夏目漱石『行人』のあらすじ完全決定版・テーマは?【感想文用まとめ】

こんにちは、年間100冊以上の小説を読むたかりょーです。

  • この記事は下記のような方におすすめです。
  • 「行人」ってどんなストーリーかを知りたい!
  • 漱石の作品群のなかで『行人』はどういう立ち位置なのか。

この記事を読めば、行人のことを網羅的に理解することができます。(他の記事は長くあらすじが書いてあったり、個人的な感想をダラダラと書いてあったりする)

 

行人をはじめて読んだのが、20代前半。

今僕は30代前半なので、ほぼ10年前とかになります。

 

当時僕自身、己に対してまた人生に対しても迷走していた時期だったので、一郎の猜疑心に強烈に共感した覚えがあります。

 

今回再読ではある意味、冷静に小説を読むことができましたし、客観的に作品に取り組めたので、一郎の苦難や葛藤も受け止めることができました。

『行人」ってどんな小説なのか?

夏目漱石の後期三部作で、名作「こころ」につながる2作品目です。

 

執筆期間としては下記の通り。

1912年12月から半年間執筆。

胃潰瘍のため5ヶ月(4月から9月)一時中断。

その後、1913年11月まで3ヶ月の間と執筆。

「友達」「兄」「帰ってから」「塵労」の4部からなる作品です。

「行人」のテーマ。人の奥の奥底の心は決して理解できない→孤独である。

行人は「人の心の奥底は不分明だ」ということ。

僕たちは顔や表情、しぐさなどで他人を「〇〇している」や「〇〇と感じている」と解釈します。

ところがその解釈とはあくまで「僕にとっての彼・彼女」にすぎず憶測です。

つまり「心の奥底で何を考えているのか?」という部分はつねにあきらかではなく、本人でない限りは、理解は不能です。

主人公の一郎も自分の妻の心が理解できず持ち前の猜疑心で、嫁の奥の奥の底にある本音をはかしてみたいと強く願っています。
そして精神病に煩わせて心のはばかりを取っ払うことで。

つまりわかるはずもないこころという人間迷宮にはまりこみ、それを理解しようとするがゆえに苦悩します。

彼は知識人であるからこそ、論理的にエゴイストであり、

行人の一郎の苦悩を通じて「私は他人のことが決してわからない」強烈に感じました。

「行人」の連想されるキーワードは?

  1. 「行人」から連想されるキーワード
  2. 結婚問題
  3. 貞操観念
  4. 猜疑心
  5. 人間の心の分からなさ、秘密
  6. 知識人と世間人との対比
  7. 大阪、和歌山
  8. 男性と女性

行人の登場人物

長野一郎

本作の語り手。

人当たりがよくよく俗っぽいところは父親に似ている。

熱しやすく性急ね面がある。

長野二郎

長野家の長男。学者であり、相当の勉学化。教員をしている。

遺伝や進化、つまり進化論が得意。

神経が鋭敏。

詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男。

元来正直な男で、かつ己のれの教育上嘘うそを吐つかないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男

  • 紳士としての態度
  • 普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった
  • 機嫌の好い時はいいが、考えことをしたり、旋毛が曲がったりすると、思い悩んだ顔をして口を利きかずいる
  • 朋友からは穏やかな性格と言われており、世間的には妻と円満な好侶伴を演じているところがある。

二郎の嫁。作中では「兄嫁」として表現されている。

一家からは冷淡で、夫に興味がないと思われている。

淋しい色つやの頬をもち、寂しい片靨(かたえくぼ)を真ん中に作る。

そして「わたしはどうでも構いません」と冷淡にいうことがある。

その反面、運命なら畏れないという気概もある。

世馴れた交際家。

軽薄なところがあり、一郎は心の底に反発心・不信感を抱いている。

引退した今日でも知合との交流は途絶えることなく続いている。(有名な人も勢力家はいない)

人を楽しませる逸話がある。

長い間わが子の我がを助けて育てている。

叔母は紀州家の奥に勤めていた。

一郎に対しては頭があがらず強いことが言えない。

反対に二郎には気をおく軽いノリで話すこともできる。

お重

一郎と二郎の妹。気性が荒く、ムキになる怒りっぽい。

裏表のない正直な美徳をもつが、子供っぽい感じ。

母より父親に愛されている。どちらも結婚させたいと願っている。

孤独の兄である一郎に同情あるいは理解を示している。(その兄に対して冷ややかな態度をとる兄嫁直への対抗意識が強く、嫌っている。)

