こんにちは、年間100冊以上の小説を読むたかりょーです。
この記事はペンちゃんのような悩みを持った人にお届けします。
漱石作品を読むのが初めて。どれを読んだら良いのかなあ?
日本の国民的作家として名高い夏目漱石。
日本作家の誰しもが少なからず影響されていて、その影響力は計り知れません。
そんなたかりょーが夏目漱石のおすすめ作品を紹介いたします。
時代とともに色褪せていくこともなく、その時代に合わせた受け入れ方をされてきた作品群。
これからも長く読み継がれていくこと間違い無いので、ぜひチェックしてください。
夏目漱石ってどんな作家なの?
1867年江戸の牛込馬場下で生まれた漱石。
明治末期から大正初期という激動の時代の日本で活躍。
『吾輩は猫である』で文壇にデビューした後、『坊ちゃん』『三四郎』『こころ』といった名作を次々に生み出しました。
ちなみに漱石は執筆活動したのはたったの15年ほどであり、名作の数々を考えたときに、どれだけ彼が天才であったかがわかります。
僕が漱石を好きになった理由
高校3年の時にこころで初めて漱石。
出会ってから、10年以上ですかね。僕の心の片隅にいつもいる作家であり、波はありながらも、ずっと漱石文学に親しんできました。
改めて僕はどうして、ここまで漱石の小説に惹かれるのか?自分の中で言語化します。
- 自己に潜む醜いものを描こうとしているから
- 物語展開の面白いから(人間一般を描く天才)
- ハッとする言葉に魅力されているから
これがこれから漱石作品を読もうと考えてる方に共感してもらえたらと思います。
・自己に潜む不可思議な内面を哲学的に描こうとしているから
僕は青年期、たくさんの悩みを抱えていました。
恋愛からエゴイズム、孤独、お金。
これらの悩みはどこからくるのかとずっと考えていたのですが、すべて「自己という計り難きもの」から生まれてくるのだ、と気づかされたのは漱石文学です。
漱石の登場人物の多くは、内面を他者に向かって開くのが苦手な人達ばかりです。
とくに後期作品の登場人物は閉塞的になって、どこか共感できる人物ばかりでした。
ロジカルな物言いをする捻くれ者ばかりですが、人一倍繊細な面がある。
自分には醜いもの・わかり難いものに悩まされて、それを哲学的な思索をもって理解に到達しようとしている。
こういった漱石が作り出した作品世界の登場人物(彼岸過ぎまでの敬太郎、行人の二郎、こころの先生・・・)たち強烈に共感しているということです。
僕にとって漱石の登場人物たちは唯一無二だと思っています。
・人間一般を描く天才、物語展開の面白いから
昔の作家は生まれた時代が異なるため、同じ日本人でも言葉や価値観、文化が違います。
だから古典作品は、どうしても分かりにくさがあって、筋を追うためにとっかかりが悪くて、理解に一苦労なんです。
例えば着るものひとつとっても、着物など僕たちはほぼ来ませんが、兵児帯ですとか、縮緬とか、初めての人には聞いたこともない言葉が頻出します。
これは世界文学を読んでいる感覚と同じです。
漱石はそれにもれず、理解し難い言葉がたくさんでてくるのですが、それを圧倒するほどに物語が面白いと感じます。
それは物語展開の巧み、語り方のうまさ、はっとする言葉えらびもあり、さらにいえば、「人間」を描いているからだと考えています。
「人間」は暮らす時代・環境は違えど、本質を辿れば考えなどは時代を超えた普遍で同じだからです。
漱石は人間にまつわる悩み(家族関係、己のエゴイズム、女性性、金)といったテーマが普遍的です。
つまり、人間一般を描く天才なのが漱石。
ハッとする言葉に魅力されているから
漱石文学は、作品の中でも、心にどすんと刺さる言葉が非常に多いです。
僕が美しいなと感じて、ずっと記憶に残っている言葉があります。
自分は経験のある或る年長者から女の涙に金剛石はほとんどない、たいていは皆ギヤマン細工だとかつて教わった事がある。その時自分はなるほどそんなものかと思って感心して聞いていた。けれどもそれは単に言葉の上の智識に過ぎなかった。若輩な自分は嫂の涙を眼の前に見て、何となく可憐に堪えないような気がした。ほかの場合なら彼女の手を取って共に泣いてやりたかった。(行人31)
一郎が直の貞操を確かめるために、弟の二郎とふたりで旅行しろといい、その先で、二郎が「お兄さんに冷淡にするのはやめてください」と伝えたあとに「妾のような魂の抜殻」発言が直からあったあとの一節です。
強すぎな言葉。どこか心地よい言葉の動き方。
どこか「美しいなあ」と感じさせる一言です。
漱石文学にはこのように、どこかハッとするような印象的な言葉が非常に多く、他の文豪たちよりも言葉選びがとてもうまいです。
漱石作品ならまずこれ!【初心者おすすめ2作品】
絶対に外さない漱石作品といえばこれ!ってのを集めてます。とくに「初心者が読みやすいか?」という観点から選んでいます。
- 坊っちゃん
- 夢十夜
ちなみに初心者の方が最初に「吾輩は猫である」や「こころ」のような、有名作品から読む始めると確実に挫折します。
なのでおすすめとしては、坊っちゃんと夢十夜を読み、ある程度、漱石の文体に慣れてから、上記の作品を読んでいくのをおすすめします!
