リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』より、読み解く文章
短命の遺伝子だと簡単に区別できる特性は何であろう? こうした普遍的な特性はいくつかあるかもし れないが、この本にとくに関係の深い特性がある。すなわち、遺伝子レベルでは、利他主義は悪であり、 利己主義が善である。利己主義と利他主義のわれわれの定義からしてこうなることは避けられない。遺伝子は生存中その対立遺伝子と直接競いあっている。遺伝子プール内の対立遺伝子は、未来の世代の染色体上の位置に関するライバルだからである。対立遺伝子の犠牲のうえに、遺伝子プール内で自己の生存のチャンスをふやすようにふるまう遺伝子は、どれも、その定義からして、生きのびる傾向がある。 遺伝子は利己主義の基本単位なのだ。
結論:遺伝子の世界では「利己主義こそが生き残るロジック」である

自然淘汰の原理が働く場である遺伝子プールにおいては、自分自身のコピーをより多く残すことに特化した「利己的な遺伝子」が選ばれ、次世代に生き残っていきます。
一方で、自己の複製チャンスを犠牲にして他の個体や遺伝子の助けとなるような「利他的な遺伝子」は、結果としてコピーされる機会が少なくなり、時間とともに淘汰されていきます。
言い換えれば、
- 自己の複製を最優先にする遺伝子(=利己的)は 生き残りやすく、増えていく
- 他者を優先して自己を犠牲にする遺伝子(=利他的)は 生き残りにくく、やがて消えていく
ポイント | 内容 |
---|---|
遺伝子は「場所」を争っている | 対立遺伝子どうしで淘汰の勝負をしている |
自己コピーがすべて | より多く残ったものが「勝ち」 |
「利己的なふるまい」が残る理由 | 利己的な遺伝子は消えにくい(選ばれる) |
利他主義の遺伝子 | 条件なしには淘汰に不利、だから消えやすい |
結論 | 遺伝子レベルでは、「利己性こそが進化的善」になる |
そもそも「短命の遺伝子」とは?
まず、「短命の遺伝子」という言葉は、ここではこういう意味です。
遺伝子プール(=集団内の遺伝子の集合)から早く消えてしまう遺伝子
つまり、「選ばれない/生き残れない遺伝子」のこと。
なぜ「利己的な遺伝子」が生き残るのか
私たちが生物のふるまいを観察する際、「自己犠牲的な行動」や「仲間を助ける行動」がしばしば“美徳”や“善”として理解されます。しかし、生物進化の単位である遺伝子の視点から見ると、こうした「利他行動」は必ずしも生き残るために有利とは限りません。
自然淘汰の舞台は「遺伝子プール」
進化論の中核にあるのが自然淘汰です。これは、生存や繁殖に有利な特徴を持つ個体の遺伝子が、より多く次世代に受け継がれるという仕組みです。
ただし、ドーキンスが重視するのは個体レベルではなく遺伝子レベルの淘汰です。遺伝子は「遺伝子プール(=ある集団内の遺伝子の総体)」の中で、他の遺伝子と生き残りをかけた競争をしています。
遺伝子は「対立遺伝子」と競争している
ある特定の機能に関わる遺伝子には、しばしば複数の対立遺伝子(allele)が存在します。たとえば血液型を決める遺伝子座には「A型」「B型」「O型」などのバリエーションがあります。
重要なのは、これらの対立遺伝子は、同じ“場所”を次世代に占めるために競争しているという点です。つまり、
- より多くのコピーが次世代に伝わる遺伝子 → 生き残る(長命の遺伝子)
- あまりコピーされない遺伝子 → 消えていく(短命の遺伝子)
という選択が起きています。
生き残るのは「自己コピーを優先する遺伝子」



つまり、自分のコピーが他を犠牲にしてでも増えるように働く遺伝子が、自然淘汰によって選ばれます。
このような競争の中では、自分自身のコピーを増やすことに特化した「利己的」な遺伝子が有利になります。
具体的には、
- 自分を持つ個体の生存率を高める
- より多くの子孫を残させるような行動を引き起こす
- 他の遺伝子(特に対立遺伝子)が広がるのを間接的に阻む
こうした作用を持つ遺伝子は、次世代にたくさん残され、遺伝子プール内で数を増やしていきます。
利他的な遺伝子はなぜ不利なのか?
一方で、自分の生存や繁殖成功を犠牲にして他者(他個体)を助けるような遺伝子は、「一見良さそうに見えても」、遺伝子の競争においては不利です。
なぜなら、そのような遺伝子は、
- 自らのコピーの生存や複製のチャンスを減らしてしまう
- その結果、次世代に伝わる確率が低下する
からです。つまり、相対的にコピー数が減る=淘汰されて消える運命にあるわけです。
これがドーキンスの言う「短命の遺伝子」です。
結論:「利己性こそが生き残る論理」
このように、自然淘汰のメカニズムを遺伝子単位で見ると、自分のコピーを最大化するようにふるまう「利己的な」遺伝子ほど、進化的に成功することが明らかになります。
逆に、自分の存在確率を犠牲にしてでも他者を助けるような「利他的な」遺伝子は、特殊な条件(血縁関係や互恵性など)がない限り、長期的には淘汰されていきます。
誤読に注意:「だから利己的に生きるべき」は誤解
ドーキンスの主張は、あくまで「自然界でどういう遺伝子が残るか」という記述的(科学的)な説明であり、
「だから人間も利己的であるべきだ」という規範的な主張ではありません。



ドーキンスの主張は、「利己的なふるまいが自然の中で選ばれやすい」という科学的事実であって、「だから利己的に生きろ」という倫理的な推奨ではないということね。
なお間違わないように、「利己主義」「利他主義」という言葉を定義しておきます。
用語 | 一般的な意味 | ドーキンスの意味 |
---|---|---|
利己主義 | 自己中心的、わがまま | 自己のコピーを最大化するふるまい |
利他主義 | 他人に親切にすること | 自己のコピーを減らして他者を助けるふるまい |
つまり、「利己的な遺伝子」とは、わがままな性格を持つ遺伝子ではなく、自己の生存や複製の成功を何よりも優先する戦略を取る遺伝子のことを指しているわけです。
結論を人間社会に応用する際の意味と限界
ドーキンスの理論をもとにすると、人間の中にも「利他的な行動」が見られるのは、それが遺伝子にとって最終的に有利な戦略となりうるからだと理解できます。
- 親が子を守る行動 → 血縁選択によって自分の遺伝子を守る
- 仲間との協力行動 → 長期的な互恵関係による利得の最大化
- 名誉や信頼を重視する行動 → 社会的地位が子孫の生存に有利
つまり、「利他行動ですら、利己的遺伝子の戦略の一部かもしれない」と理解することで、僕たちの行動を進化的視点から再評価できるかもしれません。