この記事は下記のような方におすすめです。
- 「クリスマス・キャロル」の読みどころを分かりやすく解説してほしい!
- 「クリスマス・キャロル」のどこを読めばいいのか(深読みするポイント)
- 「クリスマス・キャロル」を読んだ人のリアルな感想。
について、説明します。
毎年クリスマスの時期が近づいてくるとかならず読む本。
それが、このクリスマス・キャロルです。
実際僕がこれまで一番呼んでいる回数が多い作品かもしれません。
何度読んでも、涙が流してしまう感動する名作です。
クリスマスに訪れる奇跡によって、人として生きる上で、大切にするべきことが学べます。
物語を通じてこんなに心が温かくなる小説ってないぞ、ってくらいおすすめです。
僕がよく読む訳は、越前敏弥さんと村岡花子さん訳です。
クリスマスキャロルってどんな小説?
クリスマスキャロルはイギリスの作家チャールズ・ディケンズが31歳のときに書いた中編小説です。
クリスマスを題材として、5篇の作品を集めた『クリスマス・ブックス』に収められた1篇。(その他は「鐘の音」「炉端のこおろぎ」「人生の戦い」「憑かれ男」)
1843年の秋に着想し、その年の冬に刊行されます。
刊行当時から人気が非常に高く、出版した年の12月24日クリスマスイブには初版6000部が完売。次の年には増刷されて、海を超えて遠くニューヨークでも出版されます。
当時ディケンズは『ピクウィック・クラブ』『オリヴァー・トゥイスト』『ニコラス・ニ クルビー』で、すでに成功をおさめた人気作家でしたが、『クリスマス・キャロル』によって、イギリスの国民的作家の地位にのぼりつめました。
ストリートチルドレンの施設で着想を得た小説
クリスマスキャロルは、ロンドンにあるストリートチルドレンのための施設『ラグド・スクール』を訪問したときに着想をえて書かれました。
慈善活動家としての一面を持つディケンズ。彼はそこによく訪問して、寄付を重ねていたのです。
そしてイギリスの労働貧困層といった当時世相だったり、自分自身の経験、またワシントン・アーヴィングやダグラス・ジェロルドといった作家など多くの影響を受けながら本作品を書き上げました。
クリスマスキャロルの書かれた背景や経緯とは?
19世紀のイギリスといえば、産業革命の真っ只中。
経済や社会が急激に発展し、工場労働も増えていきました。
国自体は世界の中でトップクラスの裕福さをもち、経済的に大成功を納めたのです。
ただその一方で国内に目を向けると貧しい者も増えていき、いわゆる『階級格差』が開いた時代でもあります。
工業化されたばかりの都市のスラム街で育まれていたのである。急速な工業化や都市化の影響を受けて、失業者の増加、疫病の流行
クリスマス・キャロルのテーマは?【改心物語】
クリスマス・キャロルはクリスマス奇跡を中心に、強欲なをもつ利己的な人間が、同情心のある優しい性格に返信する、いわゆる改心の物語です。
スクルージという強欲で嫌われ者が、精霊の超越的な力によって過去・現在・未来を旅し、失われていた本来ある“人を思いやる心=人間らしさ”を取り戻す、そんなストーリ立てになっています。
押さえておくべきポイントは、単なる改心の物語以上に、“人間愛”が強い作品であること。
つまり、よわき者の生活を助ける強者の物語でもあるのです。
そもそもスクルージは、貴族や上流ではないにしても、お金と財産を多く得て、この世では階級的には大成功を収めた階級に所属している、“富者”です。
物語のはじめの彼は“富者”という立場を存分に使って、強欲や搾取を続け、貧しい者=弱者は「怠け者」であるとレッテルを貼って、蔑んで、人間的な扱いをしていませんでした。
そしてクリスマス自体を貧しい者=弱者のお遊びであると軽んじていたのです。
本来のクリスマス精神を取り戻す物語
ここで重要になるのが、本来のクリスマス精神です。
スクルージーにとっては、クリスマスは楽しいお祭り的な出来事以上の意味を持っていなかったのです。
ですが本来クリスマスとは、弱者救済や慈善精神という宗教的な意義を帯びているのです。
スクルージーの甥であるフレッドはこのように述べます。
クリスマスは
「親切な気持ちで、人を赦してやりたくなり、善意が充ちてくる、心楽しい時期」
であると。
ということは、図式的にスクルージーという人物は、精霊たちによって強気が弱者を助ける本来あるべきクリスマス精神を取り戻す作品でもあるのです。
このようにまるでキリスト教の寓意的なニュアンスがあります。
クリスマス・キャロルを語るキーワードは?
