大航海時代とは?世界を変えた3人の偉人・航海人とその影響とは?

目次

大航海時代とは?いつからいつまで?

大航海時代とは、ヨーロッパ諸国(特にスペインとポルトガル)がアジア・アフリカ・アメリカなど未知の地へと進出し、世界の海を舞台に活発な探検と貿易が行われた時代を指します。

たかりょー

時代区分としては、おおよそ15世紀後半〜17世紀前半。中心国はポルトガル・スペイン(のちにイギリス・フランス・オランダも参加)

背景:なぜヨーロッパは海を目指したのか?

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そもそもなぜヨーロッパは世界の海に乗り出したのでしょうか?

1. オスマン帝国の台頭と陸上交易路の遮断

1453年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを攻略し、ビザンツ帝国を滅ぼしました。この結果、アジアとヨーロッパをつなぐ陸のシルクロードやスパイスロードが封鎖され、香辛料などのアジア産品は高騰。

→ ヨーロッパは「イスラムを経由せず、海路で直接アジアと交易したい」と考えるようになります。

2. 香辛料の需要と経済的欲求

胡椒・ナツメグ・クローブといった香辛料は、肉の保存や富の象徴として非常に貴重でした。ヴェネツィア商人などが中継貿易で利益を独占していたため、他国が独自ルートを開拓しようと動き出します。

3. キリスト教の布教と「レコンキスタ」の延長

スペインは1492年のグラナダ陥落をもってレコンキスタ(イスラム勢力の追放)を完了。この勢いで、キリスト教を世界に広めようとする宗教的使命感も大航海を後押ししました。

大航海時代を切り開いた3人の偉人たち

バルトロメウ・ディアス

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バルトロメウ・ディアスの業績は、アフリカ南端「喜望峰」に到達した最初のヨーロッパ人です。

ポルトガルは15世紀から積極的に西アフリカ沿岸を探検し、アジアへの航路を模索していました。香辛料貿易の独占、キリスト教布教、そして「プレスター・ジョン(伝説のキリスト教国)」との連携という夢もありました。

彼が与えた影響としてはアジア航路開拓の地理的・心理的ハードルを突破し、10年後のダ・ガマの航路成功の土台を築いたことです。後にインド航路の再探検やブラジル遠征にも関わります。

航海の内容:

  • 1487年、ジョアン2世の命で出発。
  • 強風によって嵐の中を南下し、アフリカ南端を知らぬ間に通過
  • その後、東に進み、現在の南アフリカのモッセル湾に到達。
  • 帰路にアフリカ大陸南端の岬を確認し、「嵐の岬(カーボ・ダス・トルメンタス)」と命名。
     → 国王が「喜望峰(カーボ・ダ・ボア・エスペランサ)」と改称。

ヴァスコ・ダ・ガマ

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ヨーロッパ人として初めてアジア(インド)に海路で到達した人物です。

バルトロメウ・ディアスの成功を受けて、インドまでの直接航路開拓を命じられる。香辛料貿易の中継地であるインドのカリカット(現コーリコード)に到達し、貿易ルートの確保が目的。

航海について

  • 1497年、リスボンを出港。
  • 喜望峰をまわり、アフリカ東岸のモザンビーク、マリンディ(現在のケニア)に立ち寄る。
  • 地元のアラブ人航海士の助けを得て、1498年、インド西岸カリカットに到達

ヨーロッパとアジアを直接つなぐ海のルートが初めて実現。ポルトガルは香辛料貿易の支配権を握る。ポルトガル海上帝国の始まり。ダ・ガマは後に「インド総督」「ポルトガル貴族」にもなります。

クリストファー・コロンブス

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西回り航路によってアメリカ大陸へ到達。ただし、アジアと誤認にしました。

地球は球体であるという考えを基に、「西へ進めばアジアに行ける」と主張。イタリア出身だが、スペイン女王イサベルの支援を受けて航海を実施。本来の目的はアジアの黄金の国ジパング(日本)やインドと交易を行うこと。

航海について

  • 1492年8月、パロス港を出港。3隻(サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号)で大西洋横断。
  • 同年10月、現在のバハマ諸島の一部に到達。
  • 以後4回の航海を実施し、カリブ海各地(キューバ、エスパニョーラ島など)を探検。

