今回ご紹介するのは瀬尾まいこさんの幸福な食卓。
この作品は穏やかな家族を描いているようでありながら、家族の形はどこか歪んでいます。
それは「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」というインパクトな言葉からもわかります。
幸福な食卓のあらすじ
佐和子の家族はちょっとヘン。
父を辞めると宣言した父、家出中なのに料理を届けに来る母、元天才児の兄。
そして佐和子には、心の中で次第にその存在が大きくなるボーイフレンド大浦君がいて……。
それぞれ切なさを抱えながら、つながり合い再生していく家族の姿を温かく描く。
『幸福な食卓』の感想・読みどころをお伝えします
微妙な均衡を保ちながらの家庭
家族とはそもそも、なんだろうか。
こう考えた時に、僕は自然、家族=安定の基盤であると考えました。
本作の主人公佐知子の家族は、不安定な家庭です。
それは父の自殺未遂がきっかけです。
普段はすっかり忘れていられるのに、梅雨が始まったとたん、リアルにクリアに思い出してしまう。そして、一度呼び起こされるとどうやっても消し去ることができず、適当にどこかにおいておくことができなくなる。押しやろうとすればするほど、頭の片隅でしっかりと存在を主張するP45
主人公にとって、父親の自殺というのは、一種の強迫観念としてたえず彼女を追い回しています。
その事件後、父親は父親をやめて、大学受験をしようとする。母親は夫の自殺未遂を防げなかったことに負い目を感じ、カウンセリングや宗教団体、占いに手を出し、最終的には離婚はせずに家を出て別に生活するようにする。
また兄は天才児とよばれ進学校をトップクラスの成績でるが、大学中退して、農業の仕事をする。
このようにまるで父親の自殺未遂というのが”呪い”という形で、影を落として、家族の人生が少しずつ変化するわけです。
つまり家庭=安定という基盤であるならば、その安定という象徴の家族という価値が崩壊しかけている状態、これが中原家の実態なのです。
しかし家族はみんな崩壊しないように努力しているんですね。
それは例えば家族が「食卓を囲む時間」をかけがえのない時間にしている部分。
我が家は朝ご飯は全員がそろって食べる。母さんと父さんが隣同士に座って、直ちゃんが母さんの向かい、その隣に私が座る。母さんが決めた習慣なのに、母さんがいなくなってからも正しく守られている
最後の部分、「正しく守られている」というのは大切です。
なぜなら、食卓を囲むというのは、家族という関係性を継続していく上のひとつの儀式だからです。
もしかしたら、食卓を囲むという行為がなくなれば家族という価値観が滅びる可能性もあります。
なので実は家族が唯一コミュニケーションをとれる時間である食卓を囲む=儀式の時間は、この家族にとってとても大切なのです。
そして食卓を囲むが表しているのは、みんなが家族を存続させよう・繋がりたいという象徴でもあり、いつか家族みんながいつか再生することを期待しているんだと思うんです。
大浦くんのエピソード
幸福な小説では大浦くんというとても愛すべき登場人物が出てきます。
瀬尾さんの文章の面白み
僕はこの小説で瀬尾まいこさんをはじめて読んだのですが、瀬古さんはかなり個性的な言い回しの持ち主だなと思いました。
例えば以下の一文なんかそうです。
かあさんは出来立てのフレンチトーストを私の前においた。もちろんフレンチトーストにはネギが入っていない。落ち込んでいるときにねぎを食べて賢くなってしまうと考えすぎてよくないから。そういう時には甘いものを食べるのに限るのに、朝から牛乳と卵に浸しておいたというフレンチトーストは口に入れると、甘い匂いが広がった。
「落ち込んだ時に甘いものを食べる」にプラスで「ネギを入れる」という頭がよくなる、これを儀式的に文中にあえて混ぜることで、コミカルでユーモアなのある一文になる。
本作ではこのような瀬尾さん独特の文章表現が数多く散見されます