- 人間愛を感じられる
- 助け合いの精神が学べる
- 人間は変われるんだ!
クリスマスキャロルのあらすじ簡単要約
明日はクリスマスという夜。
「スクルージ・マーリ商会」を運営するエビニーザ・スクルージ。
彼は強欲な人物で、お金持ちでありながらケチで意地悪なひねくれ者でした。
町中で賑わうクリスマスに対しても、「どこがめでたいんだ?」というばかりで、楽しむ者をみな軽蔑しています。
事務員のボブ・クラチットには、家族がいるのにも関わらず薄給で雇って小言のオンパレード。
たった一人の甥フレッドに対しても優しさなど微塵もみせない。
「親切な気持ちで、人を赦してやりたくなり、善意が充ちてくる、心楽しい時期」とフレッドが考えるクリスマスのパーティーの参加も毎年断っています。
さらに恵まれない人への寄付も、「怠け者」であると一周して、彼らを余計な人口という扱い、逆に減るべき人間であると断る始末。
クリスマスイブの夜、スクルージにある恐ろしい奇跡が起きます。
いつものように仕事が終わり狭苦しい自室に帰ってきた時、なんと7年前の12月24日に死んだ同僚マーリーが幽霊の姿になって現れるのです!
身体を重い鎖でつながれ、死のように冷たい目をしたなんとも哀れな姿ーー。マーリーは言います。「休息も、安らぎもない。絶えず後悔の念に苛まれている」
それというのも、生きていた時にスクルージと同じように仕事ばかりした生き方をしてきたから。そして忠告する。
- 「自分と同じ運命から逃れる機会と希望がある」
- 「スクルージの前に3人の精霊が現れてあるものを見せてくれる」と
そしてそれだけを告げて、姿を消す。
その晩、マーリーの予言通りスクルージの前に「過去のクリスマスの精霊」が現れます。そしてその夜から次々と精霊が現れて、「現在のクリスマスの精霊」、さらに「未来のクリスマスの精霊」と次々に現れる。
人間として大切なことを忘れてしまったスクルージは、時空を超えてめぐる旅によって、本来の人間性を取り戻すファンタジー作品。
【あらすじ詳しく】3つの精霊について
クリスマス・キャロルには過去・現在・未来という順番でクリスマスの精霊が現れます。
この章ではそれぞれの精霊たちがそれぞれスクルージに何を見せるのかを具体的に説明してきます!
過去のクリスマスの精霊
まずスクルージの前に現れた1人目の精霊。それは「過去のクリスマスの精霊」で1時の鐘がなると同時に現れます。
彼は見た目はまるで子供のよう。優しく語りかけてくれる精霊です。
過去の精霊は、青年時代のスクルージの姿を見せてくれます。
具体的には下記の3つですね。
- スクルージの淋しかった少年時代。学校では仲間はずれにされていた。陰気な部屋でひとり読書をし、アリハバという物語の登場人物を目の前にみるほど空想癖のある子供だった。親元を離れて学校に預けられていた?可愛かった今は亡き妹(実はフレッドは彼女の息子だった!)