「新大陸の発見」とされるが、本人は死ぬまでアジアに到達したと信じていた。コロンブスが、スペインがアメリカ大陸に進出するきっかけをつくる。ただし先住民との接触、支配、搾取が始まり、植民地時代が幕を開けることにつながり、コロンブスの航海は、後のヨーロッパ諸国による新大陸の奪い合いを誘発することになっています。

大航海時代がもたらした7つの変化

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15世紀末から17世紀初頭にかけて展開された「大航海時代」は、単なる地理的発見の時代ではありませんでした。この時代を契機に、人類は経済、文化、宗教、技術などあらゆる側面で大きな転換点を迎えます。ここでは、大航海時代がもたらした7つの変化について詳しく見ていきましょう。

1. グローバル化の始まり

大航海時代は、初めてヨーロッパ・アジア・アフリカ・アメリカという異なる大陸が、ひとつの「世界交易ネットワーク」へと結ばれた時代でした。香辛料や銀、布といった商品だけでなく、人(奴隷や移民)、思想(キリスト教や現地文化)、技術などが地球規模で行き交うようになりました。この「世界のつながり」は、現代に至るまで続くグローバル化の原型となったのです。


2. 重商主義→資本主義

アジアから運ばれた香辛料、ラテンアメリカから持ち込まれた銀は、ヨーロッパにもたらされた莫大な富の象徴でした。これらの富が再投資され、商業資本が蓄積されていく過程で、従来の貴族中心の経済から、商人が力を持つ社会へと移行していきます。とくにアムステルダムやロンドンといった都市は、金融と貿易の中心地として急成長し、やがて資本主義が台頭していく土壌となりました。


3. 植民地帝国とヨーロッパの覇権

大航海時代を牽引したスペインとポルトガルに続き、イギリス・フランス・オランダといった国々もアジア、アフリカ、アメリカでの植民地獲得競争に参入します。彼らは現地住民を支配し、言語や宗教を押し付け、富や労働力を収奪しました。こうして形成された「植民地帝国」は、現代の南北格差やグローバルな不平等構造の根源となっています。


4. 文化衝突と現地社会への影響

スペインによるアステカ帝国やインカ帝国の征服、また疫病の流行により、アメリカ大陸の先住民社会は壊滅的な打撃を受けました。一方、アフリカでは奴隷貿易によって多くの人々が強制的に連れ去られ、社会構造そのものが破壊されていきます。アジアにおいても、香辛料や布といった物資の供給地として、経済活動が植民地的論理に組み込まれ、自治性が失われていきました


5. 「コロンブス交換」:世界的な作物・動植物・病気の交換

「コロンブス交換」とは、ヨーロッパとアメリカの間で生物・作物・病気が双方向に移動した現象です。アメリカからはトウモロコシ、ジャガイモ、カカオ、トマトなどがヨーロッパにもたらされ、ヨーロッパからは馬や牛、小麦、そして天然痘などの病気が新大陸に伝わりました。特に病気の影響は深刻で、先住民の90%以上が死亡した地域もあるほどです

  • アメリカ→ヨーロッパ:トウモロコシ、ジャガイモ、カカオ、トマト
  • ヨーロッパ→アメリカ:馬、牛、小麦、天然痘

6. キリスト教の世界化

スペインやポルトガルを中心に、カトリックの布教がアメリカ大陸やフィリピンなどで進められました。現地の信仰が抑圧される一方で、融合によって新しい宗教文化も生まれました。たとえば、メキシコでは先住民の信仰とカトリックが融合し、「グアダルーペの聖母」のような独自の信仰形態が形成されています。


7. 航海術と科学技術の発展

大航海時代を可能にしたのは、技術革新でもありました。羅針盤や地球儀、天文学の知識、正確な海図の作成が進む中で、航海の安全性と効率が大きく向上。こうしてヨーロッパ人の世界観は広がり、地理的な知識が拡充されると同時に、「ヨーロッパ中心の世界観」も形作られていきます。これは近代地図の形成や、後の植民地主義にもつながっていきます。

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この記事を書いた人

読書好きブロガー。とくに夏目漱石が大好き!休日に関連本を読んだりしてふかよみを続けてます。
当ブログでは“ワタクシ的生を充実させる”という目的達成のために、書くを生活の中心に据え(=書くのライフスタイル化)、アウトプットを通じた学びと知識の定着化を目指しています。テーマは読書や映画、小説の書き方、サウナ、アロマです。

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