夏目漱石『坊っちゃん』のあらすじ&テーマ解説!【中学生にも分かりやすく考察】

こんにちは、年間100冊以上の小説を読むたかりょーです。

この記事は下記のような方におすすめです。

  • 「坊っちゃん」の読みどころを分かりやすく解説してほしい!
  • 「坊っちゃん」のどこを読めばいいのか(読みどころ・POINT)

について、説明します。

坊っちゃんは漱石作品群の中でも、その人気は絶大で、日本で一番有名な中篇小説ともいえます。

疾走感ある語りの軽妙さは圧巻で、主人公の坊っちゃんはトリックスターよろしく物語をかき回して、悪者赤シャツを成敗する様は、まさに『痛快』そのもの。

ページ数も短くて内容も平易なので、中学生や読書初心者にもおすすめの作品です。

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坊っちゃんってどんな小説?【概要】

坊っちゃんは「夏目漱石の作品は?」と質問された時に、真っ先に名前があがってくるほど有名な、国民的小説です。

吾輩は猫であるが出版された翌年、明治39年(1906年)に出版され、漱石が39歳のときに書き上げた小説です。

当時千駄木に住んでいた漱石は職業作家ではなく(一高東大の講師をかねていた)、友人の高浜虚子のすすめによって、執筆活動は自分の持病(精神疾患)を癒やすための、ある種の「滋養」目的で書いた作品です。

作品の魅力はとにかくユーモアたっぷりで面白い点。

語り口もあざやかで、難解な言葉も使われず単純平明な筋なので、小説・漱石初心者の方でも楽しく読めること間違いないです。

>坊っちゃんの社会背景は?背景事情について学ぶ

たったの10日で書き上げられた作品!?

240ページの小説は、なんとわずか10日という異常な早さで執筆された作品です。

坊っちゃんをかきあげた当時、漱石は千駄木に住み、一高東大の講師を兼ねていました。

書き上げられた原稿はほとんど訂正されることなく、きれいに整った状態だったというから驚きです。

筋自体も確かに荒いところはありながらも、生き生きとしかも「デティルが充実」 (大久保純一郎) した形で書かれている点、彼の天才的な才能が伺えます。

また当時、相当の執筆意欲があったというのは疑いもなさそうです。

事実、鏡子夫人の『漱石の思ひ出』によれば、当時の漱石は「ペンをとって原稿紙に向かえば、直ち小説ができるといったぐあい」で、書き損じなどはほとんどなかったという。

ちなみに晩年は反対の「山のように書きそこの紙を出して」 いたところを考えると、真逆といわざるをえません。

明治三九年三月中旬から下旬にかけてのわずか週間から十日という驚異的なスピードで書き上げられた小説です。

坊っちゃんを語るキーワードは?【一言で表すとなに?】

  • 悪童小説
  • 勧善懲悪
  • ユーモア小説
  • 子供VS大人(純粋VS社会・俗世間)

坊っちゃんのテーマは?【何を伝えたい作品?】

坊っちゃんは、江戸っ子で無鉄砲で血気さかんな主人公が愛媛県の松山へ数学教師として赴任し、同僚の豪傑気質の山嵐とともに、俗物根性丸出しの赤シャツと、その腰巾着だいこを懲らしめるために、反旗をひるがえし天誅を下す物語です。

つまりこの作品は「善い行いを勧め、悪を正す」といういわゆる勧善懲悪な体裁をもった作品です。

ここで正義は坊っちゃん側で、悪は社会や世間を代表する赤シャツです。

成敗するというところに、坊っちゃんの痛快性というのはあるのです。

 

しかしながらその一方で、坊っちゃんと山嵐は赤シャツを暴力的にはやっつけるのですが、事実上、敗北することになります。

なぜなら、二人は意気揚々と松山の中学校を去るのですが、実際は退高と同じ扱いなのであって、権力者の赤シャツはそのまま残ることで、権力は今まで通り存続することになるからです。

このように明快な勧善懲悪の世界こそ、坊っちゃんの痛快な物語につながってはいるのですが、その反面では階級・権力が持つ社会性も感じさせる作品でもあるのです。

坊っちゃんは漱石の実際の経験がベースに!

