この記事は「草枕」の読者を想定して下記のような方におすすめの記事です。
- あらすじを簡潔に知りたい!
- より深く読み込みたい!
- 読みどころポイントを知りたい!
- 実際に読んだ人の生の感想を聞きたい!
もしあなたが画家や詩人といった芸術家を目指しているのであれば必読!
明治の文豪である漱石が胸に抱いていた美意識や詩人としての態度といった芸術論を知ることができます。
時を超えて令和の現代となっても、芸術家であれば持つべき姿勢や精神がわかるのでおすすめです。
草枕ってどんな小説?
夏目漱石の初期の代表作品。
1906年に雑誌『新小説』(春陽堂・明治三十九年九月一日発行)に発表されました。
時期としては、「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」に続く作品です。
執筆期間はなんと一週間!
草枕が書かれた背景や経緯とは?
草枕は、1896年(明治29年)から赴任した熊本の体験をベースにして書かれた小説です。
彼は1896年(明治29年)から第五高等学校(熊本大学の前身)に英語教師として赴任し、約4年3ヶ月熊本で暮らしていました。
1897年の冬に友人の山川信次郎とともに、小天温泉(あまおおんせん)に逗留した時に出会った人や見た風景をベースに小説化しています。
当時の文学は自然主義への抵抗?
草枕は、低徊趣味的文学と呼ばれています。
低徊趣味とは「俗性のしがらみから離れ、ありのままの自然や芸術を楽しむ趣味」
当時、文壇では俗性的なこともありのままに描く自然主義が主流。
でも漱石は自然主義を批判的な態度をとっていました。
草枕のテーマは?【草枕で伝えたいことは?】
草枕は際立ったプロットはなく、煌びやかでな語彙と多彩な文章を通じて、自然事物の感覚的美的な要素を、絵画で描こうとしています。
そこには自らの美意識や詩観が反映されます。
その態度とは下記の通り。
余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画がであり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬ、この景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴ともなわぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
つまり小説の主題は、いかに衆俗から離れて、“美を芸術的に描けるか”にかかっています。
人情とは、いわゆる「俗世」であり人間臭さにまみれた世界であるから、純粋な詩的境地から引き戻してしまう過剰な存在です。
彼は山奥に来ることで、そういった俗世からあえて己をはなすことで、自分の目指す芸術を実現しようとしたのです。
漱石の芸術論として読める作品
小説内には濃厚で多くの芸術論が登場します。それは美術批評だったり、詩人的態度だったりと。
例えば詩人として、自分の主観体験を「17字」にまとめることもすすめています。
詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否いなやうれしくなる。涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉うれしさだけの自分になる。
この草枕に描かれているのは当時の夏目漱石の理想とした芸術観です。
あくまで彼が狙っていたのは、衆俗から超越した先に見えてくる美的境地です。
西洋画家の商工の行動や思索を通じて、具現化したのが「草枕」なのです。
草枕を語るキーワードは?
- 漱石の芸術的な姿勢を垣間見れる
- 芸術とは何たるかを知れる
- 漢詩のオンパレード!
- 漱石的女性、那美に注意せよ!
草枕のあらすじ簡単要約
舞台は、豊かな自然に恵まれた温泉地・那古井。時代は日露戦争(1904~05年)戦時下。
「山道を歩きながら、こう考えた。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」ではじまる。
利害だなんだと俗世間のしがらみに嫌気がさしている、30歳の画工の主人公。
非人情の境地に至るため、那古井(九州の山奥)一軒しかない温泉場で一人逗留することに。
そこで出会うのは、那美。
人の噂によると彼女は元夫の勤め先が倒産の憂き目に遭い、それをきっかけに実家である温泉宿に出戻りってきたのである。
画工は彼女の謎めいた振る舞いとともに人を驚かす一風変わった態度に翻弄されるも、「今まで見た女のうちで最も美しい所作をする女」と感じる。
彼は那美から「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と頼まれるが、「あなたの表情には足りない所があるから絵にならない」と断り、描かなかった。
ある日草原に寝そべって漢詩をひねっていると、無精髭を生やした野武士の男を見つける。そしてそこになんとあの那美が現れる。
彼女は野武士にお金を工面した、実はその男は破産した那美の元夫であり、満州へ行くために金を用立ててもらったのだ。(おそらく当時の満州は一攫千金の夢があり、日本で失敗した彼は一大発起とばかりに満州へ行くのだ)
最終章。
満州へ徴収される那美の従兄弟久一を見送るために二人はステーションへ。
そこには元夫もいる。発車する汽車。
窓越しに彼と顔を合わせ、彼女は茫然とした表情を見せつつも不思議に今までかつて見た事のない「あるもの」を発見する。
それは画工が那美の表情のうちに足りないものだと思っていたものだ。
そうすることによって、彼の胸中の画面に「彼女の画」が成就したのである。
草枕の登場人物
草枕の登場人物をご紹介します!
