大人になると、子供心を忘れてしまう。これって大人に共通することですよね。
だから、いざ子供と向き合う時、大人の一方的な尺度で物事を判断する。子どもたちには、子どもなりの言い分だったり、見え方・世界があるにも関わらず。
それを押しのけて、僕たち大人の価値観をおしつけてしまう・・・
子供の頃って、1日1日はなんか新鮮だったし、だからこそ小さな悩みは耐えなかった。そういうときに信頼できる大人たちに相談して助けられたこと結構あったなあ。でも反対に価値観を押し付けられて不快な気分になったなあ。
飛ぶ教室はこんな感じで、子供の頃の自分を思い出しながら、今の自分(=大人)の行動が果たして子どもたちに対して、公正で信頼できるものか?という点を考えられる作品でした。
今回僕が読んだのは池田香代子さんの翻訳作品です。
ちなみに、この作品、まじで泣けます。
飛ぶ教室ってどんな小説?【概要】
ドイツ作家エーリッヒ・ケストナー(児童文学者)の代表作です。
1932年に執筆し、1933年に発表されたドイツの児童文学作品です。
内容としてはクリスマスシーズンの寄宿学校(ギムナジウム)を舞台に、5人の少年たちの周辺で大小さまざまな事件が起き、それらを生徒たちが勇気をもって乗り越える成長期です。
子供向けということもあって、文章は平易。でも大人になったからこそ学べる発見が多い作品です。
飛ぶ教室はこんな人に読んでほしい
- 子供心を忘れてしまった大人たち
- 本当の勇気やかしこさとは?
- 無垢な子供時代を思い出したい
- クリスマス時期に読める本を探している
- 子供から大人まで楽しめる本を読みたい
飛ぶ教室が書かれた背景は?
『飛ぶ教室』が発表された1933年は、ナチスが政権を握った時代でもあります。
ナチス政権は自由な言論を統制し、政権批判をしたり、ユダヤ人の書いたりした書物は、「焚書」(本が焼かれる)されていたのです。
ケストナー本人はナチス政権に対して、批判的な姿勢をもっており、秘密警察に逮捕され、『飛ぶ教室』も焚書されました。
本作の中にも、強い政治批判みたいなのが数多く書かれています。例えば、下記の言葉は作者の当時の意見がうかがえます。
平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、 止めなかった者にも責任はある
また作中に、クロイツカムという生徒が、敵対する実業学校の生徒に監禁され、10分おきに殴打されそうなシーンがでてくるのですが、これは秘密警察の振る舞いを想起させます。
このように明らかに当時のナチス政権の時代背景を考慮して書かれている作品としても読むことができるのです。
(ちなみにケストナーはそんな仕打ちを受けながらも、母国ドイツから離れることをせずに、留まり続けました)
飛ぶ教室のテーマ=勇気と賢さの物語
それは勇気ある者と臆病な者の、 かしこい者とおろかな者の物語になる予定だ。
まえがきその2
かしこさのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のないかしこさは、冗談にすぎない
まえがきその2
上のまえがきにもあるように、飛ぶ教室は全編を通じて「勇気」と「賢さ」について、語られる物語です。
それは輝かしい英雄の行動などで伝えられるのではなく、幼いどこにでもいるような少年たちのエピソードによって表現されます。
例えば4つのときに実親に見捨てられたジョニー、臆病で勇気のないウーリー、貧困故に親子団らんのクリスマスを過ごせないマルティン、皮肉屋だけれど孤独を密かに抱えているセバスチアンなどなど。
このように彼らはおのおのが悩みや不安を抱えています。でも彼らはどんな状況であっても泣き言や弱音、人のせいにしたりすることはありません。
真正面から勇気を出して、立ち向かって克服しようとします。
彼らの勇気ある行動によって、全世界・全時代に共通する、人間がもつべき勇気と賢さが丁寧に描かれていくのです。
飛ぶ教室のあらすじ簡単要約
舞台はドイツ国のキルヒベルクにある、ギムナジウムのヨハン・ジギスムント高等中学。
時は1930年代のクリスマス直前。あと数日でクリスマス休暇が訪れる。
ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン。5人が主人公。
腕っぷしが強く仲間思いのボクサーを目指すマティアス、皮肉屋で冷静なゼバスティアン。少年たちは上演する劇「飛ぶ教室」の稽古に精を出しています。
