デフォー『ロビンソン・クルーソー』あらすじ・感想を一挙公開!【完全版です】

この記事は下記のような方におすすめです。

  • 「ロビンソン・クルーソー」のあらすじを知りたい!
  • 「ロビンソン・クルーソー」の読みどころを分かりやすく解説してほしい!
  • 「ロビンソン・クルーソー」から学べることって?(感想文用に使いたい)

『ロビンソン・クルーソー』は「孤島に漂着した一人の男の波乱万丈の物語」。いわゆるサバイバル物語であり、ちょっぴり男のロマンもある作品。

ロビンソン・クルーソー(=無人島に流れ着いた主人公)は海賊に襲われ、だれもいない孤島に漂着。そこで家を建てたり、家畜を飼ったり、麦栽培をしたりと、自らの手で生き残るための術をみつけ、不屈の精神で生き抜きます。

世界初の近代小説と呼ばれて、時代を超えて多くの人々に愛され続けてきた名作です。

本記事では、「ロビンソン・クルーソー」のあらすじを紹介しながら、深読みについて解説したり、学んだことを伝えたり、豆知識を教えたり、なんかしてます。

目次

ロビンソン・クルーソーはどんな小説?【概要】

「ロビンソン・クルーソー」は、イギリスの作家ダニエル・デフォーが1719年4月25日に発表した小説です。

正式名称は長くて、『ロビンソン・クルーソーの生涯と不思議な冒険(正式名称:ヨークの船乗りロビンソン・クルーソーの障害と奇妙で驚くべき冒険)』です。

当時、ウィリアム・ダンビアの『新世界周航記』が流行しており、航海記の人気が高まっていました。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は、当初はふつうの航海記として読まれ、爆発的なベストセラーとして売れたわけではありませんでした。実際に、その本格的なベストセラーとしての成功は19世紀に入ってからのことです。

この本は、八折判のサイズで5シリングという良心的な価格設定で販売され、当時流行していた航海記のブームに乗って広く読まれるようになりました。

イギリスの小説家ダニエル・デフォーとは?

ダニエル・デフォー(1660-1731)は、『ロビンソン・クルーソー』や『モル・フランダース』などの小説で特に有名な作家ですが、彼はイギリス古典主義時代における多様な職業を持った「天才悪党」の代表的な存在でした。

デフォーはロンドンで生まれ、商人、レンガ製造業者、税務吏などの職を転々としました。彼は国教会を批判する論文を執筆したことが原因で投獄された経験もありましたが、出獄後は雑誌の発行やジャーナリストとして活躍しました。そして59歳のときに初めて小説『ロビンソン・クルーソー』を発表し、大評判となりました。その後も『疫病流行記』『ロクサーナ』など、数々の傑作を著しました。

デフォーは『ロビンソン・クルーソー』の主人公と重ねられることがありますが、彼自身はピューリタン信仰心を持つイギリスの独立自営農民、つまりヨーマンの心情を持つ人物とされることがあります。しかし、実際にはデフォーはロンドンの肉屋の息子で、上流社会になりたいという願望を持っており、フランスの上流社会のような自分を演じようとした人物でした。『ロビンソン・クルーソー』においても、無人島での農業だけが取り上げられることがありますが、物語の冒頭ではロビンソンはイギリスの港町ハルを飛び出して、海外で成功を収めることを目指し、最初に手を染めたのは奴隷貿易であるとされています。

ロビンソン・クルーソーのあらすじ

商人の家庭に生まれたロビンソン・クルーソーは、父の期待に反し、冒険心に満ちた人生を求めて、船乗りとして航海に参加。

ロンドンから出向してアフリカはギニアで商人として一儲け。海賊船に襲われて捕虜になり、脱出して助けられた船に乗ってブラジルに行き、農園を所有しまた一財産をつくる。再び航海に出たところで彼の乗っていた船が嵐に遭遇し、彼は絶海の孤島に流れ着きます。

孤島に取り残されたロビンソンは最初は絶望的な状況に陥りますが、次第に自らの知恵と工夫を駆使して生活を築くことを決意。

食料はみずから確保し、自らの手で住居を建て、野生動物と戦いながら一人で生き延びていきます。

ある時、無人島の近隣に住む島の住民が捕虜を捕えていることを知ります。彼は人道的な心から、捕虜の中にいた一人を救出します。その捕虜こそ、後にロビンソンの忠実な下僕かつ友人となるフライデーでした。フライデーの登場により、ロビンソンの孤独な生活に変化が生じ、互いに助け合いながら生きていく姿が描かれます。

『ロビンソン・クルーソー』は、孤島での生き抜く姿勢や自己啓発、友情と信仰の重要性を教える素晴らしい作品であり、250年以上経った今でも世界中の読者に愛される孤島物語の傑作として、多くの人々に読み継がれています。