坊っちゃんは漱石が愛媛県松山市の尋常中学校(松山中学校)で、1年間英語教師とした勤めた経験がベースになっている作品です。

ちなみに書き始めた時には、その経験は10年前のものだったと考えるとすごいことです。

ちなみに漱石が受けた松山市への印象は結構ひどくて、友人に宛てた手紙や、日記には松山に対してかなり辛辣な悪口ばかり書いていました。

坊っちゃんが発表された当時は、「我こそが作中人物だ」と名乗り出るもの多々いたそうです。(漱石は誰をモデルにしたわけでもなさそうですが)

■豆知識

松山中学での月給は今の30万円ほどだったそう。

在学当時の漱石の印象は「近寄りがたい都会のハイカラなエリート」に見えたらしいです。

坊っちゃんのあらすじ要約

江戸っ子の主人公坊っちゃんは、正義感の強く竹を割ったような性格の持ち主。

小さい頃から「親譲りの無鉄砲な性格」が災いして、さまざまに損をしてきています。

家族とはうまくいかずに父親からは一度勘当させれそうになり、母親からは死ぬ3日前に愛想を尽かされます。

実の兄は「女のような性分だ」といって、全く馬が合いません。

そんな彼に優しく寄り添ってくれるのは、唯一、下女の清だけです。

「あなたは真っ直でよいご気性だ」といつも彼の味方でいてくれる心優しき性格の持ち主です。

そんな坊っちゃんの両親は死去します。(母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった)

性格の合わない兄は、家を処分して九州の会社へ出立するとのこと。

当の坊っちゃんに対して、六百円を渡し、商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでもしてくれと、縁をきるとほぼ同じ状態になります。

坊っちゃんは遺産でたまたま前を通りかかった物理学校に入学。

卒業後、四国の松山の中学へ数学教師として赴任することになります。

赴任した四国の中学校では様々な教師がいます。

「女のような優しい声を出す」 文学士である教頭の赤シャツ。

坊っちゃんと同じ数学の教師山嵐は豪放磊落な気質の持ち主。

人風の画学で赤シャツの腰巾着の美術教師は野だいこ。

血色が青白い英語教師はうらなりと、その婚約者マドンナといった具合にです。

生徒たちとの関係は最悪で、彼らは坊っちゃんの私生活を監視し、まるで彼を学校から追い出そうとするかのように、布団にバッタを入れるなど、悪童ぶりです。

正義感の彼は、例え生徒だとしてもシラを切るやつは許さんとばかりに、報復さえしようと行動をとります・・・

ある日、赤シャツに誘われて海釣りに出た時赤シャツと野だいこは、山嵐が生徒を煽ったかのように暗示して、 坊っちゃんと山嵐との仲を裂こうとします。

純粋な坊っちゃんは始め、赤シャツの企みにまんまと騙されて、山嵐と絶交しようとしますが、後に赤シャツがうらなり(古賀)くんの婚約者のマドンナを奪ったことを知ります。(彼を九州に左遷しようとしていることも知ることに)

さらには、戦争の祝勝日に、坊っちゃんと仲間の山嵐は中学と師範学校の生徒との喧嘩を止めますが、これも全て赤シャツが裏で手を引いていたことが判明。

人を騙したりするのが大嫌いな、正義感が強い坊っちゃんは憤慨。

二人して赤シャツを成敗しようと考えます。

辞表を出した山嵐と坊っちゃんは二人で温泉宿の屋の前の屋の二階で張り込みます。

八日目、角屋に芸者が二人入って、その後に赤シャツと野だいこが入っていくのを見て、 二人が出てくるのを待ちます。

そして、二人の後をつけて、ついに田道で赤シャツと野だ いこに鉄拳制裁を加えます。

東京に戻った坊っちゃんは街鉄(東京市街鉄道)の投手となって、清といっしょに暮らします。

坊っちゃんの登場人物紹介!