その最中、ある事件が起こります。長年、敵対関係にあった実業学校の生徒たちの手によって、ギムナジウムの同級生が拉致され、大切な書き取りノートも奪われたのです。それは以前旗を奪って破かれたことの仕返しにーー。
5人は捕らえられた同級生の救出に向かい、やがて生徒同士の喧嘩・抗争に発展する。
その他、先生同士の友情やウーリーの勇気、マルティンの悲しい物語など。ドイツのギムナジウムに暮らす生徒たちがくりひろげるエピソードをユーモアを交えながら、生き生きと描く笑いと涙のクリスマス物語。
飛ぶ教室の登場人物紹介
飛ぶ教室にはいろんなユニークなキャラが登場します。
おのおのは個性的で、人間味があふれていて、非常に共感できます。
この章では人物像がわかるように性格など含めて紹介していきますね。
ヨーナタン・トロッツ(ジョニー)
天涯孤独。将来の夢は作家。クリスマス劇「飛ぶ教室」の作者。
ニューヨークで生まれる。父はドイツ人で、母はアメリカ人。
4つのときに父親に大西洋を渡る船に載せられ、捨てられる!(母はその前に父と喧嘩して家を出ている)
その船長の姉に引き取られ育てられる。10際のときにギムナジウムの寄宿舎に入れられる。
マルティン・ターラー
学年で一番の成績をとる優等生。五年生の主席。
絵を書く才能があり、劇では舞台・美術担当している。
家が非常に貧しい。(クリスマス休暇で家にかえる旅費が払えないくらい・・・)授業料半額となる奨学金免除をうけている。
両親のために10年後、両親を遠い異国の地につれていくゆめをもち、それを絵を書いている。
マティアス・ゼルプマン
将来ボクサーを目指している。劇ではペテロ役をする。
大柄で腕っぷしが強くいつも腹ぺこ。心根が非常に優しく、正義感もあり行動派。
友情深い性格なので、臆病者のウーリーを非常に大切にしています。
怪我をしたときも、自分が責任を感じてクリスマス休暇の間、ウーリーのそばにいたいといいます。
一度寝ると大砲をぶっ放してもおきない。
ウリー・フォン・ジンメルン(勇気のないことを悩む貴族出身のチビ)
貴族の出、ちびで勇気のない性格。 いつもおどおどしていてひ弱。争いごとが苦手。
クラスの通学生に紙くずカゴに入れられて、地図をぶら下げるフックに吊るされて「空中ブランコ」をさせられた。
素直で真っ直ぐな性格。そして意気地がないことを誰よりも自分自身が恥じている。
だから日頃から「勇気を持ちたい」と願っており、始終どうすれば勇気ある男になれるかを考えている。
パラシュート降下事件を起こし、生徒たちに見直される
セバスティアン・フランク
皮肉屋な性格である一方で、とても繊細な感性をもっている。実業学校の生徒たちと争った建設現場の戦いでは交渉人・参謀をつとめた。
読書家で遺伝子学など、難しい本ばかり読んでいる。
テオドール
気取り屋でかっこつけのテオドール。寄宿学校の9号室の室長。作品の前半、クリスマス劇の練習で体育館を使用しようとしたマルティンと喧嘩する。意地悪な性格で書かれているが、正義さんの過去を知ってからは改心し、心優しい室長になる。
正義先生(ヨハン・ベク)
ギムナジウムの舎監先生。生徒たちからは尊敬され、絶大な信頼を得ている。
その理由は彼の正義感と道徳観、そして温かい心があるから。
6章ではどうして舎監先生になったかが語られる。
禁煙先生(ローベルト・ウトホフト)
35歳くらい。学校の近くの市民菜園にある二等列車の禁煙車両に住んでいる。(禁煙さんの由来はここから)なおこの列車はドイツ帝国から払い下げてもらって、自宅用に改造している。
正義先生と同じく、少年たちからは愛されて慕われている。なぜなら子供心を忘れずに、彼の目線に立って話をする、子供のよき理解者だから。
「最後の骨まで亭」という酒場で毎晩ピアノを引いて身銭を稼ぐ。過去は腕のたつ医者であった。
本をどっさりもつ。
エーガーランド
実業学校生のリーダー。戦いのとき、ゆいつひとり約束を守ろうとする。
ハインリヒ・ヴァーベルカ
図体のでかい、がっしりとした男。実業学校生で喧嘩が強いキャラ。建設現場の戦いでは、マティアス・ゼルプマンと戦うも、コテンパンにやられる。自分が戦いに負けたのにも関わらず、人質を返さない(そもそも建設現場の戦いは、仲間と書き取りノートを取り返すために起こされた)といい、卑怯なやつ。
クロイツカム先生
いつも厳しい表情をしている。笑うことがないため、生徒たちはビクビクしている。ただ怖い表情をしながら、笑えるようなことを言ってくる。息子は実業団に拉致されて地下室に監禁されていたルーディー。
飛ぶ教室の読みどころ解説【フカヨミポイント!】
ここでは飛ぶ教室を倍楽しめるように、「フカヨミポイント」をご紹介します!
「ギムナジウム」ってなに?