お貞

岡田が用立てた佐野という男と縁談の話がある。

彼女の結婚問題は物語の中心テーマでもある。

佐野

お貞の結婚相手。『金縁眼鏡をかけたおでこ』と言われている。

H

兄の同僚であり、二郎の友達である三沢の保証人でもある。

精神病の不幸な女が死んだとき、三沢が冷たい額へ接吻したという話を一郎に伝える。(伏線)

行人のあらすじ

妻の貞操を疑い、旅先の和歌山で実の弟に「妻と一泊ともにしてくれ」と提案。
他人を信じることができず、猜疑心に苛まれる、一郎の心模様を通じて、人間のエゴイズムを描き出す。
兄・弟・嫂(兄嫁)という関係である一郎・二郎・お直を中心に、その家族と友人の心の有り様とその絡み合いが夏目漱石特有の絶妙な文体で描かれています。

行人の内容・ストーリー全体像

それでは下記にて、行人の詳細なあらすじを記載していきますね。

行人第一部 友達(1~33章)

たかりょー

「友達」は長野二郎と元書生であっ​た岡田とその妻とのエピソード、また友人三沢との病院でのエピソードが中心となります。

特に後半、入院先で出会った「あの女」のエピソードが短編小説かのように、とてもおもしろいです。

長野二郎は友人三沢にあうために、はるばる東京から大阪へやってくる。

三沢とは一週間前に高野登りすると約束し、母方の遠縁に当る岡田の家に連絡がくることになっていた。

岡田の家で連絡を待っていた彼であったが、当の三沢から連絡はなかった。

ある日三沢から遅れるかもしれないという手紙が届く。

二郎は母親からの言いつけで、お貞という下女の結婚問題を岡田と話すことになっていた。

岡田は佐野という人物を紹介して、結婚を仲介していたのだ。

二郎は実際に佐野と会い、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう。」「佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。お貞さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と、佐野と結婚を承認する手紙を母親におくる。

 

手紙を出し義務をはたした一郎は大阪を出ようと思っていた。ただ三沢からの頼りはとうとうこなかった。

一人で発とうとした矢先、やっと手紙が届く。

三沢は三日前には大阪に着いていたのだが、女芸者と酒を飲み、もともと胃腸の弱かった彼は胃を崩し、大阪の病院に入院していたのであった。

 

二郎は三沢を見舞うために彼が泊まっていた宿で宿泊しながら、何度も病院に行くことになる。

その病院で「あの女」と呼ぶ芸者が出てくる。彼女も三沢と同様に胃腸を崩して入院していた。

三沢は入院する前に彼女と茶屋で知り合っており、乱暴な言葉を使って無理に飲ませのが祟って、彼女の病をまねいたのではと気にかかっているようである。

「あの女」は潰瘍が激しく、吐血するほど病状は重く、弱い体はやつれはてて、死ぬかもしれないと言われていた。また芸者という身分で身持ちも悪かった。

三沢は「あの女」に興味を抱く一方であったが、ある日、院内を歩き回れるほど回復した彼は退院をすることに。

三沢は「あの女」を見舞うことになり、二郎からお金をかりて(二郎は岡田にお金をかり)、芸者に入院料を渡す。

二郎は三沢に対して、なぜそこまで「あの女」にこだわっているのかを聞いたところ、かつて同じ家に住み、精神を病み、今は死んだ「娘さん」に似ていたと話す。

行人第二部 兄

たかりょー

「兄」には真の主人公である一郎が登場します。彼は兄嫁の心の奥の奥底に隠された本音を知りたいと女の神秘性に苦しむ。兄嫁直と一郎との暴風の中の禁断?の旅行も読みどころ。

なお兄の章はざっくり分けると下記の3つで構成されていますのでご参考に。

岡田と大阪観光
4人の和歌浦の旅行
二郎と直、禁断の和歌山旅行へ!

