漱石『それから』のあらすじ・感想文・名文まとめ【テーマは略奪愛!】

たかりょー
こんにちは、年間100冊以上の小説を読むたかりょーです。
この記事は以下のような方におすすめです。
・「それから」をまだ読んだことがない。簡単なあらすじを知りたい!
・「それから」のどこを読めばいいのか(読みどころ・POINT)
・「それから」を読んだ人の生の感想。

今回ご紹介するのは僕の大好きな夏目漱石の「それから」。

それからは、1909年(明治42年)に発表された、前年発表の「三四郎」の「先」を描いたと漱石自身が述べています。

本を読み始めたのは、大学生からなのですが、夏目漱石は一番最初に興味があった作家としても記憶しています。

今では毎年何かしら夏目漱石の小説を読むようにするくらい、僕にとってはすごく大切な作家さんです。

「それから」はどんな人におすすめなの?

たかりょー
それからは読書感想文を書くにはとてもおすすめの一冊ですよ。その理由は以下の通り。
  • 漱石の中でも、「愛」というものを丁寧に感じがしている。現代に生きる僕たちにも学べることがたくさんあるから。

一言であらわすと?

それからがどんな作品か、わかりやすく一言で表すと、、、「略奪愛」

  • 裕福な家庭で育った高等遊民(ニート)の代助が、友人も親族も裏切り、社会的な非難も恐れず、愛する女性(人妻)を略奪する話

というところでしょうか。

僕は「愛」という部分は、過去の恋愛に埋没するに至るまでの過程

「それから」の連想されるキーワードは?

  1. 運命
  2. 義侠心
  3. 過去の恋(純愛?)
  4. 自然に還る⇦重要なキーワード
  5. 裏切り
  6. 私と他者
  7. 白百合の花
  8. 昔の結婚観
  9. 近代化の反省

代助と三千代が、過去の別れから再開し、そして破滅していく姿(社会的にですが)は、どうしても”運命”という言葉を連想せずにはいれません。

「それから」の、あらすじ要約

小説は全部で17章あります。

全体のあらすじとしては下記の通りです。

これから小説を読む人は、参考にしてください!

主人公の長井代助は30歳。
東京帝国大学を卒業してから、まともに働くこともせず、実家からの仕送りに頼り、音楽会や舞台を見にいったり、読書をしたりしながら、その日暮らしをしている。思索家であり、文化人気取りの代助は生活のために働く人間を軽蔑し、「楽という一種の美しい世界」にいることを誇りに思っている。そんなある日、代助の前に”過去”があらわれる。昔、義侠心から結婚をゆずった親友平岡と、その妻三千代。ふたりが東京にやってきたのだ。

平岡は会社の人間に裏切られ、人格が変わっていた。
三千代はそんな彼を支えようと努力しているようであったが、三千代と平岡との結婚生活がうまくいっていないことは明らかであった。

そんな状況を知った代助は二人を助けようとするのだが、とくに、三千代への同情の念が色濃く芽生える。

その同情の念はやがて恋情に変わる。

この恋情は彼女の結婚前から代助がずっと三千代に対して秘めていたものだった。
かつて三千代を愛しはしたものの、代助は平岡への義侠心から、彼女と平岡の結婚の取り持ちをしてしまう。

そんなとき資産家の娘(しかも美人)との縁談が取り決められる。

「自然」か「意志」かの選択で悩む代助。

破局を予想しながらも、愛を通して明治知識人の悲劇を描く・・・

「それから」の登場人物まとめ

それからの登場人物を紹介しますね。

長井家軸と平岡夫婦軸で構成されているので、下記にはメインとなる登場人物の概略を簡単にまとめておきます。

長井代助

本作の主人公。

30歳になってからも結婚もせず、定職にもつかずに、毎日のらりくらりと暮らしている。

いわゆる高等遊民。

月に一回実家からの仕送りで、現代で表現するところの、親の脛噛り!

平岡三千代(第2章に紹介あり)

本作のヒロイン。

代助の親友平岡のお嫁さん。

細面で色が白く、髪の毛が黒い。

切長で二重瞼(漱石の小説によく出てくる特徴)を持っている。

どこか寂しげな雰囲気をもつ(イメージは幸薄な感じ。。。)

東京を出てから、一人目の子供うむが、その子供は亡くしてから、原因不明の心臓病に。。。精神的に弱い。

血色が悪く、とても静かな性格なのだが、心の奥底に強い情念が宿っているタイプ。。。

平岡 常次郎(第2章に紹介あり)