- 若い頃、働いた場所の元の雇い主。彼はクリスマスパーティには家族も従業員も一緒になって盛大なパーティを開いて楽しませてくれる親切な人間であった
- お金の亡者に変化してきたスクルージ。たった一人愛した元婚約者が離れていく悲しい場面
- 元婚約者が幸せに暮らす家庭の場面。夫と交わされるスクルージへの憐れみとも同情ともつかないやりとり
強欲なスクリージも、過去は優しい心の持ち主であったのです。ただ、彼は金儲けに生を出すようになって人格が変わっていたのですーー。それを敏感に感じ取った婚約者は彼の元から離れていきました。悲しい結末ですね。
少年時代と働き盛りの時分の光景を目の当たりにしたスクルージは、忘れていた純真な気持ちを思い出すと同時に、忘れたはずの愛する唯一の婚約者を思い出したことで、あまりにも強烈な過去を目の当たりにし、「もうやめてくれ!」と叫びます。
現在のクリスマスの精霊
エベニーザの前に現れた2人目の精霊。それは「現在のクリスマスの精霊」でした。
緑の服を着た巨人の精霊です。
精霊はスクリージをクリスマスで賑わうロンドンの町につれていきます。
そこでは貧しい人々が貧しいながらも、工夫を凝らしてクリスマスを楽しく祝おうとする姿があります。
精霊はまず安い給与で雇う事務員のボブ・クラチットの家に連れていきます。
ボブ・クラチットの家は貧しいけれど温かい愛に包まれた一家団欒の温かい家庭生活が営まれています。ボブ・クラチットはいつもひどい扱いをうけるスクルージに対しても感謝をささげます。スクルージがとくに興味をひかれたのが、足の悪く小柄な末っ子ティム坊。
精霊は「ティム坊が余命が少なくこの先長くは生きられない」とスクルージに話し、彼は深い同情を覚えクラチットの家族を救うことを誓う。
だがクリスマスの前日に施しを拒んだ、『余分な人口が減って丁度良い』と同じ言葉を聞かされ、自分の過ちを指摘されます。
そしてその後は甥のフレッドの家に彼を連れていきます。
そこでも、家族の愛に満ち溢れた食事会が開かれています。甥のフレッドは、過去に登場した大好きだった妹の息子です。フレッドは叔父のスクルージに対して同情の念とともに、楽しいクリスマスを一緒に祝えないことを残念に思っています。それからは楽しくも賑やかなパーティーの模様が語られます。
スクルージは心がほどけてまるでその場にいるかのようにはしゃぎちらします。
そしてあちこちを見て回った彼は、疲れ果てて深い眠りに 落ちていく。
未来のクリスマスの幽霊
エベニーザの前に現れた3人目の幽霊。それは「未来のクリスマス」
彼が見せた町の様子からは、誰かが死んだらしいことは最初から分かります。
その死んだ人物は町では相当嫌われ者であったらしく、多くの人々がその男の死を心から喜び、まるでお祝いのように盛り上がっている。死への同情ひとつ生まれません。
そしてその人物の死床へ連れて行くのですが、周りから憐れまれることもなく暗い寝台の上で、なんともさびしい姿で一人で横たわる死体。精霊は次にその無残な男から寝具など金目になるものを盗んだ盗人の自慢話をきかせます。
そして最後に見せるのは衝撃的なものを見たスクルージ。
クリスマス・キャロルの登場人物紹介
エブニゼル・スクルージ
スクルージ・アンド・マーレイ商会のオーナー。マーレイの唯一の遺言執行人、遺産管理者、財産譲受人、相続人で、友人、会葬者。
恋愛はバカたもの、おそらく結婚していない
拝金主義・ケチの守銭奴で陰気臭いひとつづきの部屋で一人で暮らしている。(過去にマーリーがすんでいた)
守銭奴レベルで言えば、例えばジェイコブ・マーレイの葬儀においても布施を渋るだけでなく、死者があの世でお金に困らないように施す冥銭(めいせん)を持ち去るほど。
人付き合いも一切さけている。事務員には厳しく当たり散らして安月給で働かせる。たった一人の甥に対しても皮肉ばっかり浴びせる。
冷たい性格で、孤独なひねくれ者。近隣の住民から話しかけられないどころか、犬にすら逃げられる。
自分の面倒をしっかり見て、 他人のことに首を突っこまずにいれば、それでじゅうぶんだ。
生活困窮者は刑務所か救貧院にでも送り込めば良いのだと思っている。
しかし物語が進むにつれて、孤独な少年時代や、純粋だった青年時代のあったことが明らかになる。