二郎は退院した三沢を見送った次の日、見物のため大阪にやってくる母と兄と兄嫁を迎えるため同じ停車場にくる。

この大規模な旅行が実現したのは、

二郎の母が前々から折りがあれば関西方面(今日大阪)を見たいと言っていた
たまたま旅行資金ができた
書生の岡田から「こちらにきてはどうか?」と長野一家を大阪に招待
女中のお貞さんの結婚問題

これらが偶然が重なったためである。(だが母と兄嫁という異様な組み合わせになった理由は二郎には分からない。)

兄一郎は頭でっかちの学者であり、詩人的な良い気質をもつ空想家だ。(一家からは独特な思考により、変人扱いをされている。)

例えば口では大阪を知ってるように話すのだが、実際の地理の知識となると疎い。

だが断片的な光景からこしらえる空想は素晴らしく、「大阪の宿屋の夜の景色」という一つの光景からまるでいっぺんの絵画あるいは物語のようにイマジナリーを膨らませるのは詩人的な象徴であろう。(←この空想癖は後に彼を苦しめる片鱗でもあります)

 

滞在期間中、長野一家は大阪市内を岡田の綿密に練られたプログラムで市内観光をする。

またお貞さんの結婚相手である佐野との会見を済ますなどして2、3日を過ごす。

 

その後、大阪から出て有馬行を検討したのだがたち消えとなる。

そこで次の候補として兄の口から出てきたのが、和歌浦見物。

二郎自身は以前から観光したい名所の一つであった。

また母にとっては紀州家の奥に勤めていた叔母の幼少期の思い出から、一度は行ってみたい名所の一つであった。(また兄の気性を気遣って暑すぎる大阪から涼しい場所へ移動する必要もあった)

 

そんな和歌浦へ向かう途中、二郎は例の思い悩んだ時に見せる険しい表情に変わる。

二郎は兄の機嫌を変えようと、三沢から聞いた美しい精神病の「娘さん」の不幸な話をする。

嫁いだ後に不縁となった夫と別れ、三沢の家に引き取られた後に、まるで三沢のことを慕っているかのように、外出するたびに「早く帰って来てちょうだい」といった女。

一郎は「三沢とお嬢さんの話をどう思うか?」と二郎に聞いてくる。

「お嬢さんが三沢に早く帰ってきてちょうだいといったのは、精神病の結果なのか、三沢のことを心から慕っていたのか、どちらかなのか」と。

分からないという二郎に対して一郎はこういう。

俺は心から慕ってでた言葉だと思う。なぜなら精神病患者だとするなら、世間的な義理やなどは女の頭からすっかりなくなるからだ。

そしてこういい放つ。

「ああ女も気狂にして見なくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」

 

岡田が用意してくれた和歌浦の旅館で一晩過ごした次の日。

一郎は突然東洋第一エレヴェーターに2人きりで行こうじゃないかと誘う。

そしてエレヴェーターに乗りながら「どこか二人だけで話す所はないかな」と探していたが近くの茶店の女から、権現様(現在でいうところの神社『紀州東照宮』)という場所をきき、そこに向かう。

 

権現様にて。

涼しい風を浴びながら涼んでいると、一郎は二郎に少し話があるといい、突然こう言い放つ。

「直はお前に惚てるんじゃないか」

そして続けて

「俺はお前を信用していうんだがな、直には貞節に疑いがある。だからお前に節操を試して貰いたい」

そしてその方法として、和歌山に二人きりで旅行し一晩泊まってくれ、と提案をします。

薄気味の悪い心持ちとともに、呆気に取られた二郎は道徳的に考えられないと断る。

それに対して兄はいう。

「おまえひとの心が解るかい、目の前にいて、それも最も親しみあるその人の心を知らなければいても立ってもいられない、こんな気持ちにかられたことがあるか」

「あちらがわざと考えさせるように仕向けて来るんだ。おれの考え慣れた頭を逆に利用して。」

食い下がる一郎に対して、二郎は逆らいきれずに渋々のうちに彼の提案を承諾することになる。

 

二郎は兄嫁と二人っきりで和歌山の日帰りへ旅行へ。

和歌山に着くとひどい暴風雨にあい、やむをえず、2人は一晩泊る。

 

