博士とハイド氏」は、複雑で不思議な存在である人間性を、「善なるもの」「悪なるもの」という、かなり極端な二極化で描きとっている作品です。

難しそうに聞こえるかもしれませんが、物語自体探偵小説の体をなしていて、ハラハラ・ドキドキの展開が、おおよそ200年前に書かれた作品であるにもかかわらず読みやすいです。

目次

ジキル博士とハイド氏ってどんな小説?

ジキル博士とハイド氏は、1886年にイギリスで発刊された作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンの有名な作品。

『宝島』『新アラビアンナイト』など共に、スティーヴンソンを名作家として広めた作品です。

物語の構成としては下記の通り。

  1. 【第一部】悪行含めた事件や人間関係を伝える →主人公である弁護士のアタスン氏で視点で語られる。彼は悪なる所業を繰り返す”謎の男ハイド氏”を、シャーロック・ホームズのような探偵的な振る舞いによって追いかける筋。
  2. 【第二部】事の真相をジキル博士の手紙を通じて明かされる ジキル博士が残した手紙「ヘンリージーキルによる詳細な陳述書」によって、ことの全貌(ハイド氏とは誰か?、諸々の事件の原因など)が明かされます。

なお【第二部】では、【第一部】で不可解な事件や行動が明かされて、また事件の時間軸に見事に合致する形で解決する、いわゆる伏線を回収する形式をとっていてます。

スティーヴンソンの見事な手腕に感動させられました。

小説のジャンルとしては怪奇小説・探偵小説です。

ジキル博士とハイド氏のテーマは?

ジキル博士とハイド氏は一般的に「二重人格」を題材とした作品といわれています。

でも、小説を読めばわかりますが、「二重人格」というよりも、

  • 人間は「善と悪」という調和し難い二面性をもつ

というほうが、根本的なテーマだと思っています。

ジキル博士も自身の手記のなかでこのように述べています。

人間は単一の存在ではなくして二元的な存在であるという真理に、着々と近づきつつあった。

人間とは究極のところ、ひとりひとりが多種多様のたがいに調和しがたい個々の独立の集団のごときものに過ぎない

自分が意識の領域において相争っている二 つの性質のどちらかであると誤りなく言えるとしても、それはもともとわたしがその二つを 兼ね備えているからにすぎないことをわたしは知った。

つまり、「ジキル博士とハイド氏」という小説は、善の人格である「ジキル博士」のなかに、もうひとりの悪なる人格「ハイド氏」が存在すること。

そして「変身」という形でこの世に生をあたえられることでもたらされたのは数々の凶悪な事件の詳細とともに、悪の人格が善の人格を飲み込んで、己を破滅=自殺へといざなう悲劇の作品なのです。

重要!ジキル博士の仮説とは?

作品において非常に重要なのが、ジキル博士の仮説です。

ジキル博士は思索によって、人間は「完全かつ本源的に二重性格のものであること」を悟ったわけですが、彼の仮定では

  • 善悪二つの要素の分離し、各々別個の個体に宿らせることができる

という立場に立ちます。

そうるれば正しかざる一方の性格(=悪)は、その双生児である一方の正しき性格(善)の抱く理想や悔恨に惑わされることなく、欲望のままに行動できるであろう。

一方、正しき性格(善)は善をなすことに対して最大限喜びを見出し、 もはやか悔悟などにさらされることなく、悪の手によって恥辱や悔悟を受けないであろう。

ここに「善と悪」の調和・均衡が生まれるだろうということを仮定したのです。

ただ「真理の片手落ち」にすぎないこの発見は、結局「己の身の破滅」という悲劇を招くのです!

ジキル博士とハイド氏を語るキーワードは?

  • スリルとドキドキ
  • 展開が面白い
  • 二重人格・多重人格
  • 探偵小説風な展開

ジキル博士とハイド氏のあらすじ要約

ジキル博士とハイド氏の全体のあらすじを簡単に要約しました。

これから初めて読まれる方だったり、感想文を書こうと思っている方はぜひ参考にしてください。

小男ハイドと有徳の士ジキル博士

舞台は十九世紀後半のロンドン。事の始まりは次の通り。

主人公の弁護士アターソンは、親戚の有閑紳士リチャード・エンフィールド楽しい散歩をしている中にきみの悪い建物を見つけます。そこの住人はハイドという人物。

ハイドはなんとも底気味悪い、ある事件を起こします。

その事件とは、通りがかった彼が、偶然道で転んだ少女を平然と踏みつけてその場を立ち去ろうとしたという非人間的な出来事でした。

女の子の家族はハイドに詰め寄り、慰謝料を請求します。彼が取った行動は「金なら払う」と不気味な建物に入っていき、100ポンドの小切手を果たします。

その署名には、アターソンの友人かつ顧客であるジキル博士の名が書かれています。

ジキル博士は医学博士、民法博士、法学博士、王立協会という地位で、周囲からは道徳的な好人物だと見なされています。

ただ一つアターソンには不可解なことがあります。それは遺言状には財産の一切が「友人で恩人のエドワード・ハイドの所有」するという旨が記載されている点でした。さらに、もし「ジキル博士が3ヵ月以上に失踪ないし理由不明の不在」になった場合においても、ヘンリー・ジキルの財産はエドワード・ハイドに相続すると付け加えられているのです。

