漱石『夢十夜』のあらすじ要約!【全十夜解説→感想文に使えます】

この記事は下記のような方におすすめです。

  • 「夢十夜」の解説を詳細にしてほしい!
  • 「夢十夜」のどこを読めばいいのか(読みどころ・POINT)
  • 「夢十夜」を読んだ人の生の感想。

について、説明します。

誰しも一度は見たことがあるけど、その実、未解明でよく分からない不思議なもの

それが夢です。

夢は古今東西文学的にも学問的にも題材としてはよく使われていて、例えばフロイトやユングは「人の無意識が現れ出たもの」なんかと言ってます。

今回紹介する漱石作品は、そんな摩訶不思議な夢を物語にした短編小説です。

目次

夢十夜ってどんな小説?【概要】

『夢十夜』は1908年7月25日から8月5日 にかけて朝日新聞で連載された連作短編。

「こんな夢を見た」という有名な冒頭の語り口から、10個の摩訶不思議な夢の世界を描いています。

夢で登場する時代は、漱石の生きた明治時代だけでなく、神代や鎌倉時代だったりと、時空間をさまざまに飛び越えます。

映画やドラマ化、またさまざまなアンソロジーにも使われるなど漱石の作品の中でも非常に人気が高い作品です。

また高等学校の教科書に掲載されています。

夢十夜は夏目漱石が何歳のときに書いた作品?

夢十夜は彼が41歳の時に書きました。

1908年当時漱石がどんな作品を発表しているかというと下記の通り、

  • 1月〜4月→『坑夫』
  • 6月→『文鳥』
  • 7月→『夢十夜』
  • 9月→前期三部作の最初である『三四郎』

1907年に東京朝日新聞に入社し、作家活動に専念しているので、その翌年の話ですね。

夢十夜を楽しむための読み方は?

ここでは夢十夜を楽しむ読み方について説明します。

漱石作品の中では高校の教科書になっているということもあり、非常に有名です。

でも以外に読むのが難しかったりします。筋に飛躍があったり、主人公の心情描写が書かれなかったりするからです。

なので楽しく読書をするには、読み方に対して、ある一定の態度みたいなのが求められます。

ここではそれを紹介します。

01.余白を埋めて楽しむ

夢十夜の語り手は基本的に「自分」です。

「自分」は自分のことであるにもかかわらず、物語内の出来事を正しく理解できていません。

あくまでも「夢」だからですね。

実際作品内では「であるようだ」というように、まるで、他人事のように書かれていたりします。

つまり、語り手である「自分」の解釈は必ずしも正しくはないのです。

だから読み手(=僕たち)は、「自分」が解釈しきれていない部分を「余白」として、そこを埋め合わせるように読んだほうがいいです。

02.筋を追うな!「つかみどころのなさ」を楽しもう!

全編を通じて言えることは、「つかみどころのなさ」。

展開が飛躍しすぎたり、描写が繋がらずオチがなかったり、「読みにくい!」と感じる部分もあります。

でもそもそも夢って、現実とは異なり、AからBと綺麗な道筋を通らないですよね。

だから僕たちが取るべき読む姿勢というのは、いかにも夢らしい物語を「曖昧さ」を楽しむことが大切なのです。

03.自分なり解釈してみよう!

曖昧さ=余白部分があるからこそ、自分なりの解釈を楽しめる作品でもあります。

ひとつひとつの作品は約3ページほどです。でもその短い文章の言説の裏側を読みとる努力をすれば、多くの解釈が可能です。

だから各々の夢には「どんな主題があるのか?」「〇〇はどういう意味なのか?」と、自分なりに「問い」を立て「関係」を構築・意識することで、いろんな読み方ができて楽しめます。

夢十夜の「夢」は創作かどうか?

作品に出てくる夢について、漱石自身が見た夢かと思う人もいると思います。

実際、純正な創作なのか?それ自体は謎として残されています。

一説では体験を虚構と想像力によって仮構した幻想小説で、独自の文明批評も鮮やかである。

ただ各々の夢は、漱石自身が書いているので、何かしら漱石の内面が反映されており、彼が生涯かけて取り組んだテーマも含んでいます。

夢という途方もないテーマを扱い、色々な解釈が可能だからこそ、明治時代に書かれた作品であるにもかかわらず、多くの読書の興味をひく作品になっているのです。

夢十夜のテーマは?