二郎は兄嫁に対して「兄さんに対してもう少し親切にしてあげてください」と頼む。

そして兄嫁はこんなことをいう。

「冷淡と思われているかもしれないけれど、私はこれでも兄さんにはできる限り親切にしているわ」

そして「私はふぬけなのよ。ことに最近では魂の抜殻ぬけがらになってしまった」と泣きながらいう。

そのときの和歌の浦は暴風雨に包まれていた。電話も通じなかったため、二人は結局一泊することになる。

男女の関係になることなく無事に朝を迎える。

 

「あら本当よ二郎さん。妾死ぬなら首を縊くくったり咽喉のどを突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌きらいよ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」

 

「死ぬなら雷に打たれるとか、大水に攫われるとか、派手な方がいい。」と言ったり、停電していたとはいえ、二郎の前で帯を解いたり、「ここへ来て手で触ってごらんなさい。」と言ってみたり、かなり挑発的な言動をします。

 

料理屋にいる間に激しい雨が降り、電話も通じずに結局二人は一泊することになってしまいました。

二人の間には何も起こらず無事に朝を迎える。

「事が複雑なだけに、何から話して好いか解らない。だから東京に帰ってから話させてくれ」と伝える。

では詳しいことは東京に帰って体として、容量だけ教えてくれろと頼む一郎に、二郎はこういいます。

「姉さんの人格について、疑うところはまるでありません」と。

そして4人は実家の東京に帰ることになる。

 

行人第三部 帰ってから

たかりょー

物語は二郎、兄の一郎、兄嫁直、母が和歌山・大阪から東京の実家に帰ってきてからの物語。二郎家の一家の身内事情を描きつつ、物語の最奥である兄の「内なる世界」への序章になります。

東京に帰宅した当初は、兄夫婦の仲がどうなる事かと心配していた二郎だったが、これといって変わった様子もなくいたって平穏な生活が続く。

ただ夏から秋へと季節が移り変わっていく中で徐々に、兄の例の疑惑の心が深まっていく。

「おれは講義を作るためばかりに生まれた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心の人間らしい心持を、人間らしく満足させる事ができなくなってしまったのだ。」

兄は周囲から徐々に孤立をしていき、彼の雰囲気は孤独と寂しさに覆われはじめる。

「二郎おれは昔から自然が好きだが、つまり人間と合わないので、やむをえず自然の方に心を移す訳になるんだろうかな」

季節が移り変わっていく中で、例の「兄の猜疑心」と「自然偏愛」が深まっていく。

 

実家には社交的で人上がりがよいが軽薄な父親、気の強い娘のお重、女中のお貞がいる。

物語の前半は長野家のお家事情が中心となって語られ、例えばお重が兄嫁へもつ敵対心や、二郎・お貞含めた一家の結婚問題が描かれる。

 

その中で父親が語るこの章で最も印象的なエピソード、『友人(後輩)をめぐる過去の逸話』=『女景清』の逸話が始まる。(11〜19)

 

それは交際家である父親が謡の場を設けて「景清」という演目を演じた席でのこと。

その場には客人二人と二郎、そして兄夫婦がいた。

その時、兄が「さすがに我も平家なり物語り申し」という言葉に批評を設けていた時に父大家が「大変興味のある話があるのだが、ちょうどその文句を世話に崩して、まるで景清を女にしたような事実な話がある」と語り出す

 

『友人をめぐる過去の逸話』

父親の二十五六年前、まだ下級官吏(腰弁時代)のことで、後輩の男性(以降何某くんという)と知り合いがいた。

その何某くんというのは、好い人間で世間のことを何も知らない可愛い坊ちゃん。

消極的だからか、なかなか恋愛できずにいた。

だがそんなある日、彼と同じ年齢の積極的な女性と出会い、そして恋に落ちる。

彼らは二人は許嫁として、結婚の約束をする。

しかし彼らの関係は、夏の夜の夢のようにはかなく、現実問題が彼らの前にはあったーー

何某くんは親の脛をかじりながらも未来有望な書生。

かたや奉公をしている貧しい女中の身。

彼は10年20年先を思い浮かべた時に、急に怖気付いて後悔し始める。

そして婚約を破棄してしまうのだ。

その時か彼はこのようにいう、「僕はまだまだ勉強をしなくちゃならない。だから結婚するのも35歳、36歳にならなければしないのだ。だからやむをえないので婚約は破棄してもらいたい」

