この記事は下記のような方におすすめです。
- 「私の個人主義」の読みどころを分かりやすく解説してほしい!
- 「私の個人主義」のどこを読めばいいのか(読みどころ・POINT)
- 「私の個人主義」を読んだ人の生の感想。
について、説明します。
【概要】『私の個人主義』とは?
「私の個人主義」は、夏目漱石が1914年に発表した講演録です。講演自体は1912年(大正3年)11月25日に、学習院(現在の学習院大学、学習院女子大学)で若者たちを前に行われたのものです。
書かれた時期としては、漱石の名作「こころ」と晩年の一作「道草」とのちょうど間ですね。
”明治後期から大正初期を生きる日本人”について晩年の漱石が考え方が述べられており、漱石文学を理解するためには必読書です。
『私の個人主義』の要約
「国家主義」の理念が大変盛んで、国家の利益のために生きることが強調されていた時代において、漱石は「個性こそ発展させるべきである」という”個人主義”の立場を主張しています。
講演の流れとしては、まず松山中学校から第五高等学校(現熊本大学)の教師時代、その後、ロンドン留学・・・と彼が歩んだ人生を振り返る形で話は進みます。
その中で今の世は「他人本位」に生きる人が多いが、「自己本位」生きてきたことを語ります。そして若い人たちも自己本位に生きる道を進めます。
後半は、権力と金力とともに得られる自由(他人の自由を尊重すべき)、そして権力と金力を持つ人間として果たすべき義務について語ります。
『自己本位』について解説
そもそも自己本位とは?
漱石文学において、「自己本位」というのは非常に重要なキーワードです。
ここでいう自己本位とは、僕の考えでは『自らに依り、主体的に頭を使って考え、自らの道を行き、目標を成すこと」であると考えます。
つまり思索の原点を”自己”を出発点せよ、ということ。
漱石は自己本位の対義語として、「他人本位」という概念を用いています。
他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。
要は漱石において、他人の思想だったり、知識だったり、詩だったりを自分で考えもせずに、鵜呑みにして、見せびらかせることを「他人本位的」な振る舞いだと一蹴するわけです。
そして**『自己が主で、他は賓である』**というようにあくまで自己本位の立場から物事を考えて、他人本位(今で言う他力本願的な)考えを捨てよ、という立場を取ります。
漱石が「自己本位」という言葉に行き着くまで【ちょっと長いよ】
漱石は自己本位という言葉を得るまでは、非常な不安にかられていました。
例えば東京大学時代、英文学を学んでいた漱石でしたがその3年間というのは詩を読ませられたり、ウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだ、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるか、スコットの書いた作物を年代順に並べるとか。
自分が学びたい”文学”、あるいは探求したい文学との間に大きなギャップを感じていたのです。
その後、教えられるだけではなく、自力で学ぼうとして、図書館で書物をあさるも、当時英文学に詳しい文献も当時なかったのです。
だから、
とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。
このような大学時代を歩んだ後、漱石教師となり松山→熊本へと点々としました。
大学時代から教師、そして自己本位という言葉を得るまで、漱石が終始抱えていたのは**『漠然とした焦り』**です。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜ぬいたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。
当時は、漱石は自己を立脚点とした”自己本位”という概念をまだ手にしていません。だから漠然とした不安感のなかにあって、ふわふわと漂っているような感覚に陥るわけですね。
1900年、漱石は熊本の第五高等学校在任中に文部省から命令を受け、英国ロンドンの地へ渡ります。漱石は日本に世話にしてもらったという責任がありますから、なにかを新たに学ぼう努力するわけですが、結局、現地でも日本国内にいたときと同様、文献が数多くあるわけではなく英文学を深く学ぶことができないのです。なぜなら石原千秋さんもいってますが、『漱石がイギリスに留学した時代は、まだ英文学科自体が世界の大学にほとんどなかった。』からです。
いったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足しにはならないのだと諦めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
漱石は留学の期間中、当時有名な作品をことごとく読もうとしようと決心します。ところが1年後、読み終えた本のあまりに少なかったことに驚きます。
さらに、漱石は幼少期から親しんできた漢文の文学と、現在彼が習得している英語の文学との間に大きな違いがあることに深い苦悩を感じます。
漱石はロンドン時代にとうとう以下の「自己本位」という概念を手にします。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟った
彼は「文学の本質とは何か」という問題を解明しようと決意し(「根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題を解釈せんと決心」)、ロンドンの下宿にこもって研究に没頭しました。その過程で、非常に小さな文字で書かれた大量のノートを作成します。それが『文学論』です。
私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽けり出したのであります。ーー私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。
彼らというのは、西洋人のことです。
漱石は非常に西洋人へのコンプレックスを抱いていました。例えば文学論のなかで漱石は自らを卑下するような露骨な表現をします。
倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。