ロビンソン・クルーソーの登場人物紹介

ロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe):

本作の主人公。イギリスのヨーク出身。父は商人でありそこの三男として生まれる。早くから放浪癖があって父の期待に反して、航海に出る。運命に翻弄された末にたったひとりで無人島に漂着。そこで独力で28年間孤独な生活を送ることになる。

フライデー(Friday)

ロビンソン・クルーソーが無人島で出会った先住民の一人であり、捕虜としていた彼を助け出し、従僕として仕え、彼の忠実な友人となります。

るようになります。フライデーは彼との友情や文化の違いを通じて物語に重要な役割を果たします

ロビンソン・クルーソーの深読み【読みどころポイント】

なぜ家を飛び出し船乗りになったのか?

ロビンソン・クルーソーは、イギリスのヨークに生まれ、中産階級として、そこそこの家柄で生まれています。普通に生きていけば、

そんな彼がなぜ無謀な航海に飛び出して、絶海の孤島にたったひとりで生きていくことになったのか。

それは彼には「小さなころから放浪癖があった」からです。

彼が家をでて航海に出たいと話したときには、両親は今の身分がいかに幸福かを説き、反対しています。

どうしておまえは親の家を飛びださなければならないのか。自分の生まれ故郷にいて勤勉に努力さえすれば、安楽な生活が約束されているではないか。海外での冒険に人生を賭けるなんて、そうでもする以外に道のない捨て鉢な人間か、あるいは逆に野心的な財産家のする行為である。さいわいおまえはその中間におかれている。自分の長い人生経験からみて、これは人間の幸福にいちばん適した身分なのだ。われわれは低い身分の人間に起こりがちの苦や辛さにさらされることもないし、高い身分の者につきまとう高慢、贅沢、野心、僻みに悩まされることもない。貧乏も富もともにさけたいと願った賢者がいたが、かれの言葉こそは本当の幸福がどこにあるのか教えてくれる。」

まさに地に足がついた人の発言で、適切すぎませんか?そしてロビンソン・クルーソーの父はこう語ったあと、つぎのように話をしめくります。

おまえの兄がよい例だ。かれが大陸での戦争に出かけようとしたとき、今と同じようにわたしは心をこめてたのんだ。やめてくれとな。だが、かれは血気にはやって軍隊に入り、戦死 してしまった。おまえが航海に出るなどというばかなまねをするなら、神の祝福は得られない

同じ血筋の兄は血気にやられて戦争に飛び出して戦死したのでした。父からしたらロビンソン・クルーソーの航海に出たいというのは、兄と同じ運命になるのであるのと等しい行為であり、それは神の祝福を得られない行為なのです。

(ここで父が“神の祝福”とありますが、信仰心や祝福というのはこの作品で大きなテーマになっています)

ここまで父にど正論を言われたにもかかわらず、故郷を飛び出させた「彼のこの放浪癖」はどこからきているのでしょうか。それ文章の中で「宿命的な性質」という言葉を使われて表現されています。

こうした憧れを抱いていたのは、生まれながらの性質にどこか宿命的なものがあったからかもしれない。おかげで、数々の災いに出会うことになったのだ。

つまり宿命というのは理性とは違う声、要は内側にある本能や意志から生まれ出るものなのです。

実際彼は一度冒険に出たときに、遭難の憂き目にあい、それに対して彼の理性はもう船で世界に飛び立つなんてやめろ、というように理性の声に止められます。

がしかし、ある宿命的な力に抵抗できなかったといいます。

わたしにつきまとってはなれない一種の宿命のようなものがしつこく前進をもとめている。すでに自分は二度までもじゅうぶんな教訓を受けた。それでもなおわたしを不運へとかりたてるこの力をなんと呼んだらよいのだろうか。とにかくわたしはその力にたいして抵抗できなかった。

こうした力はなんといえばいいのでしょうか。次の文章には、自分では抵抗出来ない他の力が宿っているように感じます。

こうした気持ですごしているうちに、恐ろしさもしだいに記憶から消えて、 航海に出たいという思いがふたたびもどってきた。たびたびいうように、父の願いにそむいて家を飛びだし、なんとしてでもこの世の成功をつかもうとわたしをかりたてるものが、いったいなんであるのかはわからない。とにかくこの執念にも似た力がまたしてもわたしの心をとらえ、 あらゆる企てのなかでもっとも不運な企てをわたしにえらばせた

太字にした「えらばせた」という言葉。普通、能動的な姿勢を見せる場合は、「選ぶ」となるところを、なにか抗し難い力が己の内部にはあって、その力によって、危険な選択をあえてさせられているのです。