本書の舞台であるヨハン・ジギスムント高等中学はギムナジウムです。
ギムナジウムとは小学4年修了した後に進学できる、九年生の高等学校(今で言う、中高一貫校)のこと。基本的にギムナジウムは、ドイツの大学進学を前提として入学します。
作品のなかでは一番年上が九年生という耳慣れない響きかもしれませんが、これはギムナジウム特有のもの(僕たちで言う高校三年生みたいなものですね。)
ちなみに寄宿学校というのも出てきますが、一種の住み込みの学校です。10歳から18歳とさまざまな年代の生徒たちが共同生活を送っていて、個々が抱える事情もさまざまです。
飛ぶ教室においても、親に捨てられた、貧乏で預けられた、といった辛い境遇の生徒も登場します。
飛ぶ教室の意味は?
飛ぶ教室はクリスマス劇の名前です。
五幕もので、予言的な作品。
未来の学校はどんなふうになっているかを描いたものらしい。
まえがきが大事!
飛び教室はとても長い2つの前書きと、1つの後書きとがあります。
どちらもケストナー自身が、物語の人物かのように登場し、自身の“考え”について触れています。
だから物語を理解するためには、非常に重要な章です。
そして、前書き(とくにその2)には、私たちを鼓舞するかのように、勇気とくじけない心をもつこと、そして賢さについて説明するメッセージがでてきます。
僕がとくに心動かされた文章を紹介しておきましょう。
不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。 しくじっても、しゅんとならないでほしい。 へこたれないでくれ! くじけない心をもってくれ!
まえがきその2
へこたれるな!くじけない心をもて! わかったかい? 出だしさえしのげば、もう勝負は半分こっちのものだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、ふたつの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。ぼくがこれから言うことを、よくよく心にとめておいてほしい。かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ! 世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。
勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。
まえがきその2
なんともまあ、心打たれ勇気を届けてくれる文章です。(名曲の歌詞みたいな感じ、しませんか?笑)
時代や生まれた土地が違っていても、これらの文章は、人類に共通する大切なことが書かれている気がします。
先程テーマの部分でも触れましたが、ケストナー自身が伝えたいメッセージは、この2つの文にしっかりと示されていると思います。
実業学校との因縁
本作では、実業学校の生徒と喧嘩するシーンがあります。
闘争の発端は、ギナジウムの生徒が盗賊団の旗を奪ったこと。そしてその仕返しにクロイツカムという生徒と書き取りノートを奪ったことです。
ギナジウムの生徒はそれらを取り返そうと実業学校へと向かったのです。
でも実はもっと深い因縁があるのです。
「この事件には、長いいきさつがあるんです。 実業学校の生徒とぼくらは、有史以前から対立しています。 十年まえから、もうこんな状態だったそうです。 これは学校どうしのけんかで、生徒のだれかがだれかといがみあってるとか、そういうことじゃありません。 生徒は、それまでの学校の歴史をひきつぐだけです。 」
このようにギナジウムと実業学校の両者は、昔から対立構造があったのです。
ここで面白いのは戦争についても同じことが言えるということです。
つまり学校=国、生徒=国民と置き換えた場合、戦争の発生とは、国民同士のいがみあい(因縁)ではなく、国家間の長きにわたる対立から発生する(歴史的運命性)がある、とも読み取れるのです。
正義さんと禁煙さんの友情
飛ぶ教室は、寂れた居酒屋でピアノを弾く禁煙さんと正義さんの熱い友情が読みどころ。
ふたりは子供の頃同じギナジウムの生徒で友人同士だったのですが、ある日離れ離れになってしまったのです。そこから何十年も会っていません。
正義さんはいつか会いたいと思っているのです。
ここで面白いのが、実はその友人こそ、禁煙さんなのです。つまり正義さんは、禁煙さんが近くにいることを知らないのです。
ただ正義さんの話を聞いた生徒たちは「正義さんの友人は禁煙さんに違いない」と感じとり、ふたりを引き合わせます。
そしてふたりが再開したときの言葉は非常に感動的です。
突然、正義さんがほうとため息をついて、木戸をあけると、禁煙さんにかけよった。 「ローベルト!」正義さんは、われを忘れて叫んだ。 「ヨーハン」禁煙さんは、友人に手をさしのべた。 ふたりの男の子が気づかれずにその場をはなれるのは、簡単だった。なぜなら、男の人たちは、降りしきる雪の中、まるで二本の石柱のように棒立ちになって、じっと見つめあっていたからだ。 「こいつめ!」と、正義さんは言った。「やっとまた会えたんだねえ!」
