『坊っちゃん』を読み進めていく中で、登場人物の多さに戸惑ったことありませんか?小説を読んでると「次々と」登場人物がでてくるので気を抜いていると「各々の人物の詳細・関係性」を把握できないまま・・・ってこともありますよね。
だから今回はこんな方向けに用意した記事です。
坊っちゃんの登場人物の性格や背景、他の人物との関係性を整理し理解しながら作品全体の理解を深めたい。
この記事は『坊っちゃん』を読んでいる最中に、登場人物の詳細を把握しきれない読者のために書きました。『坊っちゃん』の主要な登場人物たちを選んで取り上げているので、記事を読めばだいたいの登場人物を把握できるようになっています。是非参考にしてください。
坊っちゃんってどんなお話なの?
『坊っちゃん』は、夏目漱石の初期の代表作であり、正義感や理想を抱く青年の成長物語。
ちなみに漱石は明治28年、松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)で英語の教師として勤務していました。坊っちゃんはその時代の体験をもとに描かれた物語といわれています。
主人公の「坊っちゃん」は、正義感が強く、理想主義的な若者。東京から愛媛県の中学校に数学教師として赴任します。
物語は、坊っちゃんが赴任先の学校で直面する様々な困難や、同僚教師たちとの軋轢を中心に展開します。特に、The権威主義的な英語教師の「赤シャツ」や、美術教師の「野だいこ」との対立は物語の大きな見どころです。坊っちゃんは、彼らの不正に強く反発し、自分の信念に基づいて行動します。
また、坊っちゃんと親しい関係にある清という下宿の老婆や、同志的存在である数学教師の「山嵐」との交流も、物語に深みを与えています。
まずは「坊っちゃん」のあらすじを知りたいって方はこちら↓
坊っちゃんの登場人物
坊ちゃんってどんな登場人物がいるの??
この章より、記事の本題である『坊っちゃん』に登場する魅力的なキャラクターたちについて、一人ずつ紹介していきます。
・坊っちゃん
本作の主人公。24歳と3ヶ月。
現在の東京理科大学(物理学校)を卒業してから、数学教師として四国・松山の中学校に赴任することに。
元旗本(旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔)の江戸っ子気質。
なりはちいさくて、痩せている。
竹を割ったようなまっすぐな性格で、利害や打算が大嫌い。
短気であり、癇癪持ち。町内では乱暴者として爪弾きにされていた。
そのため周りと衝突することが多々ある。
実生活への処し方は不器用で、現実的ではない。
敵は多いが、実家の清を心から愛している。
弱虫な人間や卑怯な人間は嫌い。
山嵐がいう「君はすぐ喧嘩を吹き懸ける男だ。なるほど江戸っ子の軽跳な風を、よく、あらわしてる」はまさに的を得ている。
坊っちゃんに当てはまる性格のキーワード
- 正義
- 豪傑
- 無鉄砲
- 楽天的
- イノセント
エピソード
親譲の無鉄砲むで小供の時から損ばかりしている。
・清(きよ)
坊っちゃんの家の下女(家事手伝い)の老婆。
もとは由緒ある武家の生まれで、幕府が瓦解(徳川幕府の崩壊)し、お家が零落してからは、奉公に出ている。(奉公にでてから10年来)
周囲のほとんどが坊っちゃんのことを無精者といっているなか、それを無視して、「あなたはまっすぐでよいご気性だ」と唯一味方になってくれる。
無条件に坊っちゃんを愛す存在。
主人公を「坊っちゃん」と呼び溺愛している。坊っちゃんと同居(同じ家で暮らすこと)を夢見る。
清に当てはまる性格のキーワード
- 優しい
- 母性的
- 坊っちゃんを無条件に愛し、信頼している存在。
- 坊っちゃんの良き理解者
・堀田(あだ名:山嵐)
会津の生まれのたくましい毬栗坊主。
数学教師として働いており、主任の立場にある。教師としての責任感が強い。
肝癪持ち(短気で怒りっぽい)の性格だが、生徒や同僚から信頼され、慕われている。
坊っちゃんとは正義感や価値観を共有しており、気の合う同志的存在。
顔つきは比叡山延暦寺の僧兵を連想させるような、強面の面構え。※叡山の悪僧……比叡山延暦寺に属して戦った僧兵のこと。
坊っちゃんと同じく、正義感が強く、不正を許さない性格。だから坊っちゃんとは気が合う。
坊っちゃんの宿を用意するなど、世話を焼くタイプ。
なぜ山嵐というあだ名なのか?