さらにこの力は航海で行き着いたブラジルにおいてもでてきます。彼はそこでタバコと砂糖の栽培に手を染めて農園経営を成功させます。ただ成功を収めたにもかかわらず、彼はまたブラジルから離れようとします。

こうして事業に成功し、富も増してくると、わたしの頭はまたしても自分の力にあまるいろいろな計画であふれはじめた
わたしが現在の生活をそのままつづけていれば、きっと幸福になれるだろう。これこそ父が熱心にすすめたおだやかな中流の暮らしではないか。今後わたしがみじめな境遇におちいるとすれば、けっきょく自分自身の責任というほかはない。わたしにふりかかるさまざまな災難は、生まれついてのおろかしい放浪癖が原因であって、神と自然が協力して堅実な生活を用意してくれているというのに、わたしはそれにさからって自分の放浪癖にかたくなにしたがってしまうのである。

そしてその後、現地での成功を捨てて、ギニア海岸へ黒人を手に入れに航海に誘われるままに飛び出して、最後には孤島の無人島にながれつくことになります。

つまり、内部から湧き出る意志とは版下”抗し難い力”こそ、彼がもっている生来の放浪癖で、それは自らをも滅ぼしかねない強い力なのです。どれだけ安定や成功を約束されていても、「わたしはそれにさからって自分の放浪癖にかたくなにしたがってしまう」力なのです。

僕はこれを読んだときに真っ先に思いついたのが、ショーペンハウアー『意志』でした。

近代西欧社会における様々な人間像の原型

デフォーが描き出したロビンソン・クルーソーは、その後の近代西欧社会における様々な人間像の原型となった理由はいくつかあります。

ひとつはロビンソン・クルーソーが「自己中心的な個人主義の象徴」として考えることができます。彼は両親からの忠告に反対して、己の内部にある欲望や冒険心に駆り立てられて、航海にでることになります。そこには『自己中心的な個人主義』を具現化がみられます。とくに彼は父親の望む安定した人生を捨て、自分の内なる衝動に従って未知の世界へと冒険する決断をしました。この個人主義的な姿勢は、その後、近代西欧社会において自己の意志や目標の追求が重要視されるときに持ち出されます。

その一方で彼は「自然への関心、精神的な探求」という部分でも近代西欧社会的です。

ロビンソン・クルーソーは孤島での生活を通じて、自然との調和を学びます。彼は自然の中での生存と共存を模索し、自給自足の生活を築いていきます。この自然との調和を重視する姿勢は、後の近代西欧社会において環境保護や持続可能性の考え方に影響を与える一因となりました。

ロビンソン・クルーソーは困難な状況に直面する中で、自己成長と信仰の探求を経験します。彼は自分自身を見つめ直し、信仰心を持ち続けることで困難を乗り越えていきます。この精神的な探求は、近代西欧社会において個人の成長と内面の豊かさを重視する傾向に影響を与えました。

ロビンソン・クルーソーから学べること・教訓【感想】

ロビンソン・クルーソーはポジティブシンキング!?

ロビンソン・クルーソーで学べることのひとつに、「悪いことがあっても良い面も見つけよう!」という教訓があります。

彼は予定の航路から流されて、無人島に漂着した際、これから自分の身の上のことを考えると憂鬱になって、「無人島でさびしく人生を終えるのが天の定め」なのかもしれない、と嘆きます。

そんなときロビンソン・クルーソーは一緒に航海に出た仲間のことを考えます。仲間は11人。彼らはロビンソン・クルーソーよりももっと悲惨な結末(=海に飲まれて命を落とす)になっているかもしれない、と考えます。

すると無人島に流れ着いたが、命があるだけでも感謝するべきではないか?と考え直します。

どんな不幸におちいろうとも、よいこともあるし、さらに悪いことをともなう場合もある。これらすべてを考えに入れなければ、その不幸の程度ははかることができない。

そして自分が現在おかれている境遇について真剣に考えて、毎日みじめな身の上を思いわずらうことから心を解放するために、理性の力を発揮し、貸借対照表のように「悪い面」に対して「良い面」を見つけようとします。例えば下記のとおりです。

【悪い点】
・わびしい孤島に打ちあげられ、救いだされる可能性がない。
その一方で・・・
【良い点】
だが、ほかの仲間たちとちがって、 溺死せず、生き残っている。

【悪い点】
・わたしだけが全世界から切りはな され、みじめに暮らしている。
その一方で・・・
【良い点】
・だが他の仲間たちと違って、わたしだけが死から救いだされた。 奇跡的にわたしを救いだした神は、現在の境遇からも救い出すことができる。