 

さてここで話は終わると思いきや、皮肉にも運命が彼ら二人を近づける。

それは婚約を破棄してから、20年経過した後の出来事。

 

東京の名人会で偶然二人は再会をはたす。

だがかの女性は変わり果てて、盲目となっていた。

彼女は目が見えないため、彼には気づかずにただ舞台から流れてくる音楽に耳を傾けている。

「男は始め自分の傍に坐る女の顔を見て、過去二十年の記憶を逆さに振られたごとく驚いた。次に黒い眸をじっと据すえて自分を見た昔の面影が、いつの間にか消えていた女の面影に気がついて、また愕然として心細い感に打たれた。」

 

何某かは突然の邂逅を果たした後に、彼女のことが気にかかった。

そして彼の代理として「様子を見てきてくれ」という頼みから、父がこの女性と会見をする。

そこで彼女は父親に聞くのである。

結婚の約束したのは、周囲の事情から圧迫を受けてやむをえず断ったのか、もしくは自分の気に入らないところがあったため破棄したのか。と

実は彼女は二十年以上も友人の何某の胸に隠れている秘密を掘り出したくてたまらず、長年苦痛が続いていた。

「彼女には天下の人がことごとく持っている二つの眼を失って、ほとんど他から片輪扱いにされるよりも、いったん契ちぎった人の心を確実に手に握れない方が遥に苦痛なのであった。」

(これはあたかも直から冷淡な態度をとられ、謎と化していた兄一郎と同じ境遇。つまり「心の奥底にある秘密がわからない」煩悶と同じである)

それに対して、父は「本人に軽薄なところはちっともない。僕が請け負う」と父は好い加減な返答を返した。

一郎は父の軽薄な言葉に冷笑する。

 

ある日、二郎が一郎の部屋で話している時のこと。

「直と旅行に出かけた時のことの報告をいつまでも待っていた。ところがお前はいつまでもそらとぼけている」兄に問い詰められる。

 

二郎は兄嫁との話をするのが苦痛で、自ら避けていたのではぐらかし、

 

兄が求める話を拒否するだけでなく、兄が善良な夫であれば兄嫁だって善良な夫人であると戒めるようなことをいってしまう。

「馬鹿者!お前は父親と同じく、世渡りがいいが、士人の交わりができぬ、軽薄時が!」

と二郎の軽薄な態度に兄は激怒する。

 

兄との言い合いとなった事件後、一週間ほど口を聞かなくなる。

この事件をきっかけに、家にいるのがいよいよ嫌になった彼は、とうとう長野家を出て一人暮らしをする決意をする。

 

行人第四部 塵労

冬が終わりを告げて、彼岸・春となった頃。

兄嫁が墓参りのついでに二郎の家に訪れる。

 

その時、彼女は兄との関係がいまだ良い方向に向かってないと聞かされる。(兄嫁が帰った後に彼女の幻影を見ることになる)

さらに父が二郎の元に来て、上野に連れてかれ、昼の食事を撮った後、そのまま実家に連れてかれる。

 

実家で、二郎が家を出てからも兄の気分が晴れることなく、つねに陰鬱の霧を濃くしているようであった。

その点、父母も困っていたが、二郎は兄に旅行させるのがよかろうと伝え、一郎が唯一心を許しているHさんに頼むことにする。

 

それで三沢の元に二郎は行くのだが、その三沢からも兄が講義中に辻妻の合わないことをいい、どこか茫然自失のかんがあるという話を聞かされる。

 

春が終わりを告げる頃、雅楽稽古状の案内が届く。

 

二郎は、なんとか兄を旅行に連れて行くようにHにとり結び、さらに旅行中に兄の様子を手紙で教えてくれと頼む。

 

そしてHと兄が旅行へ旅立つ。

 

二人が旅行に出かけて十日ほど経過したある日、Hから手紙が届く。そしてその手紙には常人には計り知れない、兄の苦悩が綴られている。(これが俗にいう近代知識人の苦悩)

 

手紙には、Hと兄が対話により一郎の姿が描かれる。(沼津→興津→修善寺という旅路の中で)

 

手紙の中に綴られている主な問題としては下記。

・宗教観

・結婚観(結婚は女性をスポイルする)

・絶対即相対

・知識人の苦悩(自然との融和の憧れ)

行人の感想まとめ!