スクルージを表現した文章
ああ!だがスクルージときたら、がちがちの締まり屋だった! 絞りとって、ひわりとって、もぎとって、こそげとって、ひったくる、強欲で罪深い老人だ! 火打石のように硬くとがっているのに、いくら鉄片を打ちつけても、気前よく火花を散らしたためしがない。秘密主義で、人付き合いをきらい、自分の殻に閉じこもる姿は孤独な牡蠣のようだ。体内から染み出る冷たさのせいで、皺くちゃの顔は凍りつき、とがった鼻はしびれ、頬はしぼみ、足どりはぎくしゃくとしている。目は赤く血走っているのに、薄い唇には血の気がなく、きしんだ声で口にすることと言えば意地の悪いことばかり。頭と眉と、細く鋭い顎には、真っ白な霜がおりている。スクルージの行く先々で、つねにこの冷たさが付きまとった。事務所は真夏にも冷えびえとし、 クリスマスの季節にしても、温度計がひと目盛りでもあがることはなかった。 外が暑かろうが寒かろうが、スクルージには無縁だった。日差しからぬくもりを得ることもなければ、冬の寒さに震えることもない。どんな風よりも辛辣で、降りしきる雪よりも執念深く、土砂降りの雨よりも冷酷だ。どんな悪天候も、スクルージには 太刀打ちできなかった。激しい雨や雪や雹や霙がスクルージにまさると自慢できる。
ジェイコブ・マーレイ
「スクルージ・マーレイ合名会社」の共同経営者であるとともに、スクルージの相棒・世界でたった一人の友人。
だが7年前のクリスマス・イブの死んだ。
7年後のクリスマイブにスクルージの前に亡霊として現れる。顎が胸まで垂れ下がった恐ろしい姿になって。ドアの釘に劣らず、間違いなく死んでいたはずなのに・・・
体は透きとおって、地獄のような空気をまといじっと動かない虚ろな冷たい目を持つ。
また生前の拝金的な生き方が祟ってか、体には金を象徴する金庫、 南京錠、帳簿、権利書、鋼でできた重そうな財布が連なった長い鎖を引きずっている。まるで尾のように垂れてとぐろを巻いている。
生前の行いを激しく悔いている。幽霊となってスクルージの前に現れ、これから過去、現在、未来の幽霊が訪れてくることを伝える。
同じ顔。まさしく、あの顔だった。髪を後ろで束ね、いつもの胴着にタイツとブー ツを身につけたマーリー。ブーツの房飾りも、束ねた髪も、コートの裾も、額のまわ りの髪も、すべて逆立っている。
スクルージが遺言執行者、遺産管理人なのでおそらく家族や親類もいない。
ファン故人。(過去)
スクルージの妹。明るく元気な天真爛漫な少女。「大好きなお兄ちゃん」と叫ぶ!
風に吹かれればしおれてしまうようなか弱い女の子。
大人になってから亡くなってしまった。
フェジウィグ故人(過去)
スクルージが若い頃に見習いで丁稚奉公していた先の老紳士。
博愛の心をもち、陽気な性格。
毎年楽しいクリスマスパーティを開く。
フェジウィグと同じ陽気さをもった明るい奥さん、そして娘が3人いる
フェジウィグ関連の名言
精霊殿。あの人(フェジウィグ)は、おれた ちを幸せにすることも不幸せにすることもできる。 仕事を軽くすることも重くすることも、楽しくすることも苦しくすることもできる。その力はことばや表情に宿っているんだよ。数えあげられないほど細かいこと、ささやかなことに宿っている。だから どうしたって? あの人がみんなに与えてくれる幸せには、ひと財産ほどもの価値がある 62,63 第一の幽霊
ディック・ウィルキンズ(過去)
丁稚奉公時代のスクルージの同僚。
スクルージによくなついていた。
スクルージの婚約者(過去)
子供の頃からの知り合いで将来結婚しようとしていた許嫁。
お互いに心を通わせていた頃はいつか世間並みの楽しい生活を送ろうと約束していた。
だがスクルージが働き盛りの頃、徐々に金銭を求める強欲な人物になっていき、心が離れて別れてしまった。
そしてその後、他の男と結婚をし、スクルージとは叶えられなかった世間並みの幸せを手に入れる。
ボブ・クラチット(現在)
「スクルージ・マーレイ合名会社」の事務員。
スクルージに「いつでもやめさせられるぞ」と脅されたり、小言を言われたりするが文句も言わずに働いている。。
薄給(週給15シリング)で妻と子を養っている。貧しいながらも心は温かく慎ましい生活を続けて、暖かい家庭に恵まれている。