夢十夜は作品全体が「夢」という現象をベースにして、物語が作られています。

テーマとしては挫折感、恐怖、女の怖さ、虚無感、芸術といったさまざまなものがあります。

というのも、短編ひとつひとつに何かしらの異なったテーマがあります。

例えば第一夜なら「愛」であるとか、第三夜なら「罪の意識」とか、第七夜なら「絶望的な孤独」など。

そして、各作品は彼が生涯をかけて取り組んできたテーマに触れる部分があります。

夢十夜のあらすじ簡単【解説付き】

全章をお読みいただけます。

各夜に対して詳細に解説したページも用意しているので、そちらも合わせて

第一夜=100 年の歳月を待ち続けるロマンチックな話

「自分」は、「もう死にます」と死を予告する女から「死んだら、埋めてください、そして百年待っていてください」とお願いされる。

「自分」はただ待っていると答え、女はそのまま死んでしまう。

自分は約束通り、女の墓を作り、太陽が登り沈むを何度も見ながら、女の言葉だけを信じて待つ。

ところが女は約束どおり現れない。

「だまされたか」と思った矢先、真っ白な百合が一輪が咲く。

花へキスとし、遠い空に暁が瞬いているのを眺め、気づく。

「百年はもう来ていたんだな」と。

第二夜→「無」を悟ろうとする侍

和尚の室を辞して、自室へ戻ると行燈がぼんやりとともっている。

立膝をしたまま、左の手で座蒲団を捲めくくる、ちゃんとある。「あれば安心だ」

「自分」は和尚に馬鹿にされた。

侍であるにもかかわらず無を悟れないと。

「悟れぬなら、お前は侍ではない、人間の屑だ。口惜しければ悟った証拠を持ってこい」と言われている。

自分は侍である。だから悟らなければならない。

侍が辱められて黙ってはおれない。

悟って和尚の命が取るのだ。もし悟りを開けなければ切腹する。

「自分」は究極の二択を己に課す。

「自分」は悟りを開くために夢中になる。

短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それから全伽を組む。

そうして「無」について考える。

だが懸物が見える。行灯が見える。畳が見える。線香の香もする。

無だ、無だと念じても、残るのは感覚。

そのうちに頭が変になる。

行灯も蕪村の画も、畳も、違棚だなも、あってないような、なくってあるように見えてくる。

だが無は依然として現れない。

ただ座っているだけだ。

そうしているところに忽然と時計がチーンと鳴る。

時計が2つ目をチーンと打つ。

とうとう無に辿り着けずに終わる。

第三夜→我が子をおぶる男。ホラー

『こんな夢を見た。六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。…』

「自分」は田舎の畦道を、目の見えない子供をおぶって歩いている。子供は「自分の子供」である。

ただ我が子であるにもかかわらず異様な不気味さを感じる。

若干6才であるにもかかわらず、自分と対等かのように妙に大人っぽい口調で話しかけてくる。

そして、自分の心を見透かしたように、周囲の事柄を次々と言いあていくのだ。

どこか超越した感のある子供に恐ろしくなった「自分」は、子供をどこかに捨ててしまおうと考える。

歩くうちにいつしか山道から、森の中へ。そして一本の杉の木にたどり着く。

子供はこう言う。

「御父さん、その杉の根の処だったね、あなたがおれを殺したのは」

「今からちょうど百年前だね。」

その言葉で「自分」は思い出す。

100年前の晩に、1人の盲人を殺したことを。

その瞬間、背中に背負っている子供がずっしりと重くなるーー。

第四夜=爺さん✖️蛇

広い土間の真中に涼み台のようなものを据え、その周囲に小さい床几が並べてある。

白い髯をありたけにはやした爺さんが、一人で酒を呑んでいる。

「自分」は子供だ。爺さんは酒の加減でぽかぽかと顔が赤くなっているようだ。

この爺さんの年はいくつなんだろうと思う。

すると裏の筧から手桶に水を汲んで来た神さんがやってくる。

「爺さんはいくつかね」と尋ねる。

爺さんは「いくつか忘れたよ」と澄まして応える。

爺さんは手拭いを蛇にしてやるという。

手拭の周囲に大きな丸い輪を書く。そして輪の上を回って笛をぴいぴい吹いたりする。

「今にその手拭が蛇になるから、見ておれ」

だが手拭いは一向に動き出さない。

爺さんが真直に歩き出し、「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る、」

そうしてとうとう河の岸へ着くと、爺さんは河の中へざぶざぶ入ってしまう。

向岸に出てくるだろうと待っていたのだが、それきり上がって来ない。

第五夜=戦に敗れた侍の話【神代の話】

「こんな夢を見た」

時代は神代に近い昔と思われる。

「自分」は戦に敗れて生擒になって敵の大将の前にいる。

大将は「死ぬか生きるか」と聞いてくる。

「自分」は一言死ぬという。死ぬというのは屈服を拒むことだ。

その時代は恋もあった。

「自分」は死ぬ前に一目思う女に逢いたいという。

大将は「夜が開けて鶏が鳴くまで」なら待つという。

鶏が鳴くまでに、女をここへ呼べなければならない。

もし来なければ人目見ることなく、刀で殺されるのだ。

「自分」は夜が徐々にふけていく中で、草の上で女を待つ。

一方その頃、女は白い馬を引き出し、男の元へ駆けつけようとする。

遠く空は仄明るくなる。馬は闇の中をその明かり目掛けてひた走る。

すると真闇な道のばたで、突然コケコッコという鶏の声がする。 女は「あっ」と云う。

鶏が鳴いた。

女は手綱を控えて緊め、そして急に緩める。

馬は女を馬上から投げ出す。岩の下は深い淵であった・・・。

コケコッコというのは鶏の鳴く真似をしたのは、天探女(あまのじゃく)であった。

岩の上に蹄の跡が残っている。この蹄は、天探女は自分の敵である。

第六夜→運慶と掘り出し【鎌倉時代の話】

運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるのを自分含めて大勢の見物人が見ている。

どうやら鎌倉時代のように思われる。ところが見物人は自分と同じく、明治の人間である。

各は氷解している

「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」「へえ仁王だね。今でも仁王を彫のかね。仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」

運慶は頓着せずに、一心に鑿と槌を動かしている。

自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。

すると若い男が、「さすがは運慶だな。眼中に我々だ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみと云う態度だ。天晴だ」