ただ、当時西洋とは近代文明の象徴であり、日本は列強諸国に遅れをとるな!とばかりに社会をより豊かに、贅沢に、強くなろうと、富国強兵を推し進めていました。
だから漱石含めて、「西洋人」のいうことはすごいぞ!的な雰囲気がある時代でもあったのです。(てか今もそういうところないですか?笑)
そして漱石はそんな人達をハイカラ・軽薄・虚偽という言葉で批判的にいいます。
ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆みな是なりと云いたいくらいごろごろしていました。他の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれをめるのです。
上記の影響は「現代日本の開花」でも触れられていて、「日本の現代の開化は外発的」「西洋の開花は内発的」としています。そして「内発的」ではなく「外発的な開花とは」空虚にならざる負えない、といっています。
こういった背景のなかで、漱石は西洋から与えられた知識、誰かから与えられた知識をそのまま吹聴するのではなく、『自分の頭で考えて、自分の言葉で表現し己の道を歩んでいけ=自己本位』という確固とたる地盤・足がかりを得たのです。
個人主義について
「個人主義」という用語は、現代では自分だけの利益や都合を優先する人を指すことが多く、批判的な意味合いで使われることが一般的ですね。
しかしながら漱石における個人主義とは、そういうネガティブな意味をもたずに、下記の2つのポイントが大切です。
- 自分の個性を尊重すること(育て発展させること)
- 他人の個性の発展を尊重すること
個性を発展させることが幸福につながる
1においてはもし自分が進むべき道をみつけて、自己本位にそれを徹底していくなら、それを最後まで追及しなければならない。
なぜなら、もし最後までやり切らない(掘りあてる事ができなかった)なら、その人は生涯不愉快になるからです。そして始終、中腰になった状態で、世の中をまごまごしていなければならないからです。
もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならばどうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。
学問とか文芸とか趣味とか自己本位に進むべき道を見つけた人は、自分が本来持つ”個性”と出会うことになります。
そしてもし個性とぶつかったならば、自己の落ちつくべき所が見つかり、個性とともにぴったりと合わせて我が道をすすむことは、”生きる安心”につながります。
前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。
第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。
つまり個々人が幸せになるためには、まず自分の個性を尊重させながら、どんどん発展させることが不可欠だと言っています。
そしてその場合、自己本位の部分でも触れましたが、他人の意見をただ受け入れるのではなく、自分で頭で考えることが大切なのです。
他の自由を脅かすことなかれ、尊重せよ
ただ注意が必要なのは、漱石が主張するのは、個性の発展において自分の個性を相手に押し付けるな、ということ。つまり「自他の区別をはっきりとつける」ように注意を促します。
自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない
個人主義の生き方は、人への押し付けは徹底してNGです。
そもそも当時において近頃自我とか言って、己の自我を尊重せよと言いながら、他人の自我を一切認めず、強制する人もいたわけです。そして、“他”の自由を脅かすのが金持ちだったり、政治家だったりと、権力を持つ人間であると危険になってくる。例えば下記の言葉なんかはまさにそういった部分を伝えています。
そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間に引き摺り込んでやろうという気になる。その時権力があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力があると、それをふりまいて、他を自分のようなものに仕立上げようとする。すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする。どっちにしても非常な危険が起るのです。
『自身の個性の発展』は、人生の幸福においてもとても大切である、というのは漱石の中では揺るぎないものだったと思うのですが、それ以上に、自己の個性の発展を成し遂げるならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない、漱石はこの感を非常に強く抱いていたに違いありません。
第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。
個人主義と”寂しさ”について
個人主義を貫いた先に待っているものは、自分の個性をぴったりくっつく安定した状態=安心と幸福です。
とはいえ、個人主義の道は、漱石は決して楽な人生ではないといいます。
個人主義の道を歩む人は、”淋しさ”がつきまとうことになります。なぜなら他人を尊重する、という大前提があるからです。つまり自分の人生を強制できないのです。
私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。
『己の見つけた鉱脈に向かいただただ1人前へ前へと進んでいく』姿はとても悲しいものを想像させます。
それは例えば「吾輩は猫である」では、個性の発展の結果、親子が離れ、夫婦がわかれることになると予想し、「行人」では人から人へ架け渡す橋はないと、そして「こころ」の先生は「自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々は、 その犠牲としてみんなこの淋しさを味わなくてはならないでしょう」といわせて、作品においても、個人主義の先に待っている人間の淋しさについて触れています。
最後にまとめる一番の名言!
最後に個人主義をまとめるようなとても有名な言葉を引用しておきます!
私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。ーーあなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。