夏目漱石『彼岸過迄』のあらすじ〜結末・名文までまとめ【感想文用】

こんにちは、年間100冊以上の小説を読むたかりょーです。

  • この記事は下記のような方におすすめです。
  • 「彼岸過迄」をまだ読んだことがない。簡単なあらすじを知りたい!
  • 「彼岸過迄」のどこを読めばいいのか(読みどころ・POINT)
  • 「彼岸過迄」を読んだ人の生の感想。

今回ご紹介するのは僕の大好きな夏目漱石の「彼岸過迄」。

漱石作品の中ではそこまで知名度は高くないですが、後期三部作の一作目なので、

須永の行動とエピソードを軸に、さまざまな人間模様を描いた作品で、明治末の

東京の雑踏と、人々の息遣いを感じさせる緻密な描写が特徴。

「彼岸過迄」ってどんな小説?

漱石作品の『後期三部作品』(彼岸過迄、行人、こころ)と呼ばれる小説郡の第一作。

漱石は1910年(明治43年)に修善寺の大患と呼ばれる大きな病気を煩いましたが、復帰後に最初に著したのが、彼岸過迄です。

復帰第一作品ですから、漱石自身も「なるべく面白いものを書かなければ」と思っていたようで、物語構成が他の作品と比べて割と凝っていて、漱石の職業作家としての手腕がしっかりと発揮されていますよ。

「彼岸過迄」はどんな人におすすめの小説?

  • 「それから」や「門」とは違った毛色の小説を読みたい人
  • 物語構成に面白みがある小説を読みたい人
  • 「三四郎」や「坊ちゃん」のように読みやすい漱石作品を読みたい人

「彼岸過迄」のテーマは?一言であらわすと?

個人的な意見ですが、彼岸過迄にはこんな読者に伝えたいテーマがあると思っています。

  • 外面から内面への移動と、またその対立。(現実の生と夢想家のエゴとの対立)

小説の前半(報告まで)はミステリー小説のように、敬太郎という主人公の視点から、客観的に人間を観察・分析する構成(三人称一元視点)になっています。

ただ後半(須永の話以降)になると内面の告白(一人称)によるエゴイズムの苦悩を物語る「語りの技法」が使われています。

このように小説全体で、客観的小説→主観的小説への視点の移動がなさているわけです。

主観的小説においては、「現実と内面の戦い」へと物語は移行して、最後には「松本の話」によって主客がなんとか和合するという形をとっています。

「彼岸過迄」の連想されるキーワードは?

  1. 現実を生きる=強い漱石にとっての実験小説
  2. 探偵小説
  3. 従兄弟同志の恋愛模様
  4. 自意識の強い男の悩みと現実を生きる女との対比構造

「彼岸過迄」の、あらすじ要約

「彼岸過迄」は、いくつかの短編を集めて一つの長編小説として形作られた作品です。

序文には下記のような文章が書かれていますが、まさにそれを実現したのが彼岸過迄になります。

かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持じしていた。

小説の章立てとしては下記の7つ。

  1. 風呂の後(全12)
  2. 停留所(全36)
  3. 報告(全14)
  4. 雨の降る日(全8)
  5. 須永の話(全35)
  6. 松本の話(全12)
  7. 結末

前半筋(1~3)は、主人公の敬太郎が、複数の登場人物との交流(会話)行動を通じた物語展開で、徐々に登場人物同士の人間模様・関係性が明らかになっていく感じ。

後半筋(5・6)は恋愛小説という定をとって、自意識の強い須永と現実を生きる千代子の対立を描く感じです。

風呂の後

【語り手】敬太郎(三人称一元視点)

大学を出たばかり田川敬太郎が主人公。

勤め先を探すために奔走する彼の人物像が描かれる。

同じ下宿に住む森本も登場。

彼は30歳で独り身。

だが過去には色々な職につき、家庭もあったらしい。。。ロマンス家である敬太郎は、謎の多い森本に一種のロマンスを感じて、彼と同じ時を過ごす。

■たかりょーの解説

彼の過去の話を通じて、彼とのなんとも言えない不思議な繋がりが形成される。

ちなみにここで不思議な蛇の杖が出てくるのはポイント。

作品全体のモチーフのような扱われ方がなされる

停留所

【語り手】敬太郎(三人称一元視点)

停留所は探偵小説のような構成。

敬太郎は大学の友人である須永の叔父田口(実業家)に勤め先を紹介してもらえないかと頼み込む。

※敬太郎は須永の家の門をくぐると謎の女性を目撃する→これが後に話の中心に躍り出る千代子。

須永は田口を紹介するのだが、就職先を斡旋する代わりに、小川町の停留所で下りる四十男紳士の2 時間以内の行動を記録するように調査を依頼される。

探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持ちなりながら興味と、社会と接触する第一歩として承諾する。