アターソンはハイドがジキル博士の財産を狙うために恐喝されているのでは、と事件性を敏感に感じており、ハイド氏を捜索しようとするのです。

撲殺事件

それから1年間たった18〇〇年。凶暴かつ恐ろしい犯罪がロンドン中を震撼させます。

ある老紳士がステッキで撲殺されたのです。被害者は上位院議のサー・ダンヴァス・カルー。

加害者はあのハイドです。サー・ダンヴァスは狂暴な猿のように何度も殴りつけ、骨は音を立ててくだけます。死骸は路上に跳ねあがりましたが、その後にも何度もステッキで殴りつけます。

そして鳶色の霧が深い朝。アターソンが再びジキル博士を訪ねると、ジキル博士はハイドとの関係を完全に断ったと言います。ところが不思議なことに、ジキル博士とハイドの筆跡が類似している謎が浮上します。

ラニョン博士の死

それから時は流れ。ハイドは警察当局の目を逃れて姿を消します。

ジキル博士はハイドが失踪してからというもの、2ヶ月以上にもわたって社交的になり、旧交を温めるて穏やかな日々を続けます。

ところがある日を境に、突然ジキルは訪問者を拒むようになり自宅の書斎に閉じこもりがちになります。

時を同じくして、アターソンとジキル友人であるラニョン博士の様子が床に伏せます。

肉体が急激に衰えて死相がはっきりと浮かびます。そして何かにおびえているかのようです。

ラニョン博士は「ジキル博士には会いたくない。私は罪深い人間だ。自身に罰と危険を招いてしまったのだから」という謎を残して死んでしまう。

ハイドの死体発見

ジキル博士は長い間、書斎に閉じこもり、人との交流を完全に断ち切ります。3月の風が強く寒いある夜、ジキル博士のところに召使いのプールがやってきます。彼いわく、「博士が1週間、書斎に籠もっている。わたしは人殺しがあったのではない後思うのだ」と。アタソンは事の真相を暴くために彼の屋敷へ急ぐ。

そして閉じこもって出てこないジーキル(声は変形して、ハイドの声になっている)。プールは「どうやら部屋にいるのはジキルではないような気がする、旦那様は殺されたのだ」というのです。ふたりは書斎と扉を斧でこじ開けて中に入ります。するとそこにはハイドの死体があったのでした!当のジキルはいません。

そして事務机の上に、ジーキルの手紙が残されていますーー。

「親愛なるアタスン、この手紙が手に渡る頃には、わたしはもう居ないでしょう。どんな事情のもとになくなるか、 それはわたしにも予測できません。 しかしわたしは直感的にまた現在の名状し難い立場の一切の事情から考えて、わたしの最後が確実に、しかも程なくやって来ることがわかります。」

そして不可思議な事件の真相は、ジキルの手紙によって解明されます。

その真相とはいかに・・・・

ジキル博士とハイド氏の登場人物まとめ

ヘンリー・ジキル

資産家の家に生まれる。医学博士、民法学博士、法学博士、王立協会員などの肩書を持つ有名な博士。立派な風采の大柄な男。(大柄50歳くらい) 若い頃から優れた才能をもち勤勉な性格で知られる一方で、抑えることのできない享楽性・逸楽性ももつ。

エドワード・ハイド

見るものを不快な気分にさせる醜悪で小柄な男。ジキルから金25万ポンドの相続を約束されている。

ゲブリエル・ジョン・アタスン

本作品の最初の語り手。弁護士。やせてのっぼ。感情を外に出さない性格だが、心の優しい鷹揚さをもっておりどことなく人情味がある。それが功を奏して人に好かれている。(堕落していく人たちが彼のもとに尋ねる。)ジーキル氏とラニョン博士とは友達。ジキル博士の遺言状執行人。

リチャード・エンフィールド

アタスンの遠い親戚であり有閑紳士。アタスンとは日曜ごとに町を散歩するのを楽しみにしている。ハイドが転んだ少女を倒し踏みつけた現場に立ち会う。その物語をいつものようにロンドンの町を散歩していたときにアタスンに伝える。