家族たちの食事会ではスクルージのために対してもお祝いしよう乾杯しようと言い出して、家族のひんしゅくを買買う。
特に病弱で足の不自由な末子のティムを愛でている。
ティム坊(現在)
クラチット家で一番下の子。
足が不自由で松葉杖をついている。(足には鉄輪を)
余命わずかで、スクリージの同情を受ける。
スクルージの甥で結婚している。スクルージの亡き妹ファンの子供。陽気で愉快な男で叔父とは対称的で温かな心をもつ性。クリスマスは1年のうちで特別な日だと思い、感謝をのべる。クリスマスのたびにスクルージを、自宅で開かれる祝いにスクルージを誘う。叔父のことを慕っている。
トッパー(現在)
フレッドの友達。わびしい独身男。
クリスマスパーティーでは、フレッドの奥さんの姉妹を狙う
とくにぽっちゃり娘を追いかけまわしている。
フレッド(現在)
スクルージの甥で結婚している。スクルージの亡き妹ファンの子供。
陽気で愉快な男で叔父とは対称的で温かな心をもった性格。
クリスマスは1年のうちで特別な日だと思い、感謝をのべる。
クリスマスのたびにスクルージを、自宅で開かれる祝いにスクルージを誘う。叔父のことを慕っている。
フレッドの妻(現在)
スクルージの義理の姪。驚いたような顔をしてえくぼがある可愛らしい女。
物事を中途半端にしない性格で、スクルージに対しても手厳しい評価を与える。
ジョーじいさん(未来)
貧民窟で、鉄くずなどを買い取る店を開く。
クリスマス・キャロルの深読み・読み解きポイント
ジェイコブ・マーレイは分身関係?
この小説のポイントは、ジェイコブ・マーレイとスクルージの二人の関係を正しい読み解くことです。
スクルージはジェイコブ・マーレイの同僚という関係だけでは、一心同体の相棒、つまり分身関係・片割れということ。
ディケンズは作中で明らかにジェイコブ・マーレイとスクルージの二人をまるで同一人物として扱っています。
スクルージをスクルージと呼ぶこともあれば、マーリーと呼ぶこともあったが、スクル ージは両方の名前に返事をした。どちらでも同じことだったのだ。
ここで重要なのは、スクルージが死んだ恐ろしいマーレーの姿を見せつけることは、『現在における未来(死後の世界)』を予言している点です。
つまり、スクルージの前に己の分身であり、片割れであるマーリーが現れるのは、死後の己自身を予言的に先回りして見ていると同じことなのです。
だからこそ幽霊という姿で現れた事実よりも、「自分も死んだらこうなるのかも?」という恐怖を強烈に感じていたに違いありません。(最初に信じていなかったにしても)
なぜスクルージは強欲になったのか?
スクルージは強欲な人物として描かれていますが、なぜ強欲な性格になってしまったのでしょうか。
過去の精霊で見る限り、かつてのスクルージはこころは純粋であったにも関わらず・・・
読み解きのヒントとなるのが、第1の精霊で元婚約者がでてくるところにでてきます。
あなたのいろんな希望は世間に蔑まれたくないというただひとつの願いに呑みこまれてしまったのよ。あなたの尊い志がひとつ、またひとつと失われて、金儲けという巨大な欲があなたを支配するようになるのを、わたしは見てきた。
ではなぜ「金儲けという巨大な欲」に飲み込まれたのか。
それはそもそものはじまり、つまりスクルージの少年時代にさかのぼります。
彼は親元を離れて寄宿学校に預けられた過去があります。家は貧しく孤独な少年。
「楽しい休暇をすごしているのに、またしてもひとりで取り残されている」と作中には書かれているとおり、親との関係は良好といえるものではなく、その寂しさを紛らわせるためにも、彼は読書という空想の世界に逃げることがしばしばでした。
そしていじめられっ子でもあるので、世間的には完全に弱い側の人間だったのです。(寄宿学校の校長から高圧的な態度を取られている点を踏まえると、少年時代のスクルージは学校内で物静かで意見を言わないような臆病な性格だったのだと思います)
これをふまえると、彼は過去の寂しく貧しいという体験を克服しよう金儲けに走った読むのが妥当でしょう。世間に蔑まれ続けた人生を残り越えようと、働きに働き、お金をもとめ、不自由もない暮らしをしようともがいていたのです。
上記を踏まえると下記の言葉なんかは、スクルージへの同情はいや増すばかりでしょう!