01.余(よ)
物語の語り手。 画家。
羊羹が好き。芸術至上主義。感興が出てくると俳句を作る。
志保田那美
結婚生活が破綻した後に実家に戻る。志保田那美
二十代半ばの若くてきれいな女将、志保田那美しほだなみが居ます。 5年前、熊本城下一番のお金持ちと結婚したのですが、破産してしまった夫と離婚して、実家に戻って来た”出戻り娘”です。村の人々は、彼女のことを薄情者「不人情」な女だと噂しています。
毎日針仕事をして、三味を引いている。大鉄という坊さんのところにいき、法を説きにくる。
足が強く遠い場所まで芹つみにも。目にちからがある。
人を嘲笑するかのように世間から超然とした態度。
志保田
那美の父。温泉宿の主人。白いひげをムシャムシャとはやしている。60歳、隠居さん
久一
那美のいとこ。西洋画の絵かき。鏡が池で写生をしていた。満州のちへ出征する
婆さん
前半にでてくる。茶屋で余にお菓子とお茶を
お秋という娘がおり、結婚が決まっている。
それと対象的に、那美の不幸さも語る。
峠の茶屋の婆さんを数年前に観た能『高砂』の媼(おうな)に「見立て」ている「余」
源兵衛
那古井の源兵衛。馬子さん。おこしれのとき。馬に嬢様をのせた。薪を切っては3日1遍ことによると4日1遍城下へ持っていく。鏡の池の由来を、余に教える。
髪結床の亭主
「旦那あの娘は面めんはいいようだが、本当はき印じるしですぜ」
大徹
観海寺の和尚。禅僧。「余」は月のきれいなある日、特にようもないが足の赴くままに大徹のもとにやってくるエピソードがある。
了念
大徹の弟子。小坊主。
泰安
髪結いの亭主から、奈美にのぼせ上がって、死んでしまったと聞かされる。
ただその後、小坊主から死んではおらず陸前の大梅寺へ言って発起したと
野武士
本名はわからないが、那美の元夫。 髭面で東京(城下)からやってきて、満州へ行くためのお金を無心にくる。
草枕の読みどころ解説【深読み・引っ掛かりポイント】
非人情の境地とは?
「草枕」の作品世界においては、「非人情の境地」が追求されます。
非人情の境地とは、俗界的な感情を放棄して、たただただ、自然現象をひとつの画として鑑賞することです。俗界的な感情とは、恋愛沙汰や忠臣など「義理人情」が主となる感情です。
つまり彼がわざわざ九州の山奥までやってきたのは、義理人情に煩わされず、目の前にあらわれる現象をすべて、芸術として眺める姿勢で貫かれます。
余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。
反対に、人情の世界とは、恋愛沙汰などの俗界的な感情があらわになるもの。だからこそ草枕の冒頭では茶屋の主人から聞かされた噂話は、俗界臭さが漂って
これからさきを聞くと、せっかくの趣向が壊れる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣を帰せ帰せと催促するような気がする。七曲の険を冒おかして、やっとの思いで、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下おろされては、飄然と家を出た甲斐かいがない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭が毛孔けあなから染込んで、垢で身体からだが重くなる。
ではなぜここまで俗界から離れようとしているのか。それは作品冒頭に書かれています。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬーー住みにくき世から、住みにくき煩らいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲ま込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。
画工にとっては人情的世界はとにもかくにも、人間同士の私利私欲にまみれ、利害が絡んだ住みにくさがあるわけです。そんな場所を少しでもやわらげるのは詩や画に代表される芸術であり、その芸術は、非人情の境地にならないと追求できないからなのです。
だからこそ漱石自身も草枕を「プロットのない物語だ」と述べています。
学私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯一種の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロツトも無ければ、事件の発展もない。
なぜならそもそも展開のあるストーリーとは画工が嫌悪していた「人情的世界」だからです。
「長良の乙女」と「オフェリア」と「那美」の関係は?
草枕において「長良の乙女」という重要な人物がでてきます。
「長良の処女」は、長者の娘でふたりの男に求婚された、どちらにもつくことができずに、川に身を投げた自ら命を絶った女性です。
あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
また「長良の乙女」とともに、那美に濃いイメージをあたえるのが、ミレーが書いたオフェリアです。
峠の茶屋の婆さんから那美の話をきいたときに、彼女の顔を想像しオフェリアの面影を「見立てて」います。
不思議な事には衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速取り崩す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、棕梠箒で煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を曳く彗星の何となく妙な気になる。
そして本作では終始、オフェリア=那美という図式が流れている。
ふたりに共通するのは、「水の上を流れて行く姿」です。
下記は冴さえるほどの春の夜に、余がみた夢の中では渾然一体となって混ざり合います。
長良の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上のぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸て行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
このように「那美」という現実的な女性は、「長良の乙女」と「オフェリア」と“関係”を持たせることで、芸術的女性としての相貌を際立たせているのです。
そこには、どちらも非業の死を遂げたという部分の「憐れさ」も感じされることでしょう。