坊っちゃんが長く読みづがれている魅力といえば、漱石が作り出したキャラクターたち。

赤シャツを始め、山嵐や清といった人物は時代を超えてもまだ魅了しています。

こちらについては別の記事でまとめているので、確認してください。

坊っちゃんの登場人物

たかりょーこんにちは、年間100冊以上の小説を読むたかりょーです。 坊っちゃんの登場人物を詳しく知りたいそんな方向けに用意した記事です。坊っちゃんには非常に魅力的な登場人物がたくさん登場します。[…]

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坊っちゃんの魅力はなんといっても・・・

漱石の「坊っちゃん」の書きっぷりは見事です。

心の癒やしのために書いていたこともあり、文章には遊びがたくさんあって、ユーモア感も読んでいるこちらも楽しい気分になります。

魅力はなんといっても、善人と悪役がはっきりして、単純明快な性格の正義感ある青年坊っちゃんがスピード感ある話術と応酬でテンポよく物語が進み、ラスボス感のある悪しき赤シャツを駆逐していくところ。

彼の語り口はまさに痛快という表現がぴったりで、教育的な言説一辺倒の赤シャツに対して、ユーモア混じりの諧謔的な要素があるのが面白いですね。

実際、赤シャツの敵キャラ感は半端なくて、読んだ人は「赤シャツいやだなあ」と感じることでしょう、

坊っちゃんの読みどころ解説【深読み・引っ掛かりポイント】

課題図書にもなるような小説である。

一見、子供小説な印象が強い小説ではありますが、その印象

正義感が強く、気分が爽快になるだけでない

反対に幼い印象もある小説ではありますが、ふかよみをすると非常に面白い観点が出てくる

疑問に思ったことも書いてよし

建前の社会で、真っ直ぐに生きる様から学べ!

人間はおとなになるにつれて、常識というのを覚えていきます。

常識を持つことで、どのように振る舞えば角が立たないかを意識できるから、周囲の人々と摩擦は生まれることはありません。

それはたとえ正しいと自分が心に思っていても、周りとの歩調を合わせなければならないからと愛想笑いや黙殺という行動にでるケースもあります。

上記は社会を渡っていく僕たちにとっては身につけるべき行動原則のようなものです。

ただどこまでもまっすぐで自分の価値観を大切にする、坊っちゃんにとってはそんなものクソくらえなのです。

考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊だの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。

これはまさに正論でしょう。

超現実主義、漱石?イノセントな坊っちゃん、敗北の物語である

芯の通った人間として周囲に屈せず、周りとの軋轢さえもおそれないヒーロイックな坊っちゃん。

これがもしハリウッド映画的な物語であれば、理想主義が勝利をおさめるでしょう。

 

ところが坊っちゃんは赤シャツたちをボコスカとなぐり、復習・報復をしたのですが、結果的に漱石は坊っちゃんが松山から退場させて、俗物的な赤シャツの権力維持という形で、敗北の結末を用意しています。

 

そして坊っちゃんを放免にするのは、俗物と化した権力側の人間なのです。

それでは坊っちゃんの何がよくなかったのでしょうか。

それは彼があまりにも正直すぎて、直情的に戦いすぎたのです。

例えばまず彼は人を信じすぎる性格です。

たとえば、すぐに人の話を鵜呑みにするところ。

赤シャツから釣りに誘われた時も、 山嵐が前任者を奸計によって辞めさせた人物である話を聞かされます。(悪者っぽい赤シャツの言うことですから読者の僕たちは嘘をついているのが見え見えなのに)そして、

世の中には磊落なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。

と言われて、同士である山嵐を疑うことになります。

また例えば下記の坊っちゃんと赤シャツのやりとりなんかは、非常に両者の性格を対比しているように表現しています。

「正直にしていれば誰が乗じたって怖くはないです」

「無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云うんです」

「気を付けろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好い いんでしょう」

「無論悪るい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。」

このように坊っちゃんは大人の論理(=世間を渡るための知恵)の分からない、悲劇のヒロインでもあったのです。

逆に勝利をおさめた赤シャツは、出世ばかりを気にして教師に責任をなすりつける。うらでこそこそして、いやらしい部分はあるにせよ、頭が切れて、世間を渡っていく知恵はもっていたのです。