【悪い点】
・話しかける人、なぐさめてくれる人もいない。
その一方で・・・
【良い点】
・だが、神は奇跡的にも船を海岸に近づけてくれた。おかげで、生きていくのに必要なものがあたえられたし、また必要なものを手に入れるための手段を与えられた。

このように、悪い点に対して良い面をみることによって、悪い点を弱くしようとしています。そしてとても深い心理をついた言葉を残します。

どのようにみじめな境遇にあっても、なにかしら感謝すべきことがあるという事実である。この世でいちばん悲惨な経験をしたものとして語るのであるが、われわれはつねに自分をなぐさめるものを見つけることができ、善い点と悪い点をくらべれば前者のほうがおおいのだ。

めちゃくちゃポジティブシンキングですよね。

ここで僕が学んだのは、『悪い面にも、考え方によっては良い面もある』ということです。

これはつまり「良い・悪い」とは一方しかないわけではく、相対的な関係にあり、悪い面にはかならず良い面も含まれ、その反対もしかりです。

なので、マイナス思考の人に伝えたいのは、どうしても悪いことばかりに目を向けがちですが、かならず良い面も含まれているから、探そう、ということです。

僕自身も、「仕事に失敗した、どうしよう」「昨日なんか身体が重かったなあ」「母親にめちゃくちゃ怒られた」というようなマイナス面が起きたときには、

  • 「仕事に失敗した、どうしよう」→これはいい経験だな。成長のための試練だな
  • 「昨日なんか身体が重かったなあ」→身体が疲れていることを教えてくれているんだな。
  • 「母親にめちゃくちゃ怒られた」→これって愛情の裏返しなのでは?

というようにマイナスの反面であるプラス面を探すようにしています。

小説『ロビンソン・クルーソー』で、主人公が孤島で暮らしていたのは何年間?

ロビンソン・クルーソーは、島に漂着してから28年間もの間、孤島で一人暮らしをしました。

ロビンソン クルーソー 無人島 どこ?

『ロビンソン・クルーソー』の物語において、ロビンソンが漂着した無人島については、島の名前や地理的位置が具体的に言及されていません。

もしかしたらモデルとなった島はあるかもしれませんが、おそらくダニエル・デフォーは、舞台を架空の島とすることで、特定の地理的な制約を設けず、読者の想像力に委ねているのだと考えます。

ロビンソン・クルーソーにモデルはいるの?

『ロビンソン・クルーソー』の主人公であるクルーソーは、あくまで架空の人物です。

ただ定説では、実際に無人島生活を経験した人物を「モデルにしている」といわれています。

それはスコットランドのアレクサンダー・セルカーク航海長です。彼は18世紀初めに南アメリカの周辺で航海を行っていた船員。

セルカークは1704年10月の航海中に、船長との対立から放逐され、南米チリ沖のファン・フェルナンデス諸島の1つであるマス・ア・ティエラ島という無人島に取り残されます。彼は島で一人で生き抜くために知恵を絞り、野生動物と戦い、食料を確保し、自給自足の生活を送ったとされています。これは、1709年に出版された「セルカーク航海長」の体験談として残されていて、この内容がデフォーの小説に反映され、主人公ロビンソン・クルーソーの孤島での生活や成長の描写に影響を与えたとされています。

ただデフォー研究者は、アレクサンダー・セルカークはあくまで無人島に流れ着いた物語の一つであって、クルーソーの唯一のモデルではないだろう、としています。

ロビンソン・クルーソー島って??

ロビンソン・クルーソー島、または正式にはファン・フェルナンデス諸島に属するマサ・ティエラ島は、南太平洋の東部に位置し、チリ領の無人島。本土から約650キロメートル離れており、フアンフェルナンデス諸島で唯一の有人島として知られていますよ。島には中心集落であるサンファンバウティスタが存在します。

ロビンソン・クルーソー島は、その名の通り、ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』に由来していて、「絶海の孤島」がぴったりのロマンチックな場所。

島には特有の鳥や珍しい生物が生息し、鳥愛好家や動物愛好家にとって魅力的な場所となっています。

美しい海と豊かな海洋生物が魅力で、シュノーケリングやダイビングもとても有名です。透明度の高い海水の中でカラフルなサンゴ礁や魚を観察することができるそうで、島内にはトレッキングに適した地域もあり、自然の中での冒険心を満たすことができますよ。

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この記事を書いた人

読書好きブロガー。とくに夏目漱石が大好き!休日に関連本を読んだりしてふかよみを続けてます。
当ブログでは“ワタクシ的生を充実させる”という目的達成のために、書くを生活の中心に据え(=書くのライフスタイル化)、アウトプットを通じた学びと知識の定着化を目指しています。テーマは読書や映画、小説の書き方、サウナ、アロマです。

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