坊っちゃん【1906年】
坊っちゃんは1906年4月に『ホトトギス』に発表された作品で、吾輩は猫であるに続く、漱石の第2作品目となります。
夏目漱石が、愛媛の松山で高校教師をしていた経験をベースにして描かれています。
坊っちゃんは、たったの一週間で書き上げられています。
内容紹介・あらすじ要約
子供の頃から親譲りの無鉄砲さで損ばかりし、曲がったこと・理不尽なことが大嫌いな正義感の強い主人公。
父母、兄には可愛がられなかったが下女の清からは「坊っちゃん」と呼ばれ可愛がられ、「真っ直ぐでよい御気性だ」と唯一褒められて育ってきた。
物理学校を卒業した彼は、愛媛松山の中学校へ数学教員として赴任する。
現地では松山地方の慣習や、教頭赤シャツ、そのとりまきである野だいこといった「権力」を象徴すると者たちの学内政治に巻き込まれて悪戦苦闘。
最終的には己の信条を守り抜き、正義のために彼らと対立し、数学教員(山嵐)とともにふたりに制作をくわえる悪童物語。
【坊っちゃんがなぜ初心者におすすめなのか】
・勧善懲悪がベースになった、中学生でも読めるほどの単純明快なプロット
坊っちゃんは「おれ」という主人公が江戸っ子丸出しの語り口ベース=一人称で物語が展開されます。
社会風刺も強烈で、歯切れの良い文体が爽快。
リズムもめちゃくちゃテンポもいいです。
語り口ベースですから、三人称のように物語の語り手があちらこちらとブレることがないので、迷いなくどんどん読み進められます。
・テンポよく、たたみかけるような文体
坊っちゃんは「おれ」という主人公が江戸っ子丸出しの語り口ベース=一人称で物語が展開されます。
歯切れもよく、爽快で、めちゃくちゃテンポもいいです。
語り口ベースですから、三人称のように物語の語り手があちらこちらとブレることがないので、迷いなくどんどん読み進められます。
・登場するキャラクターがユーモア満点。
正義感の強い山嵐、女のような文学士教頭赤シャツ、スネ夫的な野だいこ、幸薄の悲劇の登場人物うらなり君・・・
坊っちゃんに登場するキャラクターは身体的特徴(外面的造形)だけでなく、性格や立ち位置・役割(内面的要素)がわかりやすく描かれていて、人物造形が秀逸。
令和になった今でも色褪せず、読んでいて「面白いキャラクターたちばかりだな」なんて思います。
夢十夜【1908年】
1908年(明治41年)朝日新聞で連載された夏目漱石の短編作品。
小説は夢の世界を幻想的に描いているため、これまで多くの解釈が世に出されています。
2007年には『ユメ十夜』で映画化もされています。
内容紹介・あらすじ要約
「こんな夢を見た」という言葉から始まる。
タイトルの通り、第一夜から第十夜までの10夜の不思議な夢の世界を描いた短編作品。
【なぜ初心者におすすめなのか?】
・短編なので、数時間あれば読みこなしていける作品
古典作品は古い漢字が頻出して読みにくく、さらに長いときているのが多い。するとどうしても最後まで読み切れませんよね。
夢十夜は10章で構成された短編なので、超絶忙しい人でも、例えば夜寝る前に一章程度読むようにすれば、あっという間に読み終えることができますよ。
・幻想的だったり、といろんな角度から楽しめる作品
夢の話を描いているので、恐ろしくも不思議な世界観が病みつきになります。漱石の作品は割と私小説が多い中で、幻想的な世界を描いた作品は、夢十夜だけなので、味わえない感覚です!