元銀行マン。

代助とは中学時代からの知り合いで、当時は兄弟のように仲が良かった。いわゆる親友。

ただ銀行マン時代に、同僚の関という借金を背負わされ(関は芸者遊びで会社のお金を横領した)、さらに支店長から因果を含められて自分で責を負って辞職することに。

借金持ちと無職になった彼は東京へ戻ってくる。

住む家も粗悪な上、陽気であった人柄も変わってしまう。

長井誠吾(第3章に紹介あり)

代助とは対照的に、学校を卒業してすぐに会社で働く。

今では重要な地位を占める、お金にも困っていない。

いつも家に不在がちであるため、代助も日々どう暮らしているのか分からないほど、謎が多い。

性格は変わり者ではありながら、余裕のある感じで飄々としている。

父親とは違い、弟代助を批判することはなく、基本的に自由にさせてあげている。

ただ最後は、兄としての責務をはたすかのように、きつい言葉を伝えることになる。。。

長井梅子(第3章に紹介あり)

長井誠吾の奥さん。

15歳の兄は誠太郎と、3歳になる妹縫を育てる2児の母親。

代助を何かと気遣い、お金を工面してくれたりなど、彼にもっとも温かく接する。

とても優しい(甘い)性格の反面、時には厳しい。

代助には母親はすでに亡くなっているため、代母的な描かれ方をしている。

長井得(第3章に紹介あり)

明治維新のとき、戦争に出た経験がある。

役人を已めてから、実業界に進出。

かなりの富豪であり、世間的には大物(財産家)

自身の若い頃と、現代とは変わらないと思っており、

その昔型きな性格に対して、代助は反発や小馬鹿にしている向きがある。

口では代助を批判するものの、血肉の親子。

月一度お金を工面し、彼なりの優しさで、代助の面倒をみようとしている。

「それから」の読みどころは?【どんなポイントで読めば?】

本作の読みどころは、

代助がどう自分の人生を選択するのか?

です。

僕はこの観点から小説を読むと、めちゃくちゃ学べるものがあると思います。

 

現代に生きる私たちは、人生の選択は、割と好きなようにできますよね。

例えば、進路とか、就職とか、結婚とか、住む場所(国)とか。

 

日本という国は裕福ですから、社会的な制度はしっかりしていて、個人の権利も保証されています。

だから努力すれば誰でも『自立的』に生きることが可能なわけです。

 

でも反対に考えてみると、自由で自立的だからこそ、人生の選択は『重い』です。(選択次第で人生が悪く転ぶこともある)

(鈍感な人は、そこまで大きな責任も感じず、楽だな〜と生きてられる時代でもありますが)

 

主人公の代助の生きる1909年というのは、実は日本は激動だったのです。

というのも、

・1895年(明治28年)日清戦争、

・1905年(明治38年)日露戦争

と戦争に勝利。

明治維新前は文明が遅れた国、アジアの片隅にある小さな島国、だった。

でも日露戦争が終わり、西洋列強の一角として、日本をどんどん強く、大きくしようとする時代。

つまり、国の過渡期です。

ところが一方で、実態としては貧弱な日本がまともに列強諸国と肩を並べていくのは、あまりにも先走りすぎており、国内からの反発が多かったのは事実です。

当然変化が急激ですから、国はどう進むべきなのか、明確な方向性が定まっていません。

このような時代背景のなかで、裕福な家庭で育ち、高等な教育をうけた代助が、あえて働かないのは、おせおせどんどんの時代への反発とも考えられます。

 

思想も新しいものもあれば、旧態依然の古い価値観(地主同士の利害関係)もあったりと、混沌としている。

政略結婚なんて、今よりもめちゃくちゃあるわけで、結婚相手は自由に決めることもできないのはざら。

 

そのような社会的な価値観のなかで、代助はわりと僕たちの生きる現代人と同じ迷いの中で人生を選択しようとします。

例えば下記なんかは、彼の迷いの現れだと感じるわけです。

生涯一人でいるか、或はを置いて暮すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画はまるでなかった。只、今の彼は結婚というものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持てなかった事は慥である。

この考えって、現代に生きる僕たちからしたら不自然でもなんでもないですが、結婚は当たり前の社会においては、かなりアナーキな考え方です。

とはいえ、当時の社会判断のなかにいきる代助にもしっかりと迷いはあります。

梅子の云う所は実に尤である。然し代助はこの尤を通り越して、気が付かずにいた。振り返ってみると、後の方に姉と兄と父がかたまっていた。自分も後戻りをして、世間並にならなければならないと感じた。家を出る時、嫂から無心を断わられるだろうとは気遣った。けれどもそれが為に、大いに働らいて、自から金を取らねばならぬという決心は決して起し得なかった。代助はこの事件をそれ程重くは見ていなかったのである。

このような代助の気持ちをしっかりと感じて、自分だったらどんな選択するだろう?って考えて読むと、深い読みができますよ。

 

 

なので、どう自分の人生を設計していくのか、みたいなことは現実問題無理な話だったんです。

感想文・書評(3つくらい)

約400文字の読書感想文です。高校生や中学生の作者を想定しています。

【女子に非難必至!?】不思議と代助に共感できる。。。てか最後の選択はかっこいい!