兄一郎の猜疑心と孤独【漱石文学のきっての登場人物】

一郎は後期三部作に共通する、悩み苦悩する真の主人公ですが、彼は漱石文学でも、強烈な特性・個性をもつ人物だと思います。

個人的に、一郎の性格をキーワードにまとめると下記の通り。

  • 疑いの人(猜疑心に凝り固まっている)
  • 近代頭で考えすぎる
  • 繊細
  • 孤独
  • 芯の髄はおそらく優しい

文学論的には、彼は『近代知識人の象徴』みたいな言われ方をしています。

当時の知識人は一郎と同じく、聡明な知性の影に、深い孤独と猜疑をまとっていたんだろうと思います。

もしかしたら漱石に関しても、一郎と同じ人物だったのかも、と僕は思っています。

 

さて一郎は妻の節操を疑い、自分の弟二郎に「妻と一晩泊まってくれ」と驚愕の提案があります。(直が二郎に惚れているという疑惑にもとらわれています。0

これは「異常な猜疑心からかきているのか?」と考えられますが、実は一郎の夫婦感からきているのでは?というのが僕の考えです。

例えば下記の一節を御覧ください。

自分は女の容貌に満足する人を見ると羨やましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分はどうあっても女の霊というか魂というか、いわゆるスピリットを攫まなければ満足ができない。ーーおれが霊も魂もいわゆるスピリットも攫まない女と結婚している事だけはたしかだ

彼は妻の直のスピリット・魂まで掴みたいと希求しています。

つまり「現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、いても立ってもいられないというような必要」にとらわれていてもたってもいられない。

さらにいえば「御前ひとの心(女の心)が解るかい」と疑惑の渦にとらわれて、「直を疑ぐる」ことしかできないのです。

 

一郎は「わたし」という視点から出ることがない

僕は一郎の際立った猜疑心は「わたし」という視点からでることができないためです。

つまり『わたしが解釈できる世界にとどまっている』住人なのです。

どういうことかというと、塵労の章ででてくる、「絶対即相対」という概念を持ち出しますが、すべてはわたしという確固となる自我の一点からすべてを掌握しようとしてます。

兄さんは純粋に心の落ちつきを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、すべての対象というものがことごとくなくなって、ただ自分だけが存在するのだと云います。

ではそれが可能かというと、他人とはわたしが解釈から逃げ出そうとする『他なるものとしての存在』であります。

他なるものは一郎を不安にさせるます。

そして直こそという他なるものです。(彼の野望を打ち砕くかのように他なるものは寂しい片えくぼを寄せて冷笑を続けます)

つまり直は「妻」という彼にとって最も近しい存在であるべき存在であり、一郎にとっては彼女さえも掌握できない事実。これこそ彼の無謀な試みは挫折せざるをえないのです。

他なるものは、解釈を許さないだけでなく、自分を解釈させようともしてきます。

「向うでわざと考えさせるように仕向けて来るんだ。おれの考え慣れた頭を逆に利用して。どうしても馬鹿にさせてくれないんだ」

不毛な試みを絶えず続けざるをえず、タンタロスの苦しみのように、永遠の飢えと渇きを約束させられる存在。

こういう解釈のもとでは、「一郎が直を愛しているか?」という議論はあまり適さないかもしれません。

つまり一郎にとっては、『他なる彼女を知り尽すため』の闘いなのであって、その満たされない渇望が彼女に向かわせ、彼女の不貞を疑い、暴力をふるい、自分を苦しめているのです。

彼は「自分が解釈できるものしか」信じられない男なのかもしれません。

直の神秘性・分からなさ・他者性

漱石文学を通じて「女性」とはあまりポジティブに描かれることはあまりありません。

三四郎の美禰子・彼岸過迄の田口千代子。
(もしかしたら漱石にとって、女性とは(特に結婚した女性)かなり厄介な存在だったのかも知れませんね)

 

本作の兄嫁直はどうかというと、作品中、終始さまざまな相貌を僕たちに見せてきます。

なので個人的には、正直「何を考えているか分からない女性」としての印象が強いです。

 