貧乏人にはとことんつらくあたっておいて、そのくせ富を追い求めようとすると、これ以上ないほど手厳しくこき下ろすんだからな
だが彼は懸命に働いた一方で、「黄金の偶像」をあがめるようになり、欲には欲をということで、金儲けという巨大な欲に飲み込まれてしまったのです。
金儲けという悪魔と契約してしまった彼は下記のように表現されています。
スクルージの前に、またしても昔の自分の姿があった。さらに歳を重ねて、働き盛りのころだ。その顔に後年のきびしく険のある皺はまだ刻まれていなかったが、 気苦労と強欲のしるしが見えはじめていた。激しい強欲をたたえて落ち着きなく動く目は、深く根をおろした執着と、それがやがて落と 影を宿していた。
スクルージの過去をしれば、婚約者とのやりとりはとても悲しく同情にあたいします!
なぜなら元婚約者の願いは、金儲けに目がくらむ前のスクルージととも、「貧しくても、心は満たされていた、こつこつ勤勉に働いて、いつか世間並みの暮らし」ができればいいという素朴な願いをもっていた。でも変わってしまったのです。強欲にとりつかれてしまった別人になった今となっては。
なんと悲しいことでしょうか!
過去の自分を乗り越えるために懸命に働いた結果、それが仇となってしまったのですから。
「自分でも、昔とはちがうと感じてるんでしょう」女は言い返した。「わたしは変わらない。わたしたちの心がひとつだったときに幸せを約束してくれたものも、心が離ればなれになったいまでは、惨めになるだけよ。わたしがこのことをどれほど繰り返し真剣に思い悩んだか、いちいち言うつもりはない。しっかりと考えた結果、わたしはあなたを自由の身にしてあげる。それでじゅうぶんよね」
なぜスクルージは改心したのか?
クリスマスキャロルは、改心物語ですが、小説を深読みするなら、その事実をただ受け入れるだけでなく、「なぜ改心したのか?」まで考えるといいです。
解釈は実際複数あると思っていますし、読んだ人の数だけあるかもしれません。
僕は下記の2つが理由です。
- スクルージはそもそも純粋な心をもっていた。精霊による過去→現在→未来という洗礼がきっかけになった。
- 改心による、死後の救いを求めた
前者について
前者については、過去と現在と未来の役割を改めて振り返ったほうがいいです。
- 過去→反省という役割。純粋な心をもち、些細なことでも心踊り立ち楽しんでいた若き日。強欲にとりつかれた原体験とともに、過去の分岐点なった場面をみせる
- 現在→本当の幸せとは、何かについて学ばせる。身近なフレッド、ボブ・クラチットの家庭生活を目の当たりにすることで。
- 未来→最後の警告。もし拝金主義者としての人生を今後も歩もうとするならば、誰からも愛されないまま死ぬぞ。そして「マーレイ」のように悔恨に蝕まれてさまよい続けるぞ!
後者について
後者については、端的に「恐れからの回避行動」です。
つまり、このまま人生を送るとマーレイになるかも、という恐怖からの逃れです。
先程も述べましたが、マーレイは彼における分身ですから、彼の死後の姿は未来を予言しています。
マーレイの幽霊がでたときに、執拗に彼は脅され、苦しめらます。
「わたしには、休むことも、とどまることも、のんびりどこかをぶらつくこともできない。」
「休息も、安らぎもない。絶えず後悔の念に苛まれている」
まるでハムレットのようですよね!そしてマーレイは諭すように叫びます!