叡山の悪僧のような怖い面構えで、いがぐり坊主。そして初対面から、「やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給きたまえアハハハと云った。」と礼儀を心得ぬ奴。これを総合して山嵐と名付ける。
・校長(あだ名:狸)
坊っちゃんの中学校の校長。
もったいぶっていた
校長は薄髯(うすひげ)のある、色の黒い、眼の大きな狸の様な男である(夏目漱石『坊っちゃん』/新潮文庫/23ページ)」。
なぜ狸なのか?
作中には「薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。」つまり容姿的なあだ名!
校長の性格のキーワード
- 知識人ぶり
- 卑怯者
・教頭(あだ名:赤シャツ)
坊っちゃんが赴任した中学校の校長先生。坊っちゃんの作品内では、敵キャラ的な立ち位置。
文学士(出身は東京帝国文科大学)の中学校教頭。ハイカラで気取った歩き方をする。年中赤いフランネルのシャツを着ている。
女のような声を出す(←坊っちゃんの兄貴にも女のような性分と揶揄する箇所がありますが、どちらも軽蔑的な印象をもっているのが分かります)
悪事を働くときも、相手を思いやるような口ぶりをして、平気で嘘を付く(建前の口上がとくいでいつも優しくはなす)
「ホホホホ」とお殿様のように笑う。
うらなり君の婚約者・マドンナを奪おうとする。それを正義感あふれる坊っちゃんは許すことができない。
品性だの、精神的娯楽だのとのたまうわりに、裏では芸者と関係をつけるようなやつ。
なぜ赤シャツというあだ名なのか?
暑い夏でもお構いなしに、年がら年中、赤いフランネルのシャツを着ているから」。教頭的には「赤を身体にみつにつけていくのは身体に薬になり、衛生のためにいい」らしい。迷信を信ず安い気質なのかもしれない。
赤シャツの重要性とは?
校長(狸)は、明治時代の古い価値観と権威主義的な態度で学校を運営する人物として描かれています。坊っちゃんの自由な精神や正義感と対立することで、物語に緊張感をもたらす存在です。
本名:吉川(あだ名:野だいこ)
坊っちゃんの同僚の画学(美術)教師。
坊っちゃんと同じ江戸っ子。
芸人風の透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、芸人のような派手な服装が特徴的。
赤シャツの家に頻繁に出入りし、赤シャツの行く先にはどこにでもついて行く。赤シャツの主従でドラえもんでいうところのスネ夫的な追従的な態度を取る。ちなみに坊っちゃんは野だいこが大嫌い!(初対面から坊っちゃんには嫌われている。)
赤シャツと一緒になって、何かと悪巧みを企てる存在。坊っちゃんの真面目で正直な性格とは対照的に、野だいこは追従的で不誠実な印象を与える。
吉川の有名な言葉
「お国はどちらでげす、え?東京?そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子です」
・古賀(あだ名:うらなり君)
坊っちゃんの同僚の英語教師。存在感が薄く、他の登場人物に比べて目立たない存在。
顔の血色が悪く、体型がふくれている。影の薄い存在。
なぜうらなり君というあだ名なのか?
田舎に「うらなりの唐茄子ばかり食べる」百姓の顔色が蒼くふくれたような人間がおり、古賀はちょうどそんな人相を古賀がしていたから。
・遠山の令嬢(あだ名:マドンナ)
うらなり君の婚約者。(物語の中では直接的な関わりは描かれていない。)遠山家の令嬢であり、裕福な家庭の出身と思われる。
色白で、背が高い美人。ハイカラな髪型をしている。
マドンナというあだ名は野だいこ=吉川くんが名付けている。(美しい容姿から連想される宗教画の聖母マリアを連想させる)
赤シャツを婚約が約束されている。
兄
坊っちゃんとは馬が合わない。実業家になるために英語を勉強。
色が白く、女のような性分で、ずるいがしこい。(←坊っちゃん評)
両親は兄を贔屓している。坊っちゃんとは十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。
父親が死んだときに、遺産を坊っちゃんに渡し、「自分で自分の人生を決めろ」という。←これはある意味でいい兄貴だと思う。
いか銀/宿屋の主人
宿屋の主人兼骨董を売買する。
懸物や骨董を売りつけて、商売にしよう
坊っちゃんを乱暴して困るから、どうか出るように、山嵐にいい、まんまとひっかかる。
その後を野だいこが住むことに。
偽筆へ贋落款などを押して売りつける。
野だいこになったのは、おそらく骨董品趣味があり、彼ならば押し売りでも買う可能性があるからだろう。
そうして、エセっぽいハイカラな野だいこならば、必ずやその偽品を買いそう・・・
ウィッチ
いか銀の女房。いか銀よりも4つ上。
なぜウィッチというあだ名なのか?