ストーリー性を重視するならこの2作品!
漱石の魅力は、なんといっても優れたストーリーテラーな一面。
彼の作品を読んでいると、ディケンズやブロンテなどイギリス文学を彷彿とさせる巧みなストーリー展開を見せます。
(イギリス留学時代に、ジョージ・メレディスと、チャールズ・ディケンズ、またジェーン・オースティン・ブロンテといった女流作家に大きな影響を受けたと言われているから)
漱石がストーリーテラー的才能を遺憾無く発揮している作品は下記の2つです。
- 三四郎
- それから
- こころ
三四郎【1908年】
三四郎は前期三部作の一作品目で、1908年に朝日新聞に連載されました。
「魔性の女」「三角関係」「大学生活」といった現代でも通ずるテーマがあって、時代を超えた永遠の青春文学です。
伏線など文章構成の巧みさや印象的な言葉が多数書かれていて、漱石文学の魅力が詰め込まれた作品です。
三四郎の簡単なあらすじ
熊本の高等学校を卒業後、東京帝大に入学するために、はるばる熊本から上京した小川三四郎。
都会という様々な価値感で構築された異世界のなかで、理科大学助手の野々宮宗八や鋭い日本批判をする広田先生などさまざまな人物と出会う。
三四郎は都会にきてからの己の世界を3つに分けて考える。
母のいる明治十五年以前の平穏で懐かしい故郷
広田先生・野々宮のいる無趣味な研究・学問の世界
春のごとく動く美しい女性たちがいる華やかだが近づきがたい世界。(←三四郎にとって最も深厚な世界)
3つの世界を並べ互いに比較し、かき混ぜた結果三四郎が導き出した理想は、国から母を呼び寄せて美しい細君を迎え、学問に身を委ねる生活だ。(つまり全部するってこと)
そして三四郎の第3世界の代表である魅惑の女性美禰子と出会い、交流を深める。
ところがしばらくあとに美禰子が未知の男と婚約したことを知る・・・三四郎の大学時代を描く淡い青春物語。
たかりょーのおすすめポイント
・今も楽しめる定番の恋愛もの。
主人公が大学入学のために、田舎から上京。
そこで様々な人間と出会い、初めて愛するべき女性美禰子に出会うが、実は野々宮宗八と美禰子は知られていない関係があって、それがもとで三角的な完成性に発展して・・・という分かりやすいプロット運びになっています。
・伏線が多数貼られている。
ストーリー的な面白みで言えば、物語内にたくさんの伏線が貼られていること。
読み進め、繋がる瞬間の快感もあります。
一人一人の登場人物も丁寧に魅力的に描かれているので、全体を楽しめる作品になっている。
・印象的な場面がたくさんある
ストーリー作りがうまい作家は軒並み、印象深い場面を作り出すのが天才的です。
小説冒頭、東京へ向かう汽車の中で出会う謎の婦人、その女性と一夜をともにする、大久保での轢死事件、静かな川辺で美禰子が三四郎にささやく迷える子(ストレイ・シープ)という謎の言葉、
三四郎には上記のように記憶に残る印象的な言葉が非常に多く登場します。
・美禰子という謎の女の魅力
漱石文学では、作品毎に魅力的な「女性」が登場します。
その中でも特に人気とともに議論の的となるのが、三四郎のヒロイン美禰子。
美禰子は西洋文化に触れた「新しい女性」として描かれ、三四郎の淡い恋心の的となり、彼に対して数々の思わせぶりな言動を振りまきます。
彼女は『魔性的・謎の存在』・『古風的な女性とは対照的な自分の意思で行動する女性』として描かれている点で、漱石文学の「女性性」の原型でもあります。
時代を超えて魅力的な登場人物として異彩を放っています。
それから【1909年】
前期三部作の2作品目です。
前年に発表された「三四郎」の後を描いた作品です。
1909年(明治42年)6月27日から『朝日新聞』に掲載開始され、10月14日まで連載しました。
それからのあらすじ
実業家の父を持つ長井代助は大学卒業後も定職に就かず、毎月1回、本家にもらいに行く金で裕福な生活を送る。(つまり父に養われている)
無職でありながら親のスネをかじって一戸をもつ代助は、自分を「高等遊民」でだと称し、有閑知識人的な暮らしをおくる。
そんな彼ももとに、友人平岡常次郎があらわれる。そうして妻三千代にも再開するのだが、代助と三千代のふたりは心を強く動かした過去がある。
父親は政略結婚をさせるために佐川の娘を紹介されるが断り、最後には代助は親友を裏切り三千代とともに生きる決意する。
当然父兄からは強く非難され、あげくのはてには収入源であった父に勘当されることに・・・
それから代助は、己自ら働き場を探すために社会へと飛び出していく。
たかりょーのおすすめポイント
過去を紛れさせてストーリーを重層的にする手法がいい
それからでは直線的に進んでいる物語に、突然過去の回想が紛れこむ場面が複数あります。
この手法は漱石文学では「門」などでも使われているのですが、この方法で物語がシンフォニーのように幅を持って読んでいて楽しめます。
社会に背き愛に走る姿をみよ!