「ああ! 囚われ、つながれ、手かせ足かせをはめられた身よ」幽霊は叫んだ。 「不死の者たちが長い時間をかけて不断の努力を重ねても、その善がこの世で実を結ぶ前に永遠に帰してしまうことを知らずにいるとは。クリスチャンの心を持ち、それぞれのささやかな世界で誠実に働く者たちが、どれほど世の中の役に立ちたくとも、かぎりある命では短すぎると嘆いていることを知らずにいるとは。ただ一度しかない人生の道を誤れば、どんなに後悔しても取り返しがつかないということを知らずにいるとは!わたしもそうだ! そう、わたしもそうだったんだ!」
これをきいたときにスクルージは衝撃を受けたに違いありません。
なぜなら、マーレイは、「俺と同じで仕事が出来るやつだった」んだから。
「だがジェイコブ、あんたは仕事ができる男だったじゃないか」 スクルージは弱々しく言いながら、幽霊のことばを自分にあてはめて考えはじめていた。 「仕事!」幽霊は叫んで、握り合わせたこぶしにあらためて力をこめた。「人間こそがわたしの仕事だった。あらゆる人の幸福こそ、わたしの仕事だった。人を慈しみ、 人を助け、人を許し、人を愛することは、すべてわたしの仕事だった。商売の取引な
ど、自分のなすべき仕事に比べたら、大海の一滴にすぎない!」
「自分にあてはめて」とあるように、スクルージは、マーレイ=自分という図式で捉えています。
そしてふたりは同じ価値観のもと生きてきました。
それは金稼ぎにつながる「仕事」がすべてだったのです。なぜなら、世間的に勝ち組になるために。弱い己に打ち勝つために。
穏やかな日常を過ごす人たちを『怠け者』と一蹴し、施しなぞ『怠惰の証』とばかりに馬鹿げたものであるとし、善行を顧みず、一心に働いてきたのです。
スクルージにとってあくまで、それが正しいと思っていたです。ここが大切です!スクルージはスクルージなりに人生に真剣に向き合っていのたです。「善行を積む時間があるなら、働け!己で人生を切り開け!戦え!怠け者共」という価値観のもと彼は生きてきた。現代の言葉でいうなら、仕事人間になりますよね。
だから彼は決して悪くないのです。だって別に犯罪を犯しているわけではなくて、ビジネスしてお金をどんどん生み出しているだけなのですから。そしてなによりも自分の価値観に基づいて生きていただけなのですから・・・
- ただこうした生き方はキリスト教的には、世俗的な生き方として否定され、ディケンズはあくまでキリスト教的な価値観、つまり「隣人愛」や「徳を積む」ことこそ、人生における大切なことだ、と考えているので、スクルージのようなエゴイスティック的な生き方は決して許されるものでありません。
とはいえ、自分が信じて歩んできた道のりと、同じ人生を歩んだマーレイがこんな恐ろしく哀れな姿になってしまっている。そして人生まで後悔しているとは!!
「鎖でつながれてるが」 スクルージは震えながら言った。「それはなぜだ」 「これは生前、わたしが自分で作った鎖だ。この輪をひとつ、またひとつとつなぎ、 一メートル、また一メートルと長くしていった。おのれの自由な意思でこれにつながれ、自由な意思でこれを引きずっているわけだ。この鎖の形に見覚えがないか?」 スクルージの震えは増すばかりだった。
「それとも」幽霊はつづけた。「おまえが自分に巻きつけている鎖の重さと長さを知りたいと言うのか? 七年前のクリスマス・イブには、もうわたしと同じくらい重く、 長い鎖だった。そのあとも、おまえはせっせと作り足してきたんだ。たいそう重くて立派な鎖だよ!」
この言葉に対して、スクルージは恐怖に打ちのめされたに違いありません。
先程行ったように、「あんな姿自分もなるのか?」と想像しただろうからです。
つまり改心という点で考えた場合、
・マーレイとのはじめのやりとりがあった
・彼がいうように過去と現在と未来の精霊がほんとうにあらわれた。だか
この2つの事実があったからこそ、改心につながるのです。
だからこそマーレイがいうように、人に施したり、人と交流することが、死後の救いのためには必要だったのです。
「人間同士、互いに心を通わせて、広く遠くまで歩きつづけねばならない。 命あるあいだ、おのれの内に閉じこもっていた魂は、 いやおう死後に外へ出る定めを負うている。否応なく世界をさまよい歩きああ、なんと惨めなことか!この世でなら人々と手を取り合い、幸せに変えられたかもしれぬも」