「中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている」とあるように、
つまり奥さんは魔女であり、坊っちゃんは魔女の館(宿屋)に住むことになっているわけです。
登場人物のアレコレ解説!
坊っちゃんの淋しさに、共感!
奥泉光さんが指摘しているように、坊っちゃんの饒舌ぶりの影に、明らかに他者とのコミュニケーションの欠如が浮き彫りになっています。
彼の周りの親類はことこどく、彼をいたずらものとし理解されません。父親からは縁を切られそうになったり、母親は死の3日前に愛想 をつかしたし、兄からは手切れ金を渡されるような仕打ちを受ける。このように、最も近しい家族との関係性でさえ、坊っちゃんにとっては孤独の原因となっているのです。
さらに赴任先の松山での生活は、さらに坊っちゃんの孤独感を増幅させます。見知らぬ土地で、頼れる人もいない状況に置かれた彼は、自分の正義感や理想に従って行動するものの、それが周囲との衝突を生み、さらなる孤立を招いてしまう。坊っちゃんは竹を割ったような性格があだして、人を寄せ付けず、敵を作っては孤軍奮闘している感じです。
このように明らかに他者との交流がありません。実際、爽快な性格の裏では、坊っちゃん以降の主人公のような孤独な感じがあり、淋しさはかなりあったのではないかと思います。
しかし、その孤独の中で、坊っちゃんは清への思慕の情を繰り返し語ります。故郷の思い出や、清への感謝の気持ちは、彼の心の拠り所となっているようです。
考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防強い朴念仁がなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶる尊い。今まではあんなに世話になって別段難有いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後えの笹飴ささが食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分ある。清はおれの事を欲がなくって、真直な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。
また下記の場面も心温まります。
いっしょに居るうちは、そうでもなかったが、こうして田舎へ来てみると清はやっぱり善人だ。あんな気立のいい女は日本中さがして歩いたってめったにはない。婆さん、おれの立つときに、少々風邪を引いていたが今頃はどうしてるか知らん。
なかなか清からの手紙がこずに、あくせくしている様子などは、赤シャツや野だへの対し方と比較したときに、驚くべき優しさがにじみ出ています。
そうしてやっと風を引いて1週間ばかり返事を書くのが遅れた清からの手紙がきて、それを縁側に座って読む場面は、彼の孤独である様子が頭のなかで情景として浮かびますし、漱石文学きっての名シーンではないでしょうか。
少々長いですが引用します。
なるほど読みにくい。字がまずいばかりではない、大抵たいてい平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読をつけるのによっぽど骨が折れる。おれは焦っ勝な性分だから、こんな長くて、分りにくい手紙は、五円やるから読んでくれと頼まれても断わるのだが、この時ばかりは真面目になって、始から終まで読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、また頭から読み直してみた。部屋のなかは少し暗くなって、前の時より見にくく、なったから、とうとう椽鼻へ出て腰こしをかけながら鄭寧に拝見した。すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、しまいぎわには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向の生垣まで飛んで行きそうだ。
そうして次は清の手紙の文面が続きます。
坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ肝癪が強過ぎてそれが心配になる。ほかの人に無暗に渾名なんか、つけるのは人に恨まれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない、もしつけたら、清だけに手紙で知らせろ。――田舎者は人がわるいそうだから、気をつけてひどい目に遭あわないようにしろ。――気候だって東京より不順に極ってるから、寝冷をして風邪を引いてはいけない。坊っちゃんの手紙はあまり短過ぎて、容子がよくわからないから、この次にはせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。――宿屋へ茶代を五円やるのはいいが、あとで困りゃしないか、田舎へ行って頼になるはお金ばかりだから、なるべく倹約して、万一の時に差支ないようにしなくっちゃいけない。――お小遣がなくて困るかも知れないから、為替で十円あげる。――先だって坊っちゃんからもらった五十円を、坊っちゃんが、東京へ帰って、うちを持つ時の足しにと思って、郵便局へ預けておいたが、この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。――
そうして最後に「なるほど女と云うものは細かいものだ。」としめます。
このように坊っちゃんは小説全体を通じて、清を思い出しては、片田舎でひとりいる。明らかな寂しさを、なんとか紛らわせようにしているようにみえます。
実際坊ちゃんは「さみしいなあ」というようなセンチメンタルな言葉を発することはありませんが・・・
だから、本作を読む時には、坊っちゃんの言動や行動の影にある孤独、(必ずしも坊っちゃん自身はそれを感じていないにしても)また清に対してだけ抱く、優しく特別な感情を感じてほしいです。