停留所では女が待っていて、なかなか追跡すべき男性は現れなかったが、2時間を超えるくらいに四十恰好でやっと姿を見せる。

敬太郎は、二人の関係性が気になり、後をつけるのだが、彼が期待しているロマンスの様なものがなく、幻滅して帰る。

■たかりょーの解説

この章はジャンル的に“探偵・ミステリー”小説のような雰囲気がある章。

漱石作品では珍しい作風であるような気がします。

報告

【語り手】敬太郎(三人称一元視点)

調査が終わった敬太郎は田口から、ある男の紹介状をもらう。

敬太郎はその人物を訪問するが、なんとその人物こそ、自分が「停留所」から追跡していた男=松本であった。

松本は高等遊民として定職にもつかずに、須永の叔父であるらしい。

また須永の家で見かけ、追跡した男と一緒にいた“若い女”「謎の女」正体は、田口の娘である千代子であった。

つまり敬太郎は田口にいっぱいかまされたわけであった。

この壮大なイタズラを通じて敬太郎は、田口の家にしょっちゅう出入りするようになる。

このように「報告」という章は、「停留所」の種明かしとなる章であり、前半部分の締めくくりとなる章です。※後半への橋渡しの役割も勤めます。

■たかりょーの解説

これまで敬太郎が外から眺める「観察の対象」に過ぎなかった人物たちに光が当てられ、関係性や内面が光が浮き彫りになります。

まるで血肉が通ったように、「人物」として描かれ、一挙にこの章で詳らかにされる。

雨の降る日

【語り手】著者

この章は前章で登場した松本が「なぜ雨の降る日に面会を謝絶するのか」の理由が明かされます。

その理由とは、雨の降る日に松本の愛する娘が急死してしまったからです。

突然死に至る経緯を描いた章。

それは松本にとって苦く思い出したくない過去の記憶と繋がっているのです。

この章の繋がりは見事。

たかりょーの解説

後半のクライマックスに向けての劇場での幕間のような中休み的な位置。

情景描写が非常に美しく、短編小説家としての漱石の力量がうかがえます。

なお雨の降る日は漱石の実体験(愛する愛娘五女・雛子が1歳にして原因不明の病で急死)がもとになり、その思いを託した章でもあります!

雨=悲しみというつながりも感じられますよね。

須永の話

【語り手】須永(一人称小説)

この章では、これまで敬太郎の友人として描かれてい須永市蔵が物語の中心になります。

そして田口の娘であり、従妹の関係である千代子との恋愛関係を描かれます。

小説の冒頭は下記のように始まり、この章では効果を発揮します

敬太郎は須永の門前で後姿の女を見て以来、この二人を結びつける縁の糸を常に想像した。

須永と千代子は小さい頃から許嫁としての、大人になってから結婚すると

理由は須永の母。

大きくなったら千代子を市蔵の嫁にくれまいかと、田口夫婦に頼んでいた。

そして千代子自体も須永の元へ嫁に行くことを拒んでいない。

ただ須永自体はその約束に対して、乗り気でない。

 

ここで、高木という須永とは真逆の根明で闊達な性格である恋のライバルとして現れる。

彼らと鎌倉に行くのだがあれだけ結婚を拒んでいたにもかかわらず彼と高木の関係に嫉妬する。

千代子は鎌倉でのそんな須永の態度に怒り、泣き出す。

そして、口論となった末に、「なぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……嫉妬なさるんです」

「あなたは卑怯ひきょうです、徳義的に卑怯です。」と強い言葉を投げかけ、二人の関係が絶望的な形で終わりをむかえます。

松本の話

全章の内容を引き継ぐ形で、須永の叔父、松本が語り手となります。

千代子と須永の破局後の二人の関係がわかります。

章の主眼としては、須永がどうして僻みのある性格になったのか、これを松本の視点で語るところにあります。

この章では大きな事実が発覚します。

それは須永の母親は実の母親ではないという点。

そして母がなぜそこまで千代子と結婚させたいのか。それは千代子と結婚することで須永と血縁関係になれるからなのです。

須永は叔父から事実を離された後に旅に出ます。

そして旅先から松本宛に手紙が送られてきます。

「彼岸過迄」の登場人物まとめ

田川敬太郎

好奇心旺盛な性格で、行動家。

卒業後に相当な勤め先に入るために、運動と奔走を続ける。

「警視庁の探偵見たような事がして見たい」と小説内にもあるように夢想家。

妹が一人いるが、嫁に出ている。実家は裕福ではないが、少し田地をもち、俵を金に換金できるくらいなので、下宿代に困るほどの身分ではない。

 

【主に登場する章】

・風呂の後

・​​停留所

・報告

森本

30代の停車場勤めの男。

結婚せずに一人で敬太郎と同じ下宿住まいをしている。

過去にはさまざまな体験をしており、敬太郎には一切がXとしてうつっている。

【主に登場する章】

・風呂の後

田口要作

須永の母親の兄。(須永の叔父)

官吏から実業界に入り、四五の会社に関係をもつ実業家。

悪戯をしかけるのが好きだが、義理堅い性格。

松本恒三

須永の母の義理の弟。(須永の叔父)

