この記事はペンちゃんのような悩みを持った人にお届けします。
・「刺青」の深く読むためのポイントを知りたい
生涯をかけて追い求めるものが目の前を通ったとき、自分ならどうするだろうか。
内部の要請にしたがい狂気にも近い美への探求。
無垢な女性が悪魔的な女性へと豹変するラスト。
今回紹介するのは、谷崎潤一郎の処女作とも呼ばれる短編『刺青』です。
谷崎潤一郎のモチーフ・エッセンスが詰まった衝撃作。
刺青ってどんな小説?
1910年(明治43年)11月、第二次『新思潮』・第3号に掲載された短編です。
「光り輝く美女の肌に、己れの魂を掘り込みたい」といった倒錯的であるが究極の美を探求する主人公、あるいは足や皮膚に対する変質的な性嗜好といった、谷崎潤一郎がこれ以降描き続けられる世界観・モチーフがこの時点ですでに描かれています。
つまり処女作にしながらも、彼の生涯の文学的主題を先取りする、谷崎文学の原型を示す作品として有名です。
刺青のテーマは?【女の変身物語!】
僕は刺青のテーマを1人の女性の本性の目覚めさせて、美という芸術が結実する物語だと考えています。
彫物の芸術家の清吉が最初に登場しますが、彼はあくまでの物語の進展装置・トリガーに過ぎず、真の主人公は、そこらにいる「小娘」です。
実際、この小娘は今後の谷崎文学に登場する妖女の原型であり、女の本性に目覚めたナオミなどの源流だと思っています。
だから「無垢から男を肥料とするサディズムな妖女に変貌する」この変身物語は、彼の文学にとっては非常に重要であり、象徴的なのです。
刺青を語るキーワードは?【一言で表すとなに?】
- 女の「魔性」の目覚め
- 刺青という芸術性
- 皮膚・足という谷崎文学のモチーフ
- 芸術=美の結実
刺青のあらすじ簡単要約
- 時代→江戸時代
- 舞台→江戸
「世の中が今のように激しく軋みあわない時分」、多くの人々が刺青をしてその意匠を比べ合っていた中に、清吉という、元浮世絵職人の彫り師がいた。
彼は光輝ある美女の体に己の魂を彫り込みたいという欲望を持っていた。
また彼は掘った際の呻きごえが激しければ激しい程、彼は不思議に云い難き愉快を感じるのであった
そんな女を待ち望み探し続けていた4年目の夏。
駕籠の簾から女の美しい白い素足がはみ出しているのを見つける。
この足こそは自分が待ち望んだ宿願の足だ、と胸踊りたち確信する。
そうして足の持ち主の顔を見たく駕籠の後を追いかけるが、消え去ってしまう・・・
翌年五年目の春も半ばのある日の朝。
家についぞ見慣れぬ使いの小娘が「羽織の裏地に絵模様を書いてください」とやってくる。
そうして清吉はその女をしげしげ見ると、歳にして16、17歳の娘で、その素足を見て、あの駕籠の女だと悟る。
彼は「丁度これで足かけ五年、己はお前を待って居た。顔を見るのは始めてだが、お前の足にはおぼえがある。―――お前に見せてやりたいものがあるから、上ってゆっくり遊んで行くがいゝ」という。
そうして2つの巻物を見せる。
ひとつは処刑される男を眺める妃が描かれた画。
もう一つは男たちの屍骸に魅せられる若い女。(「肥料」と題する)
「この絵にはお前の心が映って居る」と言い、怯える娘を麻酔で眠らせる。
そうして一昼夜をかけて、彼女の背中に巨大な女郎蜘蛛の刺青を彫る。
清吉の心は「刺青の中へ己の魂をうち込んだ」ため夜明けには「空虚」。
麻酔から覚め意識を取り戻す。
清吉は「己はお前をほんとうの美しい女にするために、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ」
娘は仕上げの湯殿の痛みにも耐え抜く。
女は鋭い眼を輝かせながら、「私は臆病な心を捨てた、あなたは真先に私の肥料になったんだ」と魔性の女に変身し、清吉に言う。
帰る前に、清吉に促されて、もろ肌ぬいだその燦爛たる背中を朝日に輝かせる。
刺青の登場人物紹介
清吉【彫師】
元浮世絵職人で、刺青会で毎度好評を博すほど腕のたつ彫り師。
奇警な構図と妖艶な線とで名を知られた。
彫り込む際にうめき声をあげる無残な姿を冷ややかに眺めながら、いつもあざ笑って快楽を感じる狂気な一面も。
彼の宿願は美女の肌に己の魂を掘り込むこと。
人々の肌を針で突き刺す時、漏れ出るうめき声が激しいのを好む
小娘
「馴染の辰巳の藝妓」の妹分として近々お座敷へでるはずの無垢な娘。
藝妓の使いとして清吉の寓居を訪れた。
「辰巳の藝妓」というのは、 江戸城から南東の方角にある深川の遊里の藝者のこと。
幾十人の男の魂を弄んだ年増のような雰囲気をもつ。
刺青の読みどころ解説【深読み・引っ掛かりポイント】
刺青をただ読むだけでなく、より深く物語を理解できるように・・・
ここでは刺青の深読みするためのポイントやヒントをいくつか解説していきますね。
処女作でありながら自信作
谷崎潤一郎は刺青を発表する前に、誕生や象といった戯曲を中心に他の作品を発表していました。
ところが彼は自身の言葉で「私のほんとうの処女作」と刺青を称して、世間的には事実上の処女作として知られています。
それだけ彼の中でこの作品は自信や手応えがあった作品といえるのです。
それを裏付けるように、文豪の永井荷風が自由劇場の楽屋見物に来るという噂を聞きつけて、彼に『刺青』を読んで貰おうと掲載された『新思潮』を持参してまったと言うエピソードが残るほど。
その永井荷風も彼の作品を絶賛したのが有名です。
作品はじまりの解釈→美を探求する世界観
刺青は作品の冒頭が印象的で、まるで草双紙の世界観のように語りはじめます。
其れはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋しみ合わない時分であった。
当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙って美しからんと努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。芳烈な、或は絢爛な、線と色とが其の頃の人々の肌に躍った。
世間が今とは違ってのんびりして居た当時(江戸時代)においては、強弱・善悪の判断は「美しいか、醜いか」という分かりやすい価値観によって下されます。
そして美醜が価値判断となる時代においては、僕たちが生きる現代の価値観と照らし合わせたときに「愚」とみなされることも、「愚」こそ貴い徳であったのです。
「愚」とはなにかというと、誰れも彼もがこぞって「美を探求していたこと」であり、それが講じて自分の大切な皮膚に刺青をほどこすこと(現代では愚かと呼ばれること)であり、それこそこの作品で描かれる世界なのです。
清吉が追い求めていたものとは?