ヘイスティー・ラニョン博士

医学の要塞と呼ばれるキャヴェンディッシュ・スクエアに邸宅を構えている。アタスンとは古くからの友人(小学校から大学までを通じて同窓)。お互いに尊敬し合うなかで、交流を無常の喜びとしている。ジキルとも昔から仲はいいが、「精神に異常をきたしている」とし距離をおくようにしている。元気でキビキビとした赤ら顔、葡萄酒をよく飲む。

プール

20年間もジキルに奉公する召使い頭。忠誠心は高く、ジキルの背丈が書斎の扉のどの位置にあるかまでわかる。

ブラッドショー

ジキルの家に使える馬丁。

サー・ダンヴァス・カルー卿

アタスンの顧客であり依頼人。白髪で年配の立派な紳士。ハイドにステッキで撲殺される。その現場は近所の一軒家に一人で住んでいる家政婦に目撃される。

ゲスト

アタスンの主任書記(事務頭)かつ相談相手。筆跡にかけては造形が深く熱心な研究科。ハイドが書いたとされる手紙の筆跡を勘定してもらう。その結果ジキルとハイドとの筆跡が似通っている点を発見する。

ジキル博士とハイド氏の深読みどころは?

ここでは作品を楽しむために読みどころポイントを解説しますね。

  • ハイド氏=”影”のような存在に注目せよ!
  • なぜハイド氏は「恐怖」「憎悪」を与えるのか。その理由は?
  • なぜジキル氏はハイドという悪魔を生んだのか?
  • ラニョンに死相が現れた理由は?

ハイド氏=”影”のような存在に注目せよ!

本作は、一人の小男かつ謎の男=ハイド氏を中心に物語が進んでいきます。

当の本人ハイド氏はといえば、とことん、不気味でいけ好かない人物として描かれています。

作中に出てくる全員が、「不気味」「嫌な感じ」「悪魔的」と表現するほどです・・・

さらに言えば、本人を見たという人は限られており、ほんのひと時(例えばちらっと見た)であったくらいです。

ほとんど噂レベルです。例えば下記なんかは実体のない存在のように語られています。

しかし、人相書を掲示するということは、そう簡単にできることではなかった。なぜなら、 ハイドには親しいつきあいはほとんどないし、あの雇女の主人でさえ、たった二回しか、 ハイドを見たことがないのだ。それに、かれの家族は、どこを探しても見あたらないし、写真をとったこともなかった。かれの人相を知っている、ごく少数の人たちの言うところも、 普通の人の観察の常で、やむを得ないが、甚だしく相違しているのだ。たった一つ一致して いるのは、この逃亡した犯人が、見るものの目に、なんとも言いあらわしようのない、畸型の感じをしつこく植えつけたという点である。

親しい友人もいなければ、彼と実際あった人もわずか。みたとしても一握り。

顔さえも特定できず、いるかいないかわからないような実態のなさ。

実はまるで影のように「語られる人物像」=「ハイド氏」という人物造形こそ、この小説の醍醐味なわけです

そして語られる存在は宿命のように、「少女を踏み殺した」「撲殺した」などハイド氏の周囲にいる人物たちが噂・事件を語ることによって、存在感をましていき、非人間性・畸型性はどんどん膨らんでいきます。

つまり、ハイド氏の実物を見たいという好奇心が、この小説における推進力になるのです。

そしてスティーブンは冒頭から、ハイドへの嫌悪感を与えることで、逆に彼に対して心を留めるよう注意を促しているのです。

結果、本作はハイド氏=ジキル博士であったという衝撃的な結末を待ち受けているわけですが、上述したような、『ハイドに対する興味の惹きつけ』がなされています。

なぜハイド氏は「恐怖」「憎悪」を与えるのか。その理由は?

なんと言っていいかはわからないが、たしかに、このほかにまだ何かあるのだ。あの男はどうもこの世の人間とは思えない。穴居人みたいだと言ったら、どんなもんだろう? あるいは、例の、いわれもなく人に嫌われた昔話のフェル博士のたぐいだろうか? それともまた、その”何か”とは、単に醜悪な霊魂の放射にすぎなくて、それが人体を通して外にあらわれ、その人体を畸型なものに変えるのであろうか。どうも、そんなところに違いない

ハイド氏は、物語の前半から「不気味」「嫌悪感」「不快感」「悪魔的」「恐ろしい」という形容がなされます。

アタースンも召使いも「人をぎょっとさせるところがある」と言いますし、ハイド氏をのせた馭者も恐怖と憎悪を彼に対して感じます。

理由は分からないのにどこか不快で、醜悪なところがある。あれほど嫌悪を感じさせられる人間に出会ったことがない。しかし説明するのが難しい。なにがなんだか見当がつかない。