大学を出たあとは、仕事をせずに毎日遊んでいる。

インテリとされている点、生業を持たず毎日遊んで暮らしている点で、例の高等遊民の一人である。

世話好きな面があり、須永の相談にもよく乗る

須永市蔵

敬太郎の大学の友人。神田小川町近辺に母親と二人暮らし。

母親は幼馴染で従兄妹の関係である千代子との結婚を望み、千代子も彼に好意を抱いているだが、なかなか踏み出せない。(幼い頃に許婚と決められた間柄でもある。)

物語後半部の主人公。

「臆病な人間」と語らせるように、「近代的自我に悩む」という漱石がテーマにしている、それ自体を投影しているのに特徴がある。

田口千代子

敬太郎の従兄弟にして、幼馴染・許嫁としての関係。

小説内ではたびたび謎の女として登場する。

なお現実主義者で須永のことを「卑怯」といい、恐れない女にして、強い女像として描かれている。

「彼岸過迄」の感想文・書評

物語構成が素敵!次のページをめくりたくなる

小説の構成力がすごいなあという印象を持ちました。

漱石自体が「個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら」というように「風呂の後」から「松本の話」まで短編小説が合わさって、物語全体を構成しています。

語り手も何人かに変化させて

  • 「風呂の後」〜「報告」→敬太郎
  • 「雨の降る日」→
  • 須永

となっています。

確かに一つ一つの小説はそれだけで作品として完結はしています。

しかし互いの短編はどこかで繋がっていて、

例えば、最初の風呂の後で出てくる蛇のステッキ。

まるで彼岸すぎまでのモチーフ(あるいはトリックスター)のように各短編で登場して、影を落とします。

また短編を読んでいくことで、影に過ぎなかった人物たちの性格などがあきらかになっていて、その関係性も明らかになります。

敬太郎は帰り途に、今会った田口と、これから会おうという松本と、それから松本を待ち合わした例の恰好のいい女とを、合せたり離したりしてしきりにその関係を考えた。そうして考えれば考えるほど一歩ずつ迷宮の奥に引き込まれるような面白味を感じた。

この段階では田口、松本、恰好のいい女(これが後の重要人物千代子)の関係性は明らかになっていないのですが、これを「迷宮の奥」というふうに

夏目漱石の小説では珍しく、停留所と報告の2つの章で探偵小説的な要素があります。

個人的には「須永の話」と「松本の話」が読み応えがあった

須永の話では、序盤では敬太郎の友達という描かれ方をされていた須永、そして謎の女性としてできた千代子。

この2人の一種独特の恋愛関係を描きます。

割と力のこもった章であって、人物描写から従兄妹同士の結婚やエゴというテーマ性、各々の関係性まで全てが明らかになるようになっています。

須永は強いエゴをもった気難し屋として描かれており、一方千代子は天真爛漫で素直に感情的に言葉を発する女性。

たかりょー厳選!名文

敬太郎の気分の高揚の描き方

彼は机の前を一寸も離れずに、速達便の届くのを待っていた。そうしてその間絶ず例の想像を逞しくしながら、田口のいわゆる用事なるものを胸の中で組み立てて見た。そこにはいつか須永の門前で見た後姿の女が、ややともすると断わりなしに入り込んで来た。ふと気がついて、もっと実際的のものであるべきはずだと思うと、その時だけは自分で自分の空想を叱るようにしては、彼はもどかしい時を過ごした。

やがて待ち焦こがれた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息も継つがずに巻紙の端から端までを一気に読み通して、思わずあっという微かな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪漫的ロマンチックであったからである。

田口から送られてきた用事が書かれた手紙を開く前の、敬太郎の反応を描いた場面です。

須永の家以来、気になっていた謎の女=千代子が敬太郎のロマンチックな空想癖に火をつけて、感情の高ぶりとともに空想が膨らんでいく描き方うまいです。

そして、手紙を読んで見ると、彼の想像以上のロマンチックなことが描かれていた、という落とし方。

次を読みたいと思わせるのに最高の文ですね。

弱気男性の心をズバッと言い当てている名言

僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪られないだろう。その光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦められるにきまっている。

これは彼岸過ぎまでの文章で一番好きです。

女性の強さをスッと言い当てているような言葉。そしてそこに恐れと若干の敬意を示すような言葉。(敬意という部分は漱石が意図していない部分かもしれませんが、僕は女性の尊さのようなものを感じてしまいました。)

 

僕はいつも純粋に感情的に発言・行動している女性を見ると、「この人には勝てないなあ」と敬意のようなものが混じった感情が出てきます。

純粋でまじりっ気のない感情的な意見を話すとき、どれだけ理論的に説いても、意見を変えることをせず微動だにしないことがあるんです。

僕の須永の気持ちがわかって、ちょっと引いてみる性格であるため、ここまで自分の感情に純粋になれる人はやはり強いんだなあと思えるんです

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