代助は、現代でいうところの、世間知らずのおぼっちゃまです。

30歳になっても、定職につくこともせずに、親から経済的援助を受けながらその日暮らしをする。

その上、働いてお金を稼ぐ奴(=生活する人)は馬鹿だ、などという。

「僕の知ったものに、まるで音楽の解ないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寐ている。だから何所どこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来きようと聞きに行ゆく機会がない。つまり楽という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から云わせると、これ程憐あわれな無経験はないと思う。麺麭パンに関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐かいはない。君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者の積りだ」

世間的に懸命に働く人間をこきおろしながらも、自ら自分の選択に行動することもなく、自分の哲学・論理から一歩も外にでない。

頭はなまじ賢いから、自己の論理にがちがちに固められて、自由が効かなくなっている、そんな印象です。→頭でっかちなだけで、ダメ男な感じがぷんぷんしています。(僕なら友達にしたくないです)

 

正直、社会で頑張って働き、生きている人が、この小説を読んで、「彼の考えに共感できる!」という人は少ないでしょう。

 

でも僕は、ある一点で、彼がすごく羨ましく感じています。

それは、世間とか社会とか、関係なく『“運命”の人である三千代と生きることを選んだ』こと。

 

個人的には大好きな章があって、それは第14章の下記の文。

三千代と生きることを決めた時の名文です。

「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云った。
こう云い得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。
何故もっと早く帰る事が出来なかったのかと思った。
始から何故自然に抵抗したのかと思った。
彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。
その生命の裏にも表にも、慾得はなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった。
雲の様な自由と、水の如き自然とがあった。

そうして凡すべてが幸であった。
だから凡てが美しかった。

これまでは全てを先を送りして、すべての物に対して重きを置かないことを習慣としていきていた代助。理知的な人間なので、頭の世界(=論理の世界)でぐるぐる回っているだけで、そこから一歩も出ようとしなかった。

 

でも、彼は終盤になってはじめて、『自分を賭して選択』をするわけです。

それがたとえ「自分の友人の奥さんを奪う」という今も昔も最悪の決断をしたとしてもです。(この時代は奥さんは旦那の所有物だったわけなので、社会的からみると非人間的で轟々の嵐だったと思います)

それを「自然に還る」と表現するのは、すごい考えさせられます。

もちろん、僕は単純に、「不倫はいいんだよ」っていいたいわけではありませんよ!

とにかくに代助が、親や自分で選択し、行動したというところに、ちょっと感動をおぼえたわけです。

彼の選択によって、家族に勘当されるし、友達の関係も途絶えて、自分が一番否定していた、「労働」という選択をしてるんですから。

これに対して、漱石は全然肯定的な解釈をしているイメージはありませんが、僕は代助が自らの選択を自身で行ったことへの共感はあります。

時が人を変えていくのは確か

僕はふたりの関係が徐々に変わっていくのは、とても説明ことのように感じました。

平岡に接近していた時分の代助は、人の為ために泣く事の好きな男であった。
それが次第々々に泣けなくなった。
泣かない方が現代的だからと云うのではなかったーーー

代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪の念を催うした。
そうして向うにも自己同様の念が萌きざしていると判じた。
昔しの代助も、時々わが胸のうちに、こう云う影を認めて驚ろいた事があった。
その時は非常に悲しかった。
今はその悲しみも殆んど薄く剥はがれてしまった。
だから自分で黒い影を凝じっと見詰めてみる。
そうして、これが真まことだと思う。
已を得ないと思う。
ただそれだけになった。

代助の頭はあまりに判然し過ぎていた。
彼はこの境遇を以て、現代人の踏むべき必然の運命と考えたからである。
従って、自分と平岡の隔離は、今の自分の眼に訴えてみて、尋常一般の経路を、ある点まで進行した結果に過ぎないと見傚みなした。