 

確かに坊っちゃんは決して媚を売らない、曲がった事は断じて許さない性格は魅力です。

でも巧妙な知恵のある俗物人間と渡り歩くには、あまりにも純粋すぎ、弱肉強食の社会では、「強者の権利」をもつ人間が強く、俗物な人間がうようよとしている社会で真正面から戦いすぎたわけです。

だから赤シャツにかんたんに踊らさせることになったのです・・・

漱石の理想の母親像=清

坊っちゃんには「清」という、落ちぶれた武家の未亡人がいます。

坊っちゃんの母親は死んでしまい、父親、兄貴にも煙たがられ可愛がられておらず、彼女だけが唯一、無条件に主人公に対して心優しく接します。

作中では優しく美しい心の持ち主、まるで自分の片割れとみなし、ことあるごとに清のことを思い出して、懐かしむ場面が印象です。

それもそのはず。

彼には両親は死去し、兄貴とは絶縁している、つまり、身内を含めてコミュニケーション断絶状態なわけで、信頼を寄せれる人がおらず、ひとりさびしくやってきた異国の四国では事あるごとに清を思い出していたのは実は、彼の心の支えになっているのは間違いありません。

時に突き放して清のことを語りながらも、心底では愛情をもった眼差して彼女のことをみており、「清のいうんだからなるものだ」と、一人合点できるくらい信頼していたのです。

 

また清の方も坊っちゃんのことを溺愛しています。例えば、彼女は盲目的に坊っちゃんが偉い人に見えています。

しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺おぼれていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。—こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。

なのでこの二人には共依存関係が出来上がっているわけです。

 

この清に対して、実の母親(丸谷才一)、あるいは理想の母親像(吉本隆明)を見ている、という論説があります。

いずれにしても、清は漱石文学のなかでもひときわ「母性的な役割が強い」登場人物です。(ある意味で全作品で一番と言っても良いかもしれません)

ちなみに坊っちゃんの最後のほう、松山を追われて清のもとに戻って、ポタポタ涙を流すシーンは、本作品のなかでも感動的なシーンといえるでしょう。

「親譲りの無鉄砲もの」がすべての災難を招いている?

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」で始まるこの作品は、まさに坊っちゃん全体に通底しているキーワードでもあります。

実際、松山の学校にいくことになったのは、「親譲りの無鉄砲」な性格で行動人間である彼が、たまたま物理学校の前を通って、生徒募集の広告を見たからなのです。

学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛かかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起おこった失策だ。

彼は熟慮することなく、出たとこ勝負で戦い続けています。

(兄が実業家になると人生設計を立てていた点を考慮すると対象的な性格なのです)

これはある意味で教訓です。

なぜなら、物語の主人公としては面白みはたしかにありますが、事実生活で坊っちゃんのような行動をとっていると、文字通り「左遷」やら「敗北者」になるからです。

正義感や自分の軸で行動するのもたしかですが、「この行動ってどうなんだろう」と己を立ち返る能力があれば、到底あのような結果にならなかったかもしれません。

後期作品との関係性

坊っちゃんは読みやすい印象がありますが、主人公の対人関係を考えた際に、それから・門の『前期作品』や、『彼岸過迄・行人』の後期作品と、共通関係があることががわかってきます。

例えば血縁者との関係では、

  • 両親との確執=父親は持て余し、母親は死の直前(三日前)に愛想をつかした
  • 実業家になった商業的・世間的な兄との対立
  • 父親の死後に行われる財産分与

といった形で、基本的な構造として、そのほかの作品に登場する主人公との共通性があることに気づきます。

また社会や体外的な関係を考えた場合、町内では「乱暴者の悪太郎と爪弾」され、「到底人に好かれる性でないとあきらめ」、「他人から木の端のように取り扱かわれ」ていたわけです。

学校内では、赤シャツたちとの対立し、子どもたちから

このようにコミュニケーションの断絶といった、漱石作品の主人公ならおなじみのモチーフが坊っちゃんにもでてきているのです。

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