清吉とは元浮世絵職人であり、「奇警な構図と妖艶な線とで名を知られた」彫師。
彼はこの作品を推進する重要な存在なのですが、彼は「光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込む事」という宿願がありました。
これこそ彼が作品内で追い求めていることであり、芸術的欲求を充足させるために美女を探していたのです。
ちなみにその欲求は決してキレイなものではなくって、『人の体に彫り込む際に漏れ出るうめき声に快楽を感じる』そんな変質的な芸術的欲求です。
彫り込む対象は「美しい顔、美しい肌のみ」ではだめで、自分が求める女になかなか出会わず彼は江戸中を三年四年、探し回りました。
そんな矢先、料理屋の前でふと「駕籠の策のかげから」 こぼれた「真っ白な」足を見つけます。
この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。
これこそ、清吉が「永年たずねあぐんだ、女の中の女」だったわけです。
清吉にとって人間の足は「その顔と同じように複雑な表情を持って」うつっており、「男のむくろを蹈みつける足」のように、男を虐げるようなサディズム的な女性を求めていたとも考えられます。
生まれ変わる無垢な小娘注目せよ!刺青とは?
最初小娘は不埒な言葉遣いをする清吉に対して、16,17歳の少女っぽい怯えて含んでいます。
ところが顔自体は
不思議にも長い月日を色里に暮らして、幾十人の男の魂を弄あそんだ年増のように物凄く整って居た
と書かれています。
さらに清吉は彼女の内部にある本性を見抜いており、彼女にそれを気づかせるために2つの絵を見せます。
1つは処刑される運命にある男たちを、大杯を抱えて眺める紂王の寵妃末喜を描いた絵を見せつけます。
そうして「この絵にはお前の心が映って居るぞ」と伝えるわけですが、小娘はその絵をみて「真の己」を見出します。
さらに若い女の足下に累々と横たわる屍骸を見つめる絵「肥料」を見せ、「これはお前の未来を絵に現わしたのだ。此処に斃れて居る人達は、皆これからお前のために命を捨てるのだ」と述べます。
彼女はその絵を見て、描かれた女性の性分があることに気付かされるわけです。
清吉は彼女に性分を気づかせるだけでなく実際に、己の魂を与えるために刺青を施すこと、「妖婦」に変貌させて、
親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。お前さんは真 先に私の肥料になったんだねえ
と甘く懐かしく濃艶な声でいいます。
さてこの明らかな変貌はどこからくるのでしょうか?
それは清吉の内部にある変質的な芸術的欲望を、刺青という媒介を通じて、見た目は無垢な少女ですが、その奥底にある「真の女の本性」にと結びつけたことです。
媒介的要素は下記の言葉からも裏付けられます。
己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ。
つまりこの物語は清吉が求めていた芸術的欲望が、女性の中にある「女」としての本性と融合することで結実し、初めて物語が成立するのです。
刺青とは『生きた生身の人間の皮膚に彫りつける儀式』であり、そこに描かれた図柄は『消えることのない刻印』として証拠が残ります。
その儀式(一昼夜をかけて背中に掘っていることからも儀式的なニュアンスあり)を通じて「女の中の女」に変貌する様を描いているわけです。
彼はその刺青・媒介を通じて、彼の魂・生命を注ぎ込んだことで、彼の心は空虚になりながらも、彼女が真に求めているものにたどり着き、自分は輝かしい芸術を成立させるのです。
それがこの作品のラスト、少女が黙って肌を脱ぎ、朝日が彼女の背中に描かれた女郎蜘蛛の刺青の面にさして、燦爛と輝き、その前にひれ伏し肥料となる芸術家・・・
ここに永遠の芸術が光とともに結実し、僕たち読者の心の中に焼きつく光景になるのです。