ときというのは、とても無情であって、それが自己と社会のなかで、人は変わってゆく。

当たり前の話ですが、最終的には自分の友人の妻を奪うまでになってしまう。

これは運命=自然だったりするのでしょうが、ここに一抹の切なさを感じずにはいれません。

そうかんがえると、僕たちも時がたつにつれて、いろんな人々に出会いながら、ときには裏切られたり、悔しい思いをしたりして、自分の価値を変えずにはいられませんよね。

平岡もおそらく今の言葉でいうところの「社会に揉まれた人」なのでしょう。

自分の上司に裏切られて、とかげの尻尾を切られるような形で、責任を負わされて会社を辞めさせられる。

借金がかさばり、自分の親友からお金を借りなければならなくなる。

自分の嫁は子供を産むことができずに、心臓病を患う。

学生時分には前途有望だったのだろうと思いますが、成れの果てが、東京でも貧乏の人間が住むようなところで身をひそめるように生きている

ストーリーのなかに過去の物語を滑り込ませるのがめちゃうまい

僕が漱石の物語がとても好きなのは、直線的に進んでいる物語(春にはじまり、その夏に終わる)でありながら、突如として過去の回想がうまく紛れて、物語が重層的に幅をもっていく展開がめちゃくちゃ好きです。

これは次の「門」においても展開されます。

例えば下記の文なんかは絶妙な挿入の仕方をしていますよね。

平岡の事が気に掛るのではない、やっぱり三千代の事が気にかかるのである。
代助は其所まで押して来ても、別段不徳義とは感じなかった。
寧ろ愉快な心持がした。

代助が三千代と知り合いになったのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃であった。
代助は長井家の関係から、当時交際社会の表面にあらわれて出た、若い女の顔も名も、沢山に知っていた。
けれども三千代はその方面の婦人ではなかった。色合から云うと、もっと地味で、気持から云うと、もう少し沈んでいた。
その頃、代助の学友に菅沼と云うのがあって、代助とも平岡とも、親しく附合っていた。三千代はその妹である。 7章

ここでの展開は物語においては非常に重要です。

なのですが、この内容が展開される前段階では、全然その予兆なんかはない。

前日に平岡と働くことの議論をしたのち、湯にはいりながら、平岡の言葉を思い浮かべ、書斎にもどって休息していると、ふと三千代のことを思い出す。

ここの挿入エピソードにでてくる、三千代の兄は代助・三千代・平岡の三角関係が出来上がる前の話であり、代助と三千代にとっては、平岡とは別でつくっていた三角関係なのです。

を語る上でとても重要です。

個人的には

代助・三千代・菅沼→自然・理想・光・幸せ
代助・三千代・平岡→現実・暗

という象徴なのです。

そして前者の関係は菅沼という人物の死によって、終わりを迎え、そのまま後者の関係性のほうへうつっていきます。

つまり菅沼が死ななければ、不倫という形をとらずとも、自然に三千代との関係は

このような重要なエピソードをうまく小説の中盤に差し込んで、それが物語がすすむなかで重い影のように三人の関係にかげをもたせていく。

ここに漱石の小説家としての力量を感じずにはおれません。

最後の会見は読みどころMAX!

章としては16

 

Twitterのレビュー

代助と三千代の行動を肯定する意見

ラストの余韻は気になる。。。

たかりょー名場面・名文

百合の花、強い雨

この小説でとても印象に残っているシーンがあります。

それは、強い雨が降りしきる中、白百合の花の強い香りが立ち込める部屋で、代助が自分の過去に隠してきた気持ちを吐露するシーンです。

僕の存在には貴方が必要だ。何うしても必要だ。僕は夫丈の事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです

三千代自身も代助のことを愛していたのか、その遅すぎる告白に、「あんまりだわ」とハンカチを押し当てて泣く。

まるで西洋のロマン小説のような強い言葉に、おおお!と思わず感じました。

 

これまでわりとまず頭で考えて、理性的な行動をとっていたはずの彼。

でも友人を裏切っても、代助にとっては“運命”の人である三千代と生きることを選んだのは、男として羨ましいです。

 

家族・社会の非難の世界に飛び込んでいく選択をした後は、

ただ物語の余韻を考えた時、この先、代助と三千代がどうやって生きていくことが可能なのか、それは「幸」なのか、僕はわかりません。

果たして生きていけるのか心配になるくらいですね。

作中に西洋の男女の情話はあまりに露骨であるというくだりがありましたが、それと全く対照的な、慎ましく情感溢れるやり取りがとても素敵でした。

文明とは?と考えさせられる

現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我らをして孤立せしむるものだ。

この言葉は重いと思います。

社会⇨孤立した人間の集合というのは文明の暗黒面ともいえます。

僕たちが生きる現代も、発展し裕福である社会の陰で、家庭単位で孤立している人たちがいるわけで。。。

文明と社会と人間を深く考えさせられる言葉です。

作品概要を知りたい方へ

作品名それから
作家夏目漱石
出版日 1909年
概要前期三部作。位置付けとしては「三四郎」に続く、二作目。
1909~1910年にかけて朝日新聞連載。
構成全17章
映画化森田芳光監督で映画化。(1985年)
代助役は松田優作。

 

最後に

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