さらに感動的なのは、マルティンとジョニーは2人の感動的な再会を見届けた後、ひとことも口をきかずに、 手をにぎりあうシーン。
喜びは「やったー」とか声で表現するのが一般的ですが、無言でお互いの気持ちを伝え合う表現はとても素晴らしいです。
たかりょー読書感想
子供への希望について
飛ぶ教室でケストナーは、子どもたちに対して、あきらかに希望や期待を込めています。
例えば下記の文章は、子どもたちへの強いメッセージが感じられます。
いちばんたいせつなことを忘れないでほしい。 過ぎ去ってほしくない、いまこのとき、 きみたちにお願いする。子どものころのことを忘れないでほしい。きみたちはまだ子どもだから、いまそんなことを言われても、よけいなことのように聞こえるかもしれない。でも、これはけっしてよけいなことではないのだ。わたしたちの言うことを信じてほしい。わたしたちは年をとった。でも、若さは失っていない。わたしたちにはよくわかっている。 わたしたちふたりには
子供は、まだ純粋な心を持っている。ひとつの出来事に対しても真剣に取り組めるし、将来の夢にだって前向きに向かっていける。
そんな明るい未来の希望をもつ子供たちに対して、強い期待を込めているわけです。
ただし、ケストナーは子供時代が悩みもなく楽しくキラキラしているわけではないともしています。
どうしておとなは、自分の子どものころをすっかり忘れてしまい、子どもたちにはときには悲しいことやみじめなことだってあるということを、ある日とつぜん、まったく理解できなくなってしまうのだろう。(この際、みんなに心からお願いする。どうか、子どものころのことを、けっして忘れないでほしい。約束してくれる? ほんとうに?) 人形がこわれたので泣くか、それとも、もっと大きくなってから、友だちをなくしたので泣くかは、どうでもいい。人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。
だから本作では、子供たちの悲しみや辛いこと、苦しみも、楽しい文だけあると作品で描き出しています。
ケストナーは世界は「楽しいことばかりでない、辛いこともある、それ全てが僕たちが生きている世界である」と、子供たちへ伝えているのです。
信頼できる大人について
飛ぶ教室は、「信頼される大人ってなんだろう?」と非常に考えさせられます。
本作には禁煙さんや正義さんという、『子どもたちから熱く信頼される大人』が登場します。
ふたりに共通する特徴は下記のとおりです。
- 子供を子供として扱わない=ひとりの自立した人間として扱う
- 子供心を忘れない大人=大人としての権利を振り回さない
- お礼はちゃんと伝える
- 懐が広い
このなかでも僕は特に「公正な態度」というのは大事だと思います。
なぜなら子どもたちには、子供独自の世界やルールがあって、大人から見る世界から物事を判断すると、彼らを公正に見極めることができないからです。
その象徴が正義さんです。
例えば、実業学校の生徒との喧嘩によってギムナジウムの5人の生徒が無断外出をしたとき。
正義さんはやたらめっぽう叱りつけるのではなく、子どもたちへ規則について聞きながら、彼らがなぜ無断外出をしたのか、その事情を聞き、理解しようと努めたのです。
「こういうことについて、寄宿舎の規則にはなんて書いてあるかい? ウーリ」 「寄宿生は、外出時間以外に学校を出てはならない、です」ちびのウリは、おそるおそる答えた。「例外はあったかな? マティアス」と、ベク先生はたずねた。「はい、 先生 教員が学校から出ることを命じるか、 許可した場合です」「きみたちに町へ行ってきなさいと言ったのはだれだい?」「だれも」と、ジョニーが答えた。「じゃあ、きみたちに外出許可を出したのは?」「ぼくらは、許可なしに出かけました」と、マティアスが言った。 「待ってください」 マルティンだ。 「みんなについて来いと命令したのは、ぼくです。責任はぼくひとりにあります」「きみが進んで責任をとろうとしていることは、よくわかるけどね、マルティン」ベク 先生は、びしゃりと言った。 「そういう権利はやたらと使うものではないよ」
このようなやりとりを続けて、許可なく学校の外に出てしまったあとの処理についてじっくりと考えあったのです。
そして彼らが親友を助けたという素晴らしいことに対して情状酌量し、また外出許可をなぜ私に相談してくれなかったのか?とわたしはそんなに信用ならんか、と子供の目線に立ちながら会話を続けたのです。
このように、子供たちには子どもたちの事情があるわけで、それをまず聞く態度というのは、子どもたちから信頼される人間になるためには非常に重要なことなのです。
つまり、ケストナーは禁煙さんと正義さんという大人の理想像を通じて、信頼できる正しい大人を描いているのです。
【あわせて気軽に読んで!】その他、クリスマスの定番小説は?
飛ぶ教室にも、「おすすめクリスマス小説」を、読書家であるたかりょーがまとめました。
選んだ基準は、短時間かつ気軽に読めるもの。実際大半1日で読める小説ばかりですよ。
外に出るのは億劫だけど、心だけでもクリスマス気分を味わいたい方はぜひ読んでみてください!