そしてディケンズも「人間同士、互いに心を通わせて、広く遠くまで歩きつづけねばならない」という生き方こそ、人間的であると考えていたのだろうと思います。
そうしてその気持を忘れずに生きれば、「この石に刻まれた文字(死者の名前)を消すことができる」と思ったわけです。
たかりょー読書感想・分析
自我の復活・再創造・軌跡の物語
クリスマスキャロルは、人生の再創造の物語とも読めます。
人はある時点における人間性はその時点のものでしかなくて、再創造のチャンスはいくらでもあるという点。
そして再創造という部分では、真逆の性格にもなりうるのです。
それはどんなきっかけで起きるかはわかりません。
スクルージの場合は、「お金がすべて」「人間嫌い」「守銭奴」という性格が、マーレと精霊に出会いきっかけに180度かわりました。
これはキリスト教的には奇跡と呼ぶかもしれません。
「人の進む道の先には、なんらかの結末がある。ふるまいを改めなければ、かならずそこへ行き着く」スクルージは言った。「でも、その行路をはずれて、ちがう道を進んだら、結末も変わるはずだ。」
どんな行いをしようとも、過ちを改めれば最後の結末は変わってくる。
私たちもスクルージーのように生まれ変わるチャンスはいつ巡ってくるかわかりません。だから今の自分は固定的なものではなく、未来へ向かって跳躍できる存在である、と信じた生き方は大切ですね。
メタ分析的な小説である
クリスマス・キャロルは「己をどう客観的にみるか」という視点の大切さに気付かされます。
僕たちは「過去自分はどんなことを大切にして生きいたか?」こういうことは荒々しい現実の影に描かれて見えなくなってしまっています。
スクルージは精霊の超越的な力を借りて、高い位置から自分を見つめ直すことができました。
ただ僕たちの生活に置き換えると、それは難しいですよね。
でも自己反省的に俯瞰的に見つめなおすことってかなり大切だと思います。
作中でいうなら、ところどころ、現実のスクルージが吐き捨てた言葉を、スクルージ自身が否定するところがあります。例えばスクルージが「ティム坊が死ぬのか?」と精霊に訪ねて、「残された生はわずかだ」といったときのこと。
「もしあの子が死にそうなら結構じゃないか。余計な人口が減るだけ」
このように己を発言に対しても、反省的な目で見ることが大切で、現実に埋没している自分から離れて、物事を俯瞰・客観的に眺めるべき視点をもつ必要があります。
過去の名作と似通う部分がある
これはあくまでもたかりょー的な分析にすぎません。
例えば、話の展開的にダンテの神曲に似ています。
ダンテの神曲は、人生の迷人ダンテが、詩人ウェルギリウスという案内のもと、地獄から煉獄を経て天国の世界をみてまわる形式です。
そして迷人ダンテ(世俗的な人間)がウェルギリウス(超越的な人間)に質問し、それに動的的な解を出すという形で展開されます。
本作においてもスクルージ(世俗的な人間)が、精霊たち(超越的な人間)によって現在・過去・未来という世界に連れられて、質疑応答形式で展開されるケースがしばしばあります。
例えば下記。
「精霊殿」スクルージは少し考えてから言った。 「あれこれの世界のあらゆる存在のなかで、なぜよりによってあんたが、人々から罪のない楽しみを取りあげようとするんだ・・・日曜になるたびに、貧しい人たちから食べる手立てを奪おうとしてる。ましな食べ物にありつける、週にただ一度の日だというのに。そうだろう?・・・日曜は安息日だからって、パン屋やほかの店を閉めさせようとしてるじゃないか」スクルージはつづけた。「そうなれば、貧しい人たちは食べられなくなる」・・・「おまえが暮らす世界には」 精霊は答えた。「おれたちの知り合いだなどと言い張って、自分の欲望、傲慢、悪意、憎しみ、妬み、強情さ、身勝手からやったことを、おれたもの名で正当化しようとする者がいるが、そんなやつらはおれの親族縁者のだれとも関係ない。それを忘れるな、責められるべきはそいつないんだ」
このようにスクルージは素朴に人間的な質問を、精霊に問いかけて、精霊が本質をついたような回答をする。
その回答とは、道徳的であり、キリスト的な寓意が紐付けてられているのが特徴ですね。
あとハムレットにも構造的には似ています。
マーレイが最初に登場して、スクルージに警告を発する。そして未来の予言的な発言をする。
これはハムレットが、死んだ父親から助言される形式に似ていますね。
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