「自分」は若い男を面白いと思う。「よく無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はいう。

若い男は彫刻とは「鑿で眉や鼻を作るんじゃない。木の中に埋っているのを掘り出すのだ」と言う。

掘り出すくらいなら「自分」でもできるだろう。

そう考えて家へ帰ってから、嵐で倒れた樫の木で試みてみる。

だが運慶にも仁王にも掘り当てられない。

「自分」は悟る。

「明治の木には到底仁王は埋まつていない」

そうして運慶が今日まで生きている理由も・・・。

第七夜→海へ身投げ。永遠の後悔と恐怖

「自分」は大きな船に乗っている。だが目的地はわからない。どこへ行くんだが検討もつかない。

船の男を捕まえて聞いてみた。「この船は西へ行くんですか?」

しかしとんとした返答もない。

「自分」は大変心細くなる。

そして船にいるよりはいっそ身を投げてしまうとまで考える。

乗り合いにいる人間は大勢いるようだが、みんな異質のようだ。

そうしてとうとう海に身を投げる。

だが身を投げたと同時に後悔する。

いつまで立っても水につかない。

そのうち船は通り過ぎる。宙ぶらりんになった男は「無限の後悔と恐怖」を抱いたまま黒い那美の方へ静かに落ちていく。

第八夜のあらすじ→「鏡」の世界の話

窓が二面と、鏡が二面の四角い部屋の床屋。

鏡は全部で6枚掛かっている。

「自分」は床屋の椅子に座って鏡を見ている。

鏡には自分の顔が写っている。その背後には窓があり、斜には帳場格子が見えている。

窓越しにはさまざまな人が往来を歩いている。

知り合いの庄太郎が女を連れて通る。女の顔はよく見えない。

豆腐屋が喇叭を吹いて通る。ほっぺたがハチに刺されたように膨らんでいる。

お化粧をしていない芸者も通りすぎる。島田の根が緩んでだらしない。顔の色艶が悪いようだ。

すると白い着物を着た床屋の亭主(大きな男)が後ろにたつ。

そして櫛と鋏をもって頭を眺めだした。

「自分」は「さあ、頭だが、どうだろう、ものになるだろうか」と亭主に問うが、返事はない。

そして髪の毛を切り始める。すると「表の金魚売をご覧になったか」と質問される。「見ない」と答えると、それぎり床屋の亭主は無言で、髪を切り続ける。

それからまた鏡に映る影を見続ける。

自転車の輪と人力の梶棒、粟餅屋が餅をつく音・・・

すると帳場格子のうちに、いつの間にか一人の女が座っている。

色の浅黒い眉毛の濃い大柄な女で、髪を銀杏返しに結っている。

女は10円札を数えているのだが、どれだけ数えても札が尽きない。

自分は茫然として女の顔と10円札を見つめていたのだが、白い男に「洗いましょう」と大きな声で話しかけられる。

椅子から立ち上がるや否や、帳場格子のほうを振り返ると、中には女の姿がない。

外に出ると、床屋が言っていた金魚売りがいたが、金魚売りはまったく動こうとしない。

代金を払って表へ出ると、金魚売りが、赤いのや斑の入や太った金魚を桶を前に並べて、その中を見つめてじっとしている。

「自分」がしばらく雑踏を気にすることもなく、金魚売りを眺めていた。

だが見ている間、金魚売りはちっとも動かなかった。

第九夜の要約⇨御百度参りする女の話

世の中がなんとなくざわついている気がする。

そんな今にも戦争が起こりそうな時代。

家では若い母と三つになる子供と暮らしている。

父親はいない。月のない夜に出ていったのである。