ではなぜ「恐怖」「憎悪」を与える存在なのでしょうか。

その答えは、ハイド氏が、純粋な悪のそのものの化身だからです。(最後の手紙に書かれています)

本作には、「人間とは善と悪との二面性」を己のなかにかかえながら、姿かたちが同一の単体の存在として生きていると書かれています。

ところがジキル博士は薬の力を借りて、善と悪との二面性を分離します。

そして純粋な悪なるそのものとして、ハイドは現れて出てきたのです。

ただ単にわたしの気質を閉じ込めている舎の扉を揺すぶるに過ぎず、閉じこめられていたものがフィリッパイ市の囚われ人のごとく走りでて来ただけのことである。あのときちょうどわたしの徳性がうたたねをしたその隙に、野望のために目をさましていたわたしの目ざとくもいちはやく機会を摑みかくして投影されたのがほかならぬエドワード・ハイドなのであった。 それゆえにわたしはいまや二重の容貌と二重の性格の持主であった。

だからこそ、ハイドという存在は尋常な人にとって、その純粋な悪性は、ある意味で自身の中にある善性が反応して、言葉にできない「憎悪」や「恐怖」にかりたれられるのです。

なぜジキル氏はハイドという悪魔を生んだのか?

ではなぜジキル氏はハイドという悪魔を希望したのでしょうか。

そういう当時においてさえ、わたしは無味乾燥な学究生活に対する嫌悪の情に打ち勝ち得なかった。依然としてときに楽にふけりたい気分になるのであった。また控え目に言っても品位を傷つけるていのものであったし、世間的にも有名で、 少なからず尊敬を受けていたのみならず、年輩もようやく老年に近づいていたわたしには、 かかる生活の矛盾をうとましく思う心が日に日に募って行くばかりであった。

ジキルは世間的(表向き)には禁欲的であり、名誉ある人物として尊敬される人物でした。つまり善人です。

だが内面の奥底では悪魔的な「享楽性」「旺盛な欲望」をかかえており、自己中心的で貪欲に快楽を貪りたい、冷酷無情な己を抱えていました。こちらは反対に悪人です。

したがって彼は同じ一つ人格内に、相反する二つの「善人」と「悪人」を抱えていたのです。

彼のいわば「魂の2面性」はどちらもエネルギーも非常に強く、うまく均衡が取れずにいました。世間体を重んじる彼は、享楽性の方を「隠す」(hide)生活を続けて、そんな二重生活は彼を苦しめたのです。

でも彼はある真理にいきつきます。

それは人間は単一の存在ではなく、「善悪」をもつ二元的存在であるという事です。

そして薬の力を借りれば二つを分離できるのであると考えます。

分離して各々に人格を与えることができれば、どちらに対しても抑制を効かせられるようになり、バランスが取れるのだと。

つまりジキル氏はハイドという悪魔を産んだ理由というのは、己の二面性に体を引き裂かれた結果、隠していた(ハイド)悪の化身をこの世に解き放ち、人格のバランスを取ろうという手落ちな考えに至った結果なのです。

ラニョンに死相が現れた理由は?

それは、あることを目撃してしまったからです。

あることとは、「目の前でジキルがハイド氏に変化していくところ」を見せつけられたのです。

形が変って行く。 咄嗟にわたしに腕をあげて、この怪物から身を護ろうと身構えた、が、心は恐怖の底 「おお」とわたしは悲鳴をあげた。繰り返し「おお、おお」とわたしの前には、 色蒼ざめてわなわな震えながら、半ば気を失ったまま、死人のように目の前を手さぐりしているヘンリー・ジーキルが立っていた

当時の光景が眼前から消え去ったいま、あのことを信ずるか自分に問いかけてみても、わたしにはなんとも答えられないのである。わたしの生命がぐらついてしまった。 わたしは、不眠症にとりつかれてしまった。身を噛むような恐怖が夜となく昼となくわたしの身につきまとって離れない。わたしの余命もいくばくもない、 やがて死ななければならない気がする。しかも半信半疑のままで死ぬのである。

たしかに自分の友人が目の前で悪の化身であるハイドに変化していくのは恐ろしいですよね。

夜も眠れず悪魔にうなされていたことでしょう。

僕はハイドという悪に呪われた結果、死に近づいてしまったのだと思っています。

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この記事を書いた人

読書好きブロガー。とくに夏目漱石が大好き!休日に関連本を読んだりしてふかよみを続けてます。
当ブログでは“ワタクシ的生を充実させる”という目的達成のために、書くを生活の中心に据え(=書くのライフスタイル化)、アウトプットを通じた学びと知識の定着化を目指しています。テーマは読書や映画、小説の書き方、サウナ、アロマです。

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