例えば下記。

嫂はそれでも淋さみしい頬に片靨を寄せて見せた。彼女は淋しい色沢いろつやの頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた。

嫂は平生の通り淋しい秋草のようにそこらを動いていた。そうして時々片靨を見せて笑った。

どこかはかない女性のような相貌を見せてきます。(これは二郎が直に対して同情ともつかないような、うっすらとした恋心があったからこのように見えていたのかも知れません)

 

とはいえ一方で、激しい感情化のような印象もあります。

例えば二郎と和歌山旅行に行った時などは、自分の死に際のことを語り、例えば津波にさらわれたい、雷に打たれたいなどとおおよそ一般的ではない死に方をしたいと話します。

そして二郎・あるいは男一般に対して語る、僕的には非常に恐ろしい言葉があります。

妾の方があなたよりどのくらい落ちついているか知れやしない。たいていの男は意気地なしね、いざとなると

あるいは女の不幸性を語る下記なんかは下記のように。

男は厭になりさえすれば二郎さんみたいに何処へでも飛んで行けるけれども、女はおすは行きませんから。- – – 妾(あたし)なんか丁度親の手で植え付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、 – – – 凝(じっ)としているだけです。

 

そして行人の中でも特に印象深い一説にぶつかります。

自分はこの時始めて女というものをまだ研究していない事に気がついた。嫂はどこからどう押しても押しようのない女であった。こっちが積極的に進むとまるで暖簾のように抵抗がなかった。仕方なしにこっちが引き込むと、突然変なところへ強い力を見せた。その力の中うちにはとても寄りつけそうにない恐ろしいものもあった。またはこれなら相手にできるから進もうかと思って、まだ進みかねている中に、ふっと消えてしまうのもあった。自分は彼女と話している間始終彼女から翻弄されつつあるような心持がした。不思議な事に、その翻弄される心持が、自分に取って不愉快であるべきはずだのに、かえって愉快でならなかった。

すべての女は、男から観察しようとすると、みんな正体の知れない嫂のごときものに帰着するのではあるまいか。経験に乏しい自分はこうも考えて見た。またその正体の知れないところがすなわち他の婦人に見出しがたい嫂だけの特色であるようにも考えて見た。

僕はこの直のわからなさというのは、女性の「魔性性」と「神秘性」というキーワードに繋がっていくのだと思いました。

(漱石の考える女性性なるものとは、こられの言葉に特に表現されているような気がします)

 

そして直自身も自分の中にある、自分を「魂の抜殻」で表現します。

二郎は当初は兄さんに対して親切にして欲しい、もうすこし積極的にして欲しいといっていましたが、抜殻な私なりに兄さんには親切にしていると泣きながらに訴えかけられ、同情することになります。

妾のような魂の抜殼はさぞ兄さんにはお気に入らないでしょう。然し私は是で満足です、是で沢山です。兄さんについて今迄何か不足を誰にも云ったことはない積りで

 

さてここで注意して欲しいのは、一郎はスピリット=魂というものを(つまり愛の永遠性・真実性)みたいなものを信じている点です。

そして直の心の奥底を知りたいと願い、それを探るために必死にもがいています。

しかしながら、直とは魂の抜殻なのであって、「心の本体を自分のものとしたい」と煩悶しても、掘っても何も出てこない井戸のようなもので、永遠に心をつかみかねる「他者」としての存在でしかないのです。

 

一郎はこの女性の本姓を知るには、理性が働かず自己制御できない形にまでしなければできないといわせます。

つまりこの言葉も直の理解不能性・不明性からくるわけなのです。

 

とはいえある意味で直も悲しいものであって、直は家庭のこまこました場合、「淋しい靨えくぼをよせて私はどうでも構いません」と投げやりな形で表現されます。

おそらく彼女も一郎からどこか愛されたいと思っているのかな?とちょっと思います。

つまり、ちょうど本章にも描かれている通り、夫婦とはこのようなものかも知れません。

したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、己の要するものを、要する事のできないお互に対して、初手から求め合っていて、いまだにしっくり反が合わずにいるのではあるまいか。(兄・十四)

これは二人の関係を描いているように見えて、実は「夫婦の関係の一般性」ひいては「不自然な関係性にて成立している男女の関係性」を漱石なりの考え方で述べているように感じます。

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