それからは高等遊民として社会に関わらない代助が、自然な愛の感情にとらわれて、略奪愛に走る作品。
つまりまさに漱石文学を代表する恋愛小説。
だがこの小説で提出される「愛の形」がはたしていいものか?悪いものなのか?が問われている。
つまり自然の強い力となって、運命的に破局までみちびていく。
自然な感情に従うべきか、もしくは社会的な立場を守るために「意志」を貫くべきか。
この選択を最後に迫られるのがまた良いです。
こころ【1914】
近代的知識人の苦悩を中心として描く後期三部作の三作目。
「岩波文庫読者が選ぶ100冊」の一位に選ばれて、漱石文学で最も有名で、最高傑作と呼ばれています。
こころのあらすじ要約
大学に通う青年「私」は、避暑地鎌倉の海で「先生」という不思議な魅力をまとった人物に出会う。
東京に戻ってから青年は何度も先生のもとに通うが、愛する妻がいながらもどこか淋しな表情と孤独な雰囲気がある。
「私」はその理由が分からず、先生に「過去」を話してほしいという。
人を信じることができない先生は、「私」も疑っていたが、唯一信頼できる人物である私に対して、私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。という。
そうしてある日、先生から一通の手紙=遺書が届く。(先生は自殺していた)
そこに書かれていたのは先生の奥さんとの出会い、そして恋人を得るために唯一無二の親友を裏切った壮絶な過去であった。
「恋は罪悪」など青年に伝えた言葉の背景が語られる・・・
人間のエゴイズムとともに、人間が陥る孤独という苦悩も同時に描いた作品。
たかりょーのおすすめポイント
結末の遺書に向けて盛り上がるドラマチックな物語展開
こころは「手紙」を読むことで物語が展開する書簡体小説の代表的なものです。
漱石文学では彼岸過ぎまでや行人でもその手法が使われますが、こころのそれはページ数としても半分以上を割いている点で大規模ですし、「あなただけに私の過去を書きたいのです…。」と残された遺書が、”先生の自殺”という謎あかしの装置的な役割を果たして、まさにドラマチックで読書体験ができます。
そしてKという親友を恋という罪悪によって自殺に追い込んだ過去が明かされていくのは、とてもスリリングです。
読み直すたびに心に響く言葉がたくさんある
「こころ」は年齢を重ねて、読み返すたびに、思っても見なかった言葉に出会って、学びを得るケースがたくさんあります。
例えば先生の悲しげな言葉。
私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは心の底から真面目ですか
人を信じられないが、でもなんとか信じたいと思っている人間愛のある先生の苦悩のさけび。
僕が学生自体には、先生の言葉の深さ(つまり人間への恐れと尊重が共存している魂のさけび)がわかっていませんが、年を重ねると、「人を信頼したい」という気持ちが強く芽生えてくるようになり、この言葉から先生の寂しさを痛切に感じるようになりました。
面白いもので、若い頃は先生よりも青年の立場で、先生の言葉に耳を傾けていたのですが、徐々に先生の年に近づき人生経験を積むようになると、「先生の言葉の裏」を考えるようになります。
そこには拭いきれない過去の痕跡が強く残っているのです。