母は毎日夜になると小さいこどもをおぶって、土塀の続いている屋敷町を下り、お百度参りへ出かける。

そこでは戦に出ていった夫の無事を祈る。

夜中の神社では泣きわめく子供を拝殿にくくりつけて必死でお百度をふむ。

だがその祈りも虚しく夫はとっくの昔に浪士に殺されていた。

だが「自分」は夢のなかでこんな悲しい話を母から聞いたのである。

第十夜→好男子と豚の話

庄太郎が女に攫われてから七日目の晩。

ふらりと帰って来て、急に熱が出て、床で寝ていると健けんさんが知らせにやってきた。

庄太郎は水菓子の店先で往来の女の顔を眺めて、しきりに感心している。

ある夕方一人の立派な身なりをした美女が現れる。

身分のある人と見える。

庄太郎は着物の色と女の顔を気に入る。

美女は番大きな果物籠を買う。

好男子で女好きの庄太郎は、果物籠をお宅まで持って参りましょう、と同行する。

電車へ乗って、原へ出る。女といっしょに草の上を歩いて行くと、そこは断崖絶壁。

ここから飛びこんでご覧なさい、と女に言われる。

庄太郎は絶壁から底を覗き、辞退する。

女は「もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐なめられます」という。

命には替えられないと辞退を続ける庄太郎。

豚一匹が現れる。庄太郎はステッキで鼻面を叩く。

豚は崖から落ちていく。すると幾万匹か数え切れぬ豚が、群をなして庄太郎めがけてやってくる。

七日六晩目に豚をつつき続ける。

がとうとう力尽きる。

しまいには豚に舐められて、絶壁の上に倒れてしまう。

健さんは庄太郎の話をここまですると、「あんまり女を見るのは善くないよ」という。

「自分」もその話をもっともだと思う。

けれども当の健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいと云っていた。

庄太郎は助かるまい。そうしてパナマは健さんのものだろう。

旅館名「夢十夜」があるの?

神奈川県足柄下郡湯河原町には「夢十夜」から着想を得た文学温泉旅館があります。

館内は文学好きにはたまらない不思議な空間、例えば3,500冊を超える本が集まっていたり、鏡のレストランがあったり、天井からは本のランプがぶら下がっていたり・・・文学的な要素が溢れ出ています。

実は漱石は湯河原とは縁があって、漱石の最後の長編小説で未完の「明暗」の舞台にもなっています。

幻想小説って夢十夜だけなの?

漱石の作品はエゴイズムだったり、罪だったりと割と「人間の深い部分」を題材とするケースが多いです。

なので夢十夜のように幻想小説は珍しいですが、決して夢十夜だけではありません。

モノノケが出てくる「鬼哭寺の一夜」があります。

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この記事を書いた人

読書好きブロガー。とくに夏目漱石が大好き!休日に関連本を読んだりしてふかよみを続けてます。
当ブログでは“ワタクシ的生を充実させる”という目的達成のために、書くを生活の中心に据え(=書くのライフスタイル化)、アウトプットを通じた学びと知識の定着化を目指しています。テーマは読書や映画、小説の書き方